消えた核科学者

カーシェアリングしていたカローラ(17)

2020年05月07日11時58分 渡辺周

(読むために必要な時間) 2分30秒

竹村さんが住んでいた独身寮の駐車場=2020年4月4日午後0時15分、茨城県東海村

竹村達也はプルトニウム燃料部から技術部の検査課に異動した。1972年に失踪した竹村が動燃で過ごした最後の部署だ。

私が取材で訪れた技術部のOBは「竹村さんは自らいなくなった」と語った。水戸市内の古書店で、竹村の蔵書が見つかったという。身辺整理をしているということは、拉致されたわけではないということだ。

しかしプルトニウム燃料部に在籍し、動燃の独身寮にも入っていた竹村の元部下の証言は違う。「竹村さんは、独身寮の駐車場に愛車のカローラを置いたまま失踪した」といった。その部下は車がカローラなのに、ナンバーが「3298」で「ミニクーパー」と読めることからよく覚えていたという。

ところが、技術部のOBは語った。

「その愛車っていうのは、気の合った職場のグループで共同出資して買った車なんだよね」

「今でいう『カーシェアリング』かな。当時はまだマイカーが高価で普及していなかった。一緒に乗る時もあれば、今日はオレに貸せやっていう感じで1人でドライブに行く時もある」

私には、竹村が職場の仲間とカーシェアリングをしていたというのは違和感があった。それまでプルトニウム燃料部での部下や同僚、母校の天王寺高校や大阪大学の同級生に取材してきたが、全ての人が「竹村は友達付き合いが乏しかった」と語ったからだ。

だが技術部のOBは、竹村とカーシェアリングをしていた仲間の1人の名前を具体的に挙げた。労働組合の委員長経験者で、コーラスが趣味。コーラスでは指揮者を務め社交的な人だったという。

竹村がカーシェアリングをしていたのなら、他の仲間が引き続き使っていただけで、愛車を放置したわけではない。

ーではなぜ失踪したのでしょう?

「竹村さんがいなくなったのは、ちょうど中国が核実験をやるようになった時期で、中国の核開発の手伝いをしに行ったんじゃないかというような噂が、動燃の職員の中でたったことはあった。でも何の証拠もないことで。北朝鮮の噂は出てこなかったなあ~。その頃はまだ日本とも仲が良かったし。北朝鮮は『地上の天国』だと在日朝鮮人が帰国運動をしていたような時代でしたから」

このOBは、それ以上は竹村のことは知らなかった。同じ技術部でも課が違った。

私は竹村が失踪する直前の技術部の職員名簿のうち、竹村と同じ検査課に在籍していた職員の住所を割り出した。仙台に向かった。

(敬称略)

=つづく

*北朝鮮による拉致の目的とは何か、日本は核を扱う資格がある国家なのか ──。旧動燃の科学者だった竹村達也さんの失踪事件について、独自取材で迫ります。この連載「消えた核科学者」は「日刊ゲンダイ」とのコラボ企画です。「日刊ゲンダイ」にも掲載されています。

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