消えた核科学者

天王寺高校から大阪大学工学部へ(7) 

2020年04月15日11時31分 渡辺周

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竹村達也が高校時代まで暮らしていた街。自宅があった場所は高速道路の計画で立ち退きに=2020年4月11日午後1時36分、大阪市阿倍野区文の里、渡辺周撮影

私が元同僚たちから得た印象では、失踪した竹村達也は生真面目な男だった。

茨城県東海村にある動燃独身寮でもほとんど他の職員とは交わりがなく、むしろ浮いていた感じさえある。当時の動燃の職員たちは「笑ったり声を荒げたりということもなかった」と口を揃える。

ただ竹村の部下だった科学者は、竹村の「職人」としての真剣さに心を打たれたことがある。

その科学者が動燃に入社したての頃のことだ。プルトニウムとウランの固溶体について、どうやれば良質な固溶体ができるか竹村に聞いたことがある。固溶体とは、複数の元素が均一に混ざり合った状態の固体のことだ。

竹村は自分の席の向かい側に科学者を座らせ、「プルトニウムとウランの酸化状態が進み過ぎても還元状態が進み過ぎても、固溶体はうまくできない」などと丁寧に教えてくれた。竹村は自身の研究ノートを広げながら、熱意を込め、一つずつ説明した。竹村の席には英語の専門書がたくさん立てかけてあった。

科学者はいう。

「本当に仕事に真剣に取り組んでいるんだなあ、自分みたいな新人によくこんな丁寧に説明してくれるなあと、胸が熱くなったのを思い出すよ」

借金や女性問題も抱えていないようだった。それほど仕事に打ち込んでいたのなら、自分から姿をくらますような理由はないはずだと彼はいった。

私は竹村の出身地である大阪に向かった。竹村は進学校で知られる府立天王寺高校を卒業した後、大阪大学工学部に進学している。かつての同窓生たちに会えるかもしれない。

何より、竹村の家族に会いたかった。大阪にいる竹村の姉が茨城県東海村の動燃までやってきて弟の行方を尋ねたことが、失踪事件が発覚したきっかけだ。失踪当時の情報を何か得られるかもしれない。大切な身内が姿を消した家族の思いに耳を傾けたかった。

竹村が在学していた時の住所を割り出すことができた。天王寺高校から歩いて10分ほどだ。

だが竹村がかつて住んでいた一帯は、高速道路の計画で当時の住民は立ち退いていた。近隣の住民に竹村を知る者がいないか聞いて回ったが、誰も知らなかった。

天王寺高校の同級生の居場所はわかった。電話番号がわからなかったので、1人の同級生の家を直接訪れた。その同級生は開口一番、驚くべきことを私にいった。

(敬称略)

=つづく

*北朝鮮による拉致の目的とは何か、日本は核を扱う資格がある国家なのか ──。旧動燃の科学者だった竹村達也さんの失踪事件について、独自取材で迫ります。この連載「消えた核科学者」は「日刊ゲンダイ」とのコラボ企画です。「日刊ゲンダイ」にも掲載されています。

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