保身の代償 ~長崎高2いじめ自殺と大人たち~

問題視の第11章「責任から逃れたい大人たち」こそ不可欠–共同通信編(17)

2023年06月09日21時19分 中川七海

共同通信は、記者・石川陽一が著書『いじめの聖域』の第11章「責任から逃れたい大人たち」で長崎新聞を批判したことを問題視した。審査委員会にかけられた石川は社内で孤立し、味方はいない。

そこに現れたのが、長崎市内で学習塾を経営する佐々木大だ。石川の著書の正当性を訴える意見書を共同通信に提出した。

佐々木は、問題となっている第11章は不可欠だと意見書で綴った。

長崎新聞・堂下記者「共同の記事は事実を歪曲」

2021年2月10日、佐々木は長崎県庁にある県政記者クラブで記者会見を開いた。海星学園は、福浦勇斗(はやと)の自殺はいじめによるものだという第三者委員会の報告書を否定し、対外的な説明を避けていた。佐々木は、海星学園の卒業生や保護者らとともに、海星学園に説明を求めるための署名活動を立ち上げ、会見で報告した。

記者会見の後、佐々木は県の職員からある話を聞いた。

その職員は、佐々木の会見の後、長崎新聞の記者・堂下康一と話をした。その際に堂下は、県を追い込むことになった石川のスクープに言及して次のように言った。スクープとは、勇斗の自殺を「突然死」とする海星学園から遺族への提案を、県が追認していたと報じたものだ。

「共同の記事は事実を歪曲している。自分は長崎新聞では使わないように言っている。共同は紙面がない。長崎新聞が使わなかったらネットにしか流れない」

共同通信の記事は、遺族が石川に託した録音に基づいている。そこには、海星学園、県、遺族のやりとりが記録されている。佐々木は意見書で、事実を歪曲していると堂下が言うことは「遺族を冒涜」するようなものだと断じ、こう書いた。

県庁内で平然とこのような会話が行われていることに、長崎のメディアの問題の根深さ、事態の深刻さを痛感しています。

堂下の発言は、石川が著書で書いたことを裏付けるものでもある。

石川は、長崎新聞が勇斗の事件をめぐる共同通信のスクープを報じなかったことを、「地元メディアは黙殺」と表現した。

これに対し、長崎新聞と共同通信は、長崎新聞への名誉毀損であると主張し、石川を追及している。だが、堂下の県職員への発言は「黙殺」を自ら認めるものだ。

長崎新聞の中で、意図的に共同通信の記事を取り扱わないように指示されていたことは明らかです。

海星高校長「騒いでいるのは県外のメディアばかり」

地元メディアと行政のなれ合いが何をもたらすのか。佐々木は、勇斗の自殺の後に海星高校の校長・武川眞一郎と会話した時の出来事を記した。

「騒いでいるのは県外のメディアばかりでしょう。県内の記者の皆様には、学校の立場を良く分っていただいている(371p 13行)」。この発言の際、武川校長は私を憐れむような態度で諭すような話し方でした。あなたは何も知らないんですね? と言わんばかりでした。

 

<中略>

 

この一言が私に署名活動を開始する覚悟に繋がりました。

この武川の言葉が何を表しているのか。

行政とメディアの慣れあい体質が、海星の事案の温床になったことも間違いないと確信しています。

 

本書では、行政の不誠実についても徹底的に追及していただいており感謝しています。

 

<中略>

 

長崎では色んな感覚が麻痺しているのだと思います。その結果、子ども達が不当に傷つき、命まで断つ事件が頻発しています。こうした欠陥と向き合うためには、当時の状況をありのままに記す第11章は不可欠であったと考えます。

「本書の価値は計り知れません」

共同通信が石川という貴重な記者を潰さないことを願い、佐々木は、意見書を次のように締めくくった。

もはや長崎の地元メディアには健全なジャーナリズムは存在しないとすら思えます。これでは地域は発展しないし、子どもたちや弱者を救うことはできません。そんな長崎ができる限り同じ過ちを犯すことがないよう、長崎の「事なかれ主義」やなれ合いを明らかにして、一石を投じてくれた本書の価値は計り知れません。

 

<中略>

 

メディアが機能不全を起こしている長崎において、ジャーナリズムの精神を全うしてくださる共同通信に敬意を表します。同時に、赴任地を離れてまで健全な批判活動を続ける著者に深く感謝いたします。一般の方々のみならず、むしろメディアに携わる方々が石川陽一記者のジャーナリストとしての姿勢を称賛しています。

長崎新聞社=2023年6月9日、中川七海撮影

=つづく

(敬称略)

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