
幼少期の勇斗さん=遺族提供
世間がゴールデンウィークで賑わう2017年5月4日。福浦勇斗(はやと)の自死から2週間を迎えていた。
なぜ勇斗は、自ら命を絶ったのか。警察による家宅捜索で見つかった紙や、遺体のそばにあった遺書には、いじめを仄めかす記述があった。
勇斗は几帳面な性格だ。他にも何か遺しているかもしれない。父・大助と兄・直斗は、勇斗の部屋を捜索することにした。
2人の勘は当たった。
「決定的なやつが出てきたよ」
静かになった、暴れんぼうの「クイ」
自死から3日後の4月23日に通夜、24日に葬儀と告別式が行われた。海星学園の理事長・坪光正躬(つぼこう・まさちか)も、校長・清水政幸も、結局姿を見せなかった。
火葬場で、最後の別れとなる。
身長160センチメートルほどの勇斗の棺は、とても小さかった。大助はぼんやり、そんなことを考えていた。
母・さおりは、炉に入れる直前まで棺から離れようとしなかった。泣き叫びながら棺にすがりつくさおりを、大助と直斗が無理やり引き剥がした。
さおりはその後、どんどん憔悴していった。親戚が自宅にやってきて食事を用意しても、ほとんど手をつけなかった。体重は、1週間で5キロ落ちた。
大学を休んで長崎の自宅で過ごしていた直斗も、弟がこの世にいない実感が1ミリも湧かなかった。ふと、ペットの「クイ」に意識を向けた。クイにも異変が現れていた。クイはペットのカメだ。
クイに出会ったのは、直斗が中学1年、勇斗が小学5年の時のことだ。
ある日、直斗が学校から帰宅すると、少ししてから勇斗も帰宅した。勇斗は兄に、下校時の出来事を共有した。
近所のおばあさんが、自宅で飼いきれなくなった大量のカメを桶に入れて、「ご自由にお持ち帰りください」と張り紙していた。一緒に下校していた友人や、同じ小学校の子どもたちが手分けし、すべてのカメを持ち帰ったため、勇斗は持ち帰ってこなかった。
話し終えたところで、勇斗は習い事に向かう準備を始めた。今日はスイミングスクールだ。「行ってきます」と、勇斗はスクールバスが迎えに来るバス停へ向かった。
ほどなくして、玄関のドアが開いた。直斗は「勇斗が忘れ物でもしたかな」と思ったが、違った。
1匹のカメを両手で抱えた勇斗が立っていた。
「それ、どうしたの?」と尋ねると、勇斗が言った。
「みんなで持ち帰ったはずなのに、1匹だけ溝に捨てられてた。かわいそうだから、持って帰ってきた」
直斗は家の中から水槽を探し出し、とりあえずカメを入れた。
「スイミングは?」と声をかけたが、勇斗は「もうバスが行っちゃったから、今日は休む」。
そこから、ふたりの作戦会議が始まった。議題は、「カメをペットにする許可をお母さんにもらうこと」。きっと母は反対する。そこで、カメを外に放置したら猫や鳥に狙われることや、自分たちで世話をすることを伝えて、母を説得することにした。
しばらくして、母が帰宅した。「きゃあああ!」。母は声をあげて驚いた。だが意外にも、ペットにすることに反対はしなかった。その代わり、兄弟ふたりできちんと世話をするという約束を交わした。
名前もふたりで付けた。餌をよく食べ、暴れんぼうなぐらい元気な性格だ。食いしんぼうの「クイ」と名付けた。
そんなクイが、勇斗が帰ってこなくなって以来、すごく静かになった。

カメのクイ=遺族提供
「勇斗なら、絶対に何かを書き遺している」
1週間ほどで忌引きが明けた。
役所での手続きや学校とのやりとりもあるが、いつまでも休み続けることはできなかった。大助とさおりは会社に事情を説明し、融通を利かせてもらいながら徐々に出勤するようになった。直斗は京都の大学に戻り、寮生活を再開した。
次に家族が揃ったのは、ゴールデンウィークだ。
5月4日、大助と直斗には、やるべきことがあった。勇斗の自死の真相を調べることだ。
勇斗が身につけていた遺書と、自宅を捜索した警察官が見つけた紙には、いじめに悩んでいるような記述があった。
学校に行くたびに頭痛がすること、お腹の音が鳴って同級生たちにからかわれたこと、音を録音しようとお腹にタブレットを向けられたこと。そういった行為によって、体や手足が震えるようになったことーー。
勇斗は几帳面な性格で、一人で机に向かい、黙々と作業するのが好きだった。ディズニーキャラクターの絵を描いたり、AKB48の総選挙で誰が1位になるか予想を書き記したり。
「勇斗なら、絶対に他にも何かを書き遺している」
大助と直斗は、勇斗の部屋を徹底的に調べることにした。
混乱の「日記」
勉強机の引き出しや本棚、家具の隙間を隈なく探した。
引き出しから出てきた数学のノートをめくると、授業の内容ではない記述を見つけた。
横書きと縦書き、時系列を記した図などが混在している。脈絡のない箇所もあり、勇斗自身が混乱していることが伝わってくる。(明らかな誤字のみ修正し、一部を引用。)
おまえらが勝手に自分となすりつけるから、自分は対音恐怖症になって、自分じゃないのに震えたり、ちゃんと立てなくなったから、ストレス
わざわざ前、暗号までかいたのに、お前らは気づかなかった。…人がどこまでおいこまれたか知れ。くそ!
1番の被害者は自分だし…賠償金払え!!
普通の人だったら、この世にはいないかもね…
毎時間かんちがいされた。頭がいたい。
大助も直斗も、血の気が引いた。
学校に見せる必要があると思った大助は、コピーを取るため近所のコンビニへ走った。
直斗は部屋に留まり、「まだ他にもあるはずだ。勇斗ならここに隠すだろう」という場所を探った。
勘は当たった。本棚の端に、隠されるようにして1冊のノートが挟まっていた。
ノートを開いた直斗は驚いた。父の携帯に電話をかけ、こう告げた。
「決定的なやつが出てきたよ」
同級生たちから受けた嫌がらせの内容、嫌がらせをしてきた同級生たちの実名、勇斗の心情が事細かく綴られていた。 (同級生の実名は伏せて引用し、明らかな誤字と一部の表現を修正。)
長崎市 2016年10月20日木曜日 天気 曇 最高気温25℃ 最低気温19℃ 風:北の風
いままでやろうと思ってきてやれなかったが、ついに日記というものを書くことにした。というのも、ぼくは去年からある悩みのせいで、今日も苦しんできた。そのことについて書くことにした。
この日記がいつか「何かの役に立つ」ことがあることもふまえて、これから毎日記録する。
その記念すべき1回目。なぜ、こういうことをするのかというのは、さきほどの話で「今日まで苦しんできた」ことに原因がある。
ぼくは小学校から中学生2年までいろんなことがあって、頭に残ることもあった。しかし、生活に不満はなく何気なく暮らしていた。
しかし、中学3年の冬に運命の歯車は動き出す。
その年(2015年)は何かと病気にかかることが多かった。ノロウイルスにインフルエンザ、そして生まれてはじめてかかった風邪。インフルエンザの時や風邪の時は、授業中に何度もくしゃみしたり、鼻水が出たり、せきが出たり、中3S1のみんなには迷惑をかけているとわかった。その時は当然、少しさけられていたが、しょうがないなと思うくらいで、いつかは治ると思っていたので大丈夫だった。
しかし、その風邪やインフルエンザの時に「みんなに迷惑をかけている」という心が人よりも強くなり、心のどこかで緊張してしまっていた。その緊張が身体に出始めた。
それが、ぼくを約1年間苦しめてきた「お腹が鳴る」ということである。多分、それを気にし始めたのは、インフルエンザが治ってすぐ6月上旬ごろ、しかし、そのころはそこまで気にはしていなかった。
しかし、2学期がはじまり、3〜4時間目の間にいつも鳴ることが多かったのが、たまたま1時間目に鳴ることがあった。その時に、みんなの様子をみたら、笑いを我慢している様子だった。
そんな自分が話すことなんて、どうせ腹鳴るくせにと思われていたことだろう。そんな中でも、修学旅行、学園祭などがあり、いつの間にか第4回定期考査をむかえた。
この時も、テスト中だったが、お腹が鳴ってテストとテストの間の10分間、その時のクラスで一番権力を持っていた■■軍団(6人、そのうち1人は今■高)が、愚痴を言っているのをまのあたりにした。
「あと10分なら我慢せろさ〜」とか言っていた。この言葉は今でも頭によぎる。
その言葉がきっかけで定期テスト直後の週の月曜日から、ある対策をすることにした。それは「飯を食う」という動作である。3時間目の前の10分休暇の時にオニギリ1つとカロリーメイト1本、4時間目の前の10分休暇にもオニギリ1つとカロリーメイト1本食べることにした。
そしたら、授業中に「お腹が鳴る」ということがその日からピタリと止まった。もちろん、みんなおどろき「今日、鳴らなかったね〜」「たまたまでしょ〜」というかげ口を聞いた。その瞬間、怒りが芽生え、ずっとこの動作(飯を食う)ということをすることにした。
まったく鳴らなくなったぼくのことが信じられなくなったのか、この「腹が鳴る」ことにたいして、一番バカにしていた■と■などの奴らは、鳴らなくなって1週間後に、今まで小学校から中学校までまったく気にしていなかった授業中によく聞こえる、上の教室のイスをひく音、隣の教室からも聞こえるイスの音やドアを開ける音を、自分が出した音(腹の音)と勝手に決めつけ、愚痴っているのが聞こえた。奴らは影響力が高く、他のクラスのメンバーも全員、その時はそう思い込んでいた。
それから、よく変なことが起きた時に人が露骨にする動作「のどを鳴らす」ということがはじまった。音(イスを引く音)が授業中にきこえるだけでも、のどを多くの奴らに鳴らされ、僕は「対人恐怖症」というやまいにかかった。
※のどを鳴らした奴ら、■(たまに) ■(毎回) ■(毎回) ■(毎回) ■(毎回) ■(みんながやっているから私もみたいな) ■(こいつも■と同じ) ■(毎回) ■(こいつも3学期ずっと) ■(たまに)
このころ(12月〜3月卒業式まで)はこのくらいの奴らだ。しかし、喉を鳴らすだけの連続ではないということは、おわかりだろうが、過激に愚痴を言ったり、鼻水をすすることで笑っている顔をごまかす、本人が近くにいるのに、普通に「福浦ちゃんかと思った〜」という誤解をする奴らもいた。
ここまでの文章は、上からかき消すように、乱雑な線が引かれていた。その下に、「いやそんなことはどうでもいい」と改め、次のとおり続いた。
12月からオニギリ、カロリーメイトを学校で午前中食べはじめて、10月(2016)までは学校では、10回くらいしかなっていないが、(下の階のイスの音や、トナリのクラスのドアの音)が自分を苦しめ、他の生徒をかんちがいさせ、そのストレスで11月には、カロリーメイトなどをたべているのに、また昔のように、おなかがたまになりはじめた。
また、つばをのみこむことによっての音や、げっぷの回数などもふえて、もういや。
つかれた。
でも ぬいぐるみはぜったいに もやしたらだめ。許さないからね。
思い当たった、中3時の行動
大助も直斗も、いじめの事実を確信した。
中学3年から苦しんでいたという記述に、直斗はハッとした。この頃から、勇斗におかしな行動がみられ始めていたのだ。
ある日、直斗が自分の勉強机にあるペン立てに目をやると、スケッチ用鉛筆の先に歯形がついていた。シャーペンのキャップにも噛まれた形跡がある。犯人は勇斗しかいない。勇斗に尋ねると、自分自身のペンもかじっているようだった。
直斗は何度も注意したが、その癖は治らなかった。そこで「汚いからやめて」と強く注意した日があった。勇斗は「ナエトルのぬいぐるみの真似」と、ポケモンのキャラクターの名前を出してはぐらかした。
コンビニから戻り、新たに見つかったノートを読んだ大助にも、思い当たる一件があった。
福岡に単身赴任中の大助は、月に1回以上は自宅に帰る。その度に息子たちの成長を感じていた。
中学3年の勇斗が、弁当とは別におにぎりを持参しているのを知った。
「勇斗は大食いじゃないのに、なんで?」。さおりに尋ねると、「お腹が鳴ると言うんよ、足りんと言うさ」と返ってきた。
大助はノートに綴られた「対音恐怖症」という言葉の意味を理解した。
だが、勇斗が同級生たちから受けていたのは、この日見つかった内容だけではなかったことを、後に知る。
(つづく)
*敬称略
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