
東京・霞ヶ関にある厚生労働省の前で抗議する「いのちのとりで裁判」の原告団=2025年8月1日、千金良航太郎撮影
ちょうど12年前の2013年8月1日、生活保護費の大幅削減が始まった。給付額の最大10%減という、過去に類を見ない下げ幅だ。
第2次安倍政権の肝入り政策だった。「生活保護はずるい」という世論に乗って、民主党から政権交代してすぐに実行した。
生活保護の根拠となるのは憲法25条だ。健康で文化的な最低限度の生活を保障している。全国の弁護士たちがすぐに生活保護受給者と共に立ち上がり、「いのちのとりで裁判」を展開した。
裁判は最高裁まで争われ、2025年6月27日、原告が勝訴した。
ところがだ。
政府は生活保護費の減額分に対する補償に、最高裁判決から1カ月以上が経った今も乗り出そうとしない。謝罪すらしない。行政が司法を無視し、違法状態が続く事態に陥っている。
原告として闘ってきた生活保護受給者は「自分たちだけの問題ではない」と声を上げる。自民党を中心とした政権運営が30年近くに及ぶ中、非正規労働者が全体の4割に倍増。日々の生活に困るリスクを抱える人が増えているからだ。
安倍政権が生活保護費をカットした時の理由は「物価が下がっている」。だがそれはデータをごまかした上での主張だったことが裁判で明らかになった。
しかも今は物価高だ。生活保護費を削減した分の補償を早急に実行する必要がある。
それでも政権の腰が重いのはなぜか。
防衛費の増額や選挙対策での「バラマキ」には熱心なところをみると、弱い立場にある人を切り捨ててでも、権力維持をはかっていることは見え見えだ。
自民党が仕掛け、メディアが乗り、世論が過熱
2012年3月、自民党が「生活保護問題に関するプロジェクトチーム」を発足させた。「生活保護費の膨張は目に余る」と発言する世耕弘成議員が座長に就き、「生活保護費の8000億円削減」を掲げて動き出した。
翌4月、『女性セブン』が、人気芸人の母親が生活保護費を受給していると報じた。その後、プロジェクトチームのメンバーでもある片山さつき議員が、その人気芸人が次長課長・河本準一さんであると暴露する。
「子どもが売れっ子なのに、親が生活保護を受けるのはおかしい」という世論が醸成された。河本さんはカメラの前で謝罪し、母親が受給した分の一部を返還した。メディアがこぞって報じた。
その年の12月、衆議院議員選挙が開かれた。当時は民主党政権。政権奪還を狙う自民党は、「生活保護費の削減」を公約に掲げた。
第2次安倍政権が発足した翌月、2013年1月に生活保護の引き下げが決まった。最大で10%という大幅削減だ。
2013年8月1日、実際に引き下げが始まった。毎年約200万人の受給者が影響を受けることとなった。
自民党が仕掛け、メディアが乗り、世論が過熱する。そういう構図だった。
猛暑でもエアコンは29度
憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定する。
しかし、生活保護費を10%も削減してしまえば、この権利を満たすことは困難だ。
神奈川県厚木市の髙橋史帆さんが生活保護の受給を始めたのは、2010年。27歳の時だった。
親から受けた虐待によって精神障害を患っていた。医師に「家族から離れないと快方に向かわない」と告げられ、生活保護を受けながら一人暮らしすることを決めた。
ところが3年後の2013年に支給額の引き下げが始まってからは、生活がどんどん苦しくなっていく。
最初の不安は、全額自己負担で受けているカウンセリングを続けられるかどうかだった。
次に、日々の食事に影響が出てきた。外食に行ったり、お弁当を買ったりする余裕はない。料理ができる体調でなくても、安価なファストフード店にすら入ることができない。ぎりぎり、パン1個と野菜ジュースを買える程度だった。
体調も崩すことになった。髙橋さんのアパートはコンクリート造りで、夏場は熱が籠る。エアコンが備え付けの家ではあるが、電気代が払えないかもしれない。
「温度は29度か30度に設定して、家の中では下着で生活しています」
それでも今年7月、部屋の中にいながら熱中症にかかってしまった。
「いのちのとりで裁判」
2013年以降、全国各地で生活保護受給者たちが立ち上がった。社会保障分野の弁護士などとともに、不当な支給額削減の撤回を求めた。「いのちのとりで裁判」だ。
当初は、各地裁で敗訴が続いた。政府側は「物価が下がっている」ことを示すデータを裁判所に提出して、支給額削減の正当性を訴えた。
だが、政府側のデータは、物価の下落率が大きくなる計算方法を用いたり、基となる支出額について生活保護世帯ではなく一般世帯の平均値を使ったりして出したものだった。原告の弁護団は、政府のデータ偽装を突きつつ闘い続けた。
2025年6月27日、最高裁判所(宇賀克也裁判長)が、政府による2013年以降の生活保護費の引き下げは違法だと判決を出した。
原告弁護団「違法状態が続くのは極めておかしい」
しかし原告団の闘いはこれで終わらなかった。
2013年以降、12年間の引き下げ分の補償がなされない。それどころか、誰も謝罪しないのだ。
7月1日には福岡資麿厚労大臣が「専門家委員会を立ち上げる」と記者会見で述べた。外部の専門家で議論させるという。
原告団の再三の求めにより、8月1日に、ようやく厚労省との協議の場が設けられた。しかし大臣はやってこない。課長級以上の職員も参加せず、社会・援護局 保護課 総括調整官の阿部幸生氏が対応した。
阿部氏は「判決から1カ月以上経ってしまったことは心苦しい」と述べたものの、謝罪も、補償内容についての話も行わなかった。専門家会議の開始時期も内容も、何一つ定まっていない。
原告団が「専門家会議を発足しなくても謝罪はできる」と求めても、「専門家会議の結論に基づいて判断する」という姿勢だった。
「いのちのとりで裁判」の共同代表で原告団の尾藤廣喜弁護士は、協議後の記者会見で述べた。
「違法であることを厚労省は認めているが、違法状態を続けている。極めておかしい」
【取材者後記】それでも受給者を「ずるい」と呼びますか/リポーター 中川七海
厚労省との協議が始まる1時間前、原告団が厚労省の建物前で抗議を行った。
歩道脇に並び、厚労省の庁舎に向かって思いを述べた。
「1日600円で生活しなくてはいけません」
「食べ物か冷房かの二択を迫られてます」
「まずは謝罪をしてください」
時間帯は、昼休み中の12時〜13時。庁舎からは、続々と職員が出てくる。厚労省と環境省が同じ建物に入っているので、どちらの職員かはわからない。だが少なくとも、省庁で働く人たちだ。
しかし、原告団の声に耳を傾ける人はいなかった。足を止める人もいないし、声を上げる人を見ながら「なんか、やってるよ」と言わんばかりのニヤニヤ顔で過ぎていく人が何人もいた。
対照的なのが、今回の原告たちだ。
埼玉県在住の50代の男性は、原告になった理由をこう述べた。
「自分だけでなく、社会のみんなのためになると思ったんです。今は、社会のみんなの生活が苦しくなっている。誰も貧困に陥らない社会にしないといけない」
愛知県での訴訟の原告・澤村彰さんも、他者の生活に思いをめぐらせる。
「この判決をもとにして、いろんな要求をしていってほしいですよ。賃金を上げてほしいとか、年金を増やしてほしいとか、奨学金の返済を不要にしてほしいとかね。いろんなことに利用してほしい」
澤村さんたちはこれまでに何度も心無い言葉を浴びせられてきたにもかかわらず、「みんなのために」という言葉が自然と出てくる。
それでも、生活保護受給者を「ずるい」と呼びますか。
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