編集長コラム

のれんに腕押しの国で(153)

2025年03月22日18時25分 渡辺周

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Tansaでは2週間に1回、勉強会を開いている。

ジャーナリズム作品や論文を題材にして、各自が感想と質問を用意して臨む。ただ勉強するだけではない。日頃の取材や発信にどのように落とし込んでいくか。そこまで議論する。

先日の勉強会では、政治学者・丸山真男の『超国家主義の論理と心理』(岩波文庫)を取り上げた。この論文は、1946年に岩波書店の「世界」に掲載された。なぜ日本が破滅的な戦争をしたのか。丸山は、日本の国家権力の内実を分析した。

「ナチスの指導者は今次の戦争について、その起因はともあれ、開戦への決断に関する明白な意識を持っているにちがいない。然るに我が国の場合はこれだけの大戦争を起しながら、我こそ戦争を起したという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。何となく何者かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき実態は何を意味するか」

「我が国の不幸は寡頭勢力によって国政が左右されていただけではなく、寡頭勢力がまさにその事の意識なり自覚なりを持たなかったということに倍加されるのである」

この論文を題材にしたのは、日本の政治を取材していると、同じ状況が金太郎飴のように現れるからだ。

Tansaは、安倍晋三元首相の国葬実施が決まる過程を明らかにするため、内閣法制局と官邸の協議を記録した文書を開示請求した。だが官邸は「記録を取っていない」「捨てた」。内閣法制局はその協議では「意見なし」だったという。

「ふざけるな、ないはずないだろ国葬文書」ということでTansaは国を提訴しているわけだが、丸山風に表現すればこんな感じだろう。

「我が国の場合は、反対の世論が湧き起こる中で国葬を実施しながら、『我こそ国葬を決めた』という意識がこれまでのところ、どこにも見当たらない。首相は『内閣法制局としっかり協議した』と法制局のせいにし、当の法制局は『意見はなかった』と言う。法制局との協議に参加した首相の部下たちは、『記録を取ってないか捨てたので誰の意見がどのように反映されたのかは分からない』と、知らぬ存ぜぬを決め込んでいる」

「我が国の不幸は、自民党と取り巻きの官僚によって国政が左右されていただけではなく、そうした勢力がまさにその事の意識なり自覚なりを持たなかったということに倍加されるのである」

丸山の日本の権力に対する見方は、おおむねその通りだと思う。

だが足らない視点もある。

それは権力の一角を担う人たちは、自身の権力と責任に無自覚であると同時に、責任を取らされることには敏感で、それを回避するため悪知恵を働かせるということだ。だからこそ、あるはずの文書を隠蔽するのだ。

3月12日、国葬文書隠蔽裁判の第2回口頭弁論があり、その後に傍聴者向けの説明会を開いた。参加者からこんな質問があった。

「今回の裁判は『のれんに腕押し』になりはしませんか」

核心を突いた質問だと思った。政府は「文書を出さない」ではなく、「文書はない」と主張している。相手が「ない」と言っているものを、出させるのだからハードルは高い。

しかも官邸は、内閣法制局との協議に出席した官僚の名前と役職さえも「記録を取っていないか、取ったとしても捨てた」と隠蔽している。のれんに腕押し作戦を徹底している。

だが、そうはさせない。

先日、Tansaは官邸の担当課の名簿を入手した。内閣法制局との協議があった当時の名簿だ。のれんの向こうで安心している当事者たちに、一歩、一歩、にじり寄っていく。

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