夏休みが終わる。早くクラスメートや先生に会いたい子も多いだろうが、憂鬱で仕方ない子もいると思う。
それぞれの心の内を知ろうともしないで、集団に合わせることを強いる。そういう学校が辛いのではないか。
私が通っていた小学生では父親参観があった。3年生の時、自分の父親について作文を書き、当日発表するよう担任から指示があった。
その課題が出された時、ハラハラした。クラスには、父親と住んでいない生徒がいたからだ。彼女は児童養護施設で暮らしていた。
当日が近づいたある日、授業中に彼女が堰を切ったように泣き出した。慌てて担任が席まで行くと、「お父さんがいないから作文が書けません」と言う。担任は「児童養護施設の先生のことを書いてもいいから」と必死になだめる。
父親と暮らしていない生徒に、父親参観の日に作文を書いて発表しろと言えばどうなるか。生徒が泣き出してから気づいてどうする。父親がいる生徒たちの中にも、父親との関係が良好ではない子どもがいたはずだ。
担任の無神経さに腹が立った。彼女は給食でご飯が余るとおにぎりを作ってくれるような先生で、人気はあった。だが肝心なところが欠落していないか。生徒一人ひとりをよく観察し、その心中に想像力を働かせていない。自分が受け持つ40人を一塊で捉えていたように思う。
一方で「こんな先生もいるのか」と心を打たれた人もいる。
2006年7月26日付の産経新聞朝刊に、コメディアンの池乃めだかさんの半生を描いた記事が載った。タイトルは「小学校時代の恩師、夭逝」(文・金森三夫、写真・林俊志)。私は子どもの頃からめだかさんの大ファンで、特に猫の真似をする芸が好きだ。引き込まれるように読み始めた。以下のような内容だ。
父親が幼い頃に家を出た。兄弟との縁も薄く、中学2年生からは独り暮らしを始めた。新聞配達や生活保護で学校に通った。
心の支えになったのは、小学校5、6年生の時の担任、宇野登先生だ。
宇野先生は自分のことを特別扱いしたわけではない。だが、学期末に渡す通知表は他の生徒たちとは違っていた。余白がなく、びっしりメッセージが書き込まれている。身長や体重を記入する裏面まで宇野先生の字で埋まっていた。例えばこんなメッセージだ。
「いろいろ問題を抱えて苦労しているのに態度に出さず平然としている中井君(めだかさんの本名)は立派だと思う。先生はちゃんと見ているよ。そのファイトでがんばってほしい」
宇野先生は、自分が中学生になってからも「がんばってるか」と家に顔を出してくれた。
社会人2年目の時、宇野先生がガンを患った。見舞いに行ったが「よう来てくれた」と消え入るような声。42歳で亡くなった。「ほんとに純粋に、代わってあげたい」と思った。
誰かたった1人でいい、自分のことを理解してくれる人がいれば頑張れる。集団の中で孤独を感じる子どもには、その1人が重要なのだと思う。

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