保身の代償 ~長崎高2いじめ自死と大人たち~【学校編】

「いじめのない学校にして」と校長に伝えた翌月、後輩が自死 自身も被害の卒業生が長崎・海星学園を告発するまで(1)

2025年11月20日 18時48分  中川七海

取材に応じる井村大和さん=長崎市で2025年11月13日、千金良航太郎撮影

2025年4月、Tansaの情報提供窓口に1本のメールが届いた。

件名は「長崎海星高校2年生の自殺及び隠蔽について」。

メールを開くと、海星高校の卒業生を名乗る人物からだった。

「今更ですが当時のことを、変わらない学校のために、全てをお話ししたいと思っています。」

「彼が高校1年生のときに、私は高校3年生として在籍していました。」

「彼」とは、海星学園内でのいじめによって自死した福浦勇斗(はやと)さんだ。

「もしも私の持っている情報が必要であるならば、お返事をお待ちしています。」と、本名とともに書き添えられている。

私はすぐに長崎行きの航空券を予約した。長崎市内で会うことが決まった。

※本記事内には、いじめや自傷行為に関する記述があります。フラッシュバックの恐れがある方は閲覧を控えてください。

「突然死」報道を見て

長崎市内の会議室。予定時刻より少し早めにノック音が鳴った。

扉を開くと、会社の制服を着た男性が立っていた。

「はじめまして、井村大和(やまと)と申します」

メールの送り主だ。挨拶を交わし、席に着いた。取材に応じてもらうお礼を伝え、情報提供の理由を聞くと、井村さんはこう言った。

「海星の隠蔽体質を許せないので」

どういうことか。

5年前の2020年、井村さんは地元を離れ、福岡県内の企業で働いていた。

いつものように業務にあたっていると、上司から声をかけられた。

「報道機関から井村さんに連絡が来ているよ」

心当たりはない。詳細を尋ねると、あるニュースにたどり着いた。

2017年4月、長崎市内にある私立・海星学園の高校2年の生徒が、同級生たちからのいじめを苦に自死した。海星学園は、「自死」を「突然死」として公表しようとし、それを長崎県が追認した。共同通信の石川陽一記者がスクープした。報道各社が後を追い、全国でも大きく報じられていた。

海星高校出身者である井村さんの職場を突き止めた報道機関が、話を聞こうと職場に連絡してきたのだった。

井村さんは、事件のことを一切知らない。取材を断った。

その後、関連するニュースを調べた。だが詳細はわからない。卒業生として、学校に直接尋ねることにした。

電話をかけると、事務職員が対応した。かつての担任への取り次ぎを頼んだが、断られた。

報道されているいじめ自死について尋ねた。学校が死因を隠そうとしたのが事実かどうかも聞いた。しかし詳しいことは教えてくれない。電話口の職員は、同じ言葉を繰り返した。

「隠蔽だと騒がれているけれど、学校を信じてほしい」

重なった自身のいじめ被害

海星学園での自身のいじめ被害を語る井村大和さん=長崎市で2025年11月13日、千金良航太郎撮影

電話を切ってもなお、井村さんは海星学園でのいじめ自死のニュースが頭から離れなかった。

自身もいじめを受けた経験があるのだ。

小学4年生のとき、学校でインフルエンザが流行っていた時期に、風邪をひいてしまった。咳やくしゃみをすると、「井村菌がうつるぞ!」とクラスメイトに避けられるようになった。集合写真を撮る際も、井村さんの周りにだけ空間ができていた。

地元の公立中学に進学しても、いじめは続いた。クラスメイトに話しかけても無視される。先生も気づいているが、「危害を加えているわけじゃない」と対応してくれない。

「どうすればいいのだろう。無視されるなら、自分で声を上げなきゃ」。井村さんは、物に当たったり声を荒げたりしてしまった。そんな井村さんを、先生は首根っこを掴んで教室から引きずり出した。非常階段まで引っ張られ、説教された。

暴れても解決できないことは、今ならわかる。だが当時は精一杯だった。「声を上げても怒られるのは自分だ。もう死ぬしかない」。井村さんは、学校内の掲示板に「死にたい」と書いた紙を貼ったが、先生に見つかってしまった。

学校での楽しみは、部活の吹奏楽だった。だが次第に、同級生だけでなく後輩にも無視されるようになる。吹奏楽は好きだったが、いじめに耐えかねて退部した。

「じゃれ合うのも、ほどほどにしとけよ」

とにかく、いじめから逃れたい。高校は、地元から離れた場所を探した。

選んだのが、海星学園だ。

だが、いじめは止まらない。むしろ、加速する。

2014年4月、海星高校のフロンティアコースに進学した。

海星高校には、3つのコースがある。難関大学を目指す「ステラ・マリス」、大学進学を目指す「国公立進学 (現・エラン)」、スポーツに注力する生徒が多く集まる「フロンティア」だ。

フロンティアコースには井村さんのように文化系の生徒も数名いるが、ほとんどが野球やサッカー、ラグビーなどの部活に所属する生徒だった。クラスの全員が男子生徒で、体格もいい。

クラスには、ムシャクシャすることがあると暴力を振るう生徒が何人もいた。周りの生徒は、止めるどころか笑って見ている。

標的になるのは、文化系の生徒だ。井村さんは「肩パン」と呼ばれる、肩をグーで殴られる暴力を受けるようになった。「肩貸せや」が合図で、毎日何度も行われる。

抵抗する気も起きない。相手を刺激し余計に殴られることになるからだ。井村さんは殴られると、「ありがとうございます!」と笑って返した。そうすると、その場が収まるのだ。肩とその周りには、青いアザが出ていた。

助けてくれる人はいない。相談もできない。ある日の授業中、いつものようにクラスメイトが井村さんを殴った。それを見た先生は、こう言った。

「じゃれ合うのも、ほどほどにしとけよ」

自分でも、自分を傷つけた。家に帰ると、腕をカミソリの刃で切った。死のうとしたわけではない。むしろ、いじめを我慢して高校を卒業し、自由に生きたいと思っていた。リストカットは、生きている実感を得るための行為だった。

夏場は、「腕をぶつけた」などと言って腕に包帯を巻き、冬場は長袖の制服で隠していた。心配する先生はいなかった。

入賞作文をアピールした海星学園

海星高校で2年生に進級するにあたり、井村さんはいじめから逃れるため、コース変更した。「フロンティアコース」から「国公立進学コース」に移ると、「肩パン」は止んだ。

年末、井村さんは図書室へ向かう廊下で、あるポスターが目に入った。警察庁が主催する、「命の大切さを学ぶ教室 全国作文コンクール」だ。

「命の大切さ」という言葉が、井村さんの心に引っかかった。「命」と「いじめ」が、井村さんの中では繋がっていた。「書きたい」。

帰宅後、早速筆を執った。もともと、文章を書くのが好きだ。探偵ものの小説を書いたこともある。

シャーペンを手に、今回のために買った400字詰めの原稿用紙と向き合った。書いては消し、書いては消し。原稿用紙がボロボロになるので何度も書き直した。

完成した作文のタイトルは、「願い」。原稿用紙4枚分だ。冒頭は、こう始まる。

皆さんは「いじめ」に対して危機感をもったことがあるだろうか。今、いじめは人の命を平気で奪える危険なものに成り果ててしまっている。命を脅かす存在は皆さんの背後まで迫っているのだ。

自身の経験をもとに綴った。一部を引用する。

私は、六年間いじめを受けてきた。そのため生死について、一般的な子どもより考えさせられた。そしてその出来事は、私の生き方、人生、夢をすべて壊した。そんないじめを私はどうしても許すことが出来ない。

いじめを受けた人は、「いじめ」から解放されても、本当に普通の人と同じ生活はできないんだと身をもって知った。私は運よく生きているが、耐えきれず、自ら命を絶つ人も少なくない。いじめで、夢もあっただろう子どもが命を捨てることが本当にあってよいのだろうか。ニュースでいじめの話や自殺という言葉が流れると、私は心が痛くなる。なぜ罪も無い人が罪深き人にいじめられ、最悪、殺されなければならないのか。私は、心の底から遺憾に思っている。

このような被害者を出さないために「いじめ」を必ず消さなければならない。そして大切な命と笑顔が失われない世界が早く、実現されてほしいと、私は、そう願うばかりである。

海星学園高校2年のときに井村大和さんが書いた作文

高校2年の3学期。まもなく英語の授業が始まるタイミングで、先生に声をかけられた。

「校長先生が呼んでるから、校長室に行ってきてください」

何のことだろう。校長室に入ると、清水政幸校長が立っていた。

「井村さんの作文が入賞しました」

警察庁の「犯罪被害者支援室長賞」を受賞したという。

後日、学校で授賞式が行われた。

井村さんは、大げさにしてほしくなかった。作文には、自身が受けたいじめについて綴っている。そのことを加害者が知り、「復讐」されるのではないかと心配だった。

だが海星学園はメディアまで招待し、清水校長、地元の大浦警察署長、同じく入賞した海星中学の生徒と井村さんの4人で記念撮影。海星学園のホームページでアピールした。

海星学園のホームページで受賞を讃えられる井村大和さん(左から2人目、画像の一部を加工しています)

卒業時に校長に伝えた思い

作文が表彰されてから1年。2017年3月、井村さんは海星高校の卒業を迎える。

卒業式前日の予行演習の休憩中、たまたま清水校長と出くわした。清水校長は、井村さんに言う。

「明日は卒業式ですね。3年間どうでしたか」

井村さんは、正直に答えた。

「いいものじゃなかったですね」

「正直、この学校を後輩に勧めたくはないです。いじめがなくなることが望ましいです」

遠くから、予行演習を再開するという声が聞こえた。井村さんは話し足りなかったが、戻らねばならない。

最後に、清水校長に言った。

「いじめのない学校にしてください」

話しかけてきた後輩

この会話の翌月に、ニュースを通して知ったいじめ自死事件は起きていた。「突然死」として公表し、隠蔽までしようとしていた。

「あれだけ言ったのに、学校は変わってなかったんだ」

海星高校に問い合わせ、「学校を信じてほしい」と言われた後も、約半年おきに井村さんは学校との接触を試みた。仕事の合間を縫って、電話したり直接学校を訪ねたりした。

学校を訪れた際、親交のあった先生と立ち話をしたことがあった。その時初めて、犠牲になったのが福浦勇斗さんだと知った。

先生が、「あの時の子だよ、ほら、廊下で話しかけてきた子」と言う。

高校3年の夏、井村さんとその先生は、校舎の廊下で立ち話をしていた。すると、「背中が汚れてますよ」と、面識のない後輩らしき生徒が声をかけてきた。

先生は「井村、背中大丈夫なんか」と言い、井村さんは自分で汚れを払った。するとふいに、後輩が「井村さん」と言う。「ん? なに?」と返すと後輩が聞いてきた。

「嫌なこととかあるんですか?」

井村さんは「嫌なことなんていっぱいあるさ〜」と答えたが、そこで予鈴が鳴った。急いで教室に戻ったが、この日は雨で廊下が濡れており、勢いあまって滑って転んだ。それが印象的で、この日の出来事をよく覚えていた。

面識がないはずだが、その後輩はなぜか自分の名前を知っていた。いじめの作文コンクールで入賞し、顔と名前が新聞や学校のホームページに出た後だ。だから知っていたのかもしれない。

彼が、福浦勇斗さんだったのだ。

削除されたページ

2025年4月20日、井村さんは、勇斗さんの8回忌のニュースを目にした。

遺族が海星学園相手に裁判を起こしていた。「いじめが自死の主たる要因」だと認定した第三者委員会の報告書を、海星学園は受け入れてすらいなかった。

井村さんは、学校に電話をかけた。学校側は相変わらず、「信じてほしい」の一点張り。

だが、廊下で自分に声をかけてきたあの勇斗さんが犠牲になったのだ。彼は当時、自分にいじめのSOSを発信していたのかもしれない。自分だって、卒業時に「いじめのない学校にしてほしい」と清水校長に訴えた。その翌月に、勇斗さんはいじめを苦にして自死した。

井村さんは、学校が自ら説明しないのであれば、メディアに情報提供することを告げた。

Tansaや、地元紙の長崎新聞、朝日新聞、地元のテレビ局などにメールを送った。返信があったのはTansaと長崎新聞だ。だが長崎新聞は、勇斗さんの次の命日の際に取材をする、という返事だった。

Tansaの取材を受けると決めた後、最後にもう一度、海星高校に電話した。

海星がきちんと説明するなら取材を辞退するつもりだった。

だが、海星の態度は期待とは正反対だった。

「何を提供するんですか」

「あなたの立場が悪くなるんですよ」

「学校に不利になることは言わないで」

後日、ふと海星学園のホームページを開いた。

自身の作文コンクール入賞を讃えるページが、削除されていた。

(つづく)

本シリーズでは、犠牲者の勇斗さんと遺族は、誹謗中傷への対策として名字のみ仮名とします。

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