福浦勇斗(はやと)の遺族である母・さおりと父・大助には、この間ずっと納得できないことがあった。
「長崎新聞と共同通信は、なぜ文藝春秋には抗議せず、石川記者ばかりをターゲットにするのか? 」
勇斗の自殺事件に関し、長崎新聞の報道姿勢に対する批判が書かれた書籍『いじめの聖域』を出版したのは、文藝春秋だからだ。
共同通信の審査委員会への、9ページに及ぶ意見書の大詰めで、遺族はそのことを問う。
福浦大助さん(左)と福浦さおりさん。福浦勇斗くんの七回忌にて=2023年4月20日、中川七海撮影
「息子のように苦しむ子どもをつくってはならない」
2022年12月31日の午前中から、自宅のリビングで、さおりは一心不乱に筆を走らせていた。すでに8000字余り。気づけばとっくに年を越し、窓の外が明るくなってきていた。
これまで本の第11章「責任から逃れたい大人たち」の内容について、一つ一つ根拠を示しながら、事実に基づいた記述であることを説明してきた。
さおりには最後に三つ、意見書にどうしても記しておきたいことがあった。
一つは、審査委員会が「十分な裏取り取材がされておらず、論評の範疇を超えた論理の飛躍の疑いがある」と評していることについてだ。
内容は全て私たちが受けた取材や、新聞記事などの客観的な事実に基づくものであり真実です。また、石川記者が執筆されるにあたり、どの章にも言えることですが、何度も録音データを確認し正しい発言や、細かい表現についても協議してまいりました。裏付けが不十分だと指摘されるのは、遺族としましては不本意です。
正当な論評とは、根拠に基づいて説明するものと思います。石川記者と私たち遺族は、本を執筆される以前から、数えきれないほどの協議を重ねてまいりました。それは、息子のように苦しむ子どもをつくってはならない、との思いからです。また、本来、遺族は子どもを亡くしただけでも辛いのに、学校や行政の理不尽な対応によって二重の苦しみに苛まれる現実を社会に知っていただきたいと思ったからです。
立場の弱いものを選ぶ「いじめ」
二つ目が、さおりと大助がかねてより抱いてきた疑問についてだ。(カッコ内はTansaが補足。)
この書籍は、文藝春秋社から出版されており、なぜ(長崎新聞が)御社に回復措置を求められているのかも腑に落ちないのです。
さらには、御社が長崎新聞による抗議後、審査委員会を設けられたことにつきましても、理解できかねます。本来であれば、長崎新聞社が抗議する相手は、出版社であるはずなのに、抗議をそのまま受け入れさらには審査委員会まで設置する真の理由をご教示頂けないでしょうか。
さおりの指摘通り、本を発行したのは文藝春秋だ。出版に関して共同通信は第三者であり、何の権限もない。にもかかわらず、長崎新聞は共同通信に抗議した。
さおりと大助には、自分たちよりも大きな存在を避け、立場の弱い者を相手に選ぶ長崎新聞と共同通信の態度が許せない。長崎新聞は、出版大手の文藝春秋ではなく、加盟社として強く出られる共同通信に抗議した。共同通信は、「お客様」である加盟社・長崎新聞の主張を丸のみし、社員の石川陽一を標的にした。
さおりは言う。
「長崎新聞も共同通信も、そう思うのだったら正々堂々と文藝春秋に抗議すれば良いのに。こんなの、石川さんをターゲットにした『いじめ』じゃないでしょうか」
「書籍は、私たち遺族の真実の叫び」
1万字近くに及んだ意見書の最後は、石川への感謝で締めくくった。
書籍は、私たちが経験してきた真実なのです。真実であるがゆえに文藝春秋社の目に留まり、出版の運びとなったと思っています。この書籍は私たち家族の生きてきた証なのです。
最後になりますが、子どもを亡くしてから既に5年以上の月日が経ちました。私たち遺族は、我が子のように苦しむ子どもをつくってはならない、との思いで今まであらゆる困難に立ち向かってきました。私たちの小さな声に耳を傾け、そして寄り添い、社会に向けて真実を発信してくださったのは、紛れもなく御社の記事であり石川記者です。
石川記者が配信してきた記事、そして執筆してくださった書籍は、私たち遺族の真実の叫びでもあります。
貴審査委員会におかれましては、私たち遺族の意見を何卒お聞き届けくださいますよう、お願い申し上げます。
以上
遺族の声を、共同通信の審査委員会は、どう受け止めるのか。
=つづく
(敬称略)
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