編集長コラム

「媚びて落ちぶれる国」にならないために(206)

2026年03月21日16時51分 渡辺周

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恥ずべき首相だ。

高市早苗首相は、ドナルド・トランプ大統領との日米首脳会談で、次のように言った。

「世界中に平和と繁栄をもたらせるのは、ドナルドだけだと思っています」

言った後、通訳が英語に訳している間はトランプ大統領を上目遣いで見つめた。

イランに戦争を仕掛けたのはトランプ大統領と、イスラエルのネタニヤフ首相だ。トランプ大統領はイランに限らず、国際法を無視した行動を取っている。米国は「世界の警察」ではなく、今や「世界の暴力団」だ。世界中に「平和と繁栄」ではなく「戦争と貧困」をもたらしている。

ニューヨーク・タイムズによると、米軍は巡航ミサイル「トマホーク」で、イラン南部の女子小学校を誤爆。児童と職員ら少なくとも175人が死亡した。高市首相はこの小学校に行って、「世界中に平和と繁栄をもたらせるのは、ドナルドだけ」とスピーチしてみるといい。犠牲者への想像力のなさは、政治家としての資質を決定的に欠いている。

だが高市首相はとにかく媚びた。出迎えたトランプ大統領は握手しようとしたのに、高市首相は抱きついた。夕食会では、トランプ大統領の息子のバロン氏が誕生日を翌日に控えていることに触れ「立派でイケ面に成長されている」と持ち上げた。会場は笑いに包まれていたが、全く笑えない。成長を容姿で褒める高市首相の神経を疑う。

媚びられたトランプ大統領が高市首相を褒めたのは、衆議院選挙での大勝だった。日本の国民もまた、媚びる高市首相を支持していると思われるのが、無性に腹が立った。

「恐るべき魔力」を持った言葉

私が常々、苦々しく思っている言葉がある。

「国益」だ。新聞各社のこの1カ月間の記事を、「イラン」「国益」で検索するだけでも312件ヒットする。「国益を最大化する」という高市首相をはじめ、政治家も記者もやたらと国益という言葉を使う。

トランプ大統領に媚びる高市首相を、批判的に捉えている記事でも、「国益」が使われている。

例えば、3月21日付朝日新聞1面の「『力の支配』の現実 越えてこそ」で、政治部次長の園田耕司氏はこう書いている。

「トランプ氏への追従で短期的にはうまく立ち振る舞っているように見えても中長期的に日本の国益にかなうのかは疑問だ」

国益とはどういう意味と作用を持つ言葉なのか。私が社会科学者の花田達朗さんと執筆した『自由への逃走』(旬報社)では、国民国家と合わせ次のように説明している。

国民国家という国家の作り方は「国民」、「領土」、「主権」の3要素から構成するやり方です。その特徴は3要素をより強固にし、拡大させようという膨張的な力学が働くことにあります。英国をはじめとする西欧諸国、つまり先進資本主義諸国が、強大な軍事力を背景にアフリカやアジアを植民地化していったのは国民国家を原理としていたからです。当初は国家と距離を置いていた市民たちが、この段階では「国民」へと変化させられ、同時にみずから進んで「国民」へと変化し、国家と一体となったのです。「国民」が自分たちの生活を豊かにするため、領土や主権を拡張しようとする国家を後押ししたのです。これをナショナリズムと呼びます。そこで使われる言葉は「国益」(ナショナル・インタレスト)です。西欧列強は新しい市場、豊かな資源、安い労働力を求めて自国の領土の外に出て行って、自分たちの間で勝手に地球を分割していき、植民地にした地域の人々をどんなに苦しめたとしても、自国の国民に利益になるのであれば何でも許されたのです。「国益」という言葉を持ち出せば、国内のどんな異論も排除できます。恐るべき魔力を持った言葉です。こうして国家と社会は癒着していきます。

国益を判断軸にしている限り、為政者への真の批判は成立しない。普段は多少の批判はしても、外と対峙する時は「ここは身内でまとまりしょう」となる。

今回の日米首脳会談は典型的だった。報道に接している限り、随行したマスコミの記者たちは、高市首相に異を唱える質問をしていなかった。「チーム高市」の一員にしか見えなかった。

二度の世界大戦を経て世界が学んだのは、国益を突き詰めれば取り返しのつかない惨事になるということだ。自国の利益を中心に行動することを放棄する勇気が必要なのだ。

「国益」という言葉を捨てなければならない。まして、権力監視が使命のジャーナリストが使う言葉ではない。「国賊」などと世間から罵られたとしても、超然としていればいい。

朝日新聞の園田氏の論考にしても、「国益など無視してもいい、ミサイルで子どもが命を落とすようなことは絶対に許さない」という意思を見せない限り、「力の支配の現実を越える」と書いても虚しさを覚える。

宮沢答弁「もう少し高い理想を持った国」

結局、矜持の問題ではないかと思う。

1976年5月14日、衆院外務委員会でのことだ。民社党の永末英一氏が「日本が武器を輸出してはどうか」質問した。

1970年代は二度にわたるオイルショックに見舞われた。1973年の第4次中東戦争と1978年のイラン革命を機に起きた。ガス・電気料金が30%、物価全体も20%上がって「狂乱物価」とまで言われた。原油価格の高騰で貿易収支も悪化した。永末氏の質問は、アメリカをはじめ武器を輸出することで儲けている国があるのだから、日本も追随すればいいという趣旨だった。

外務大臣の宮沢喜一氏が答弁に立った。15年後の1991年、首相に就任する自民党の政治家だ。

「たとえ何がしかの外貨の黒字がかせげるといたしましても、わが国は兵器の輸出をして金をかせぐほど落ちぶれてはいないといいますか、もう少し高い理想を持った国として今後も続けていくべきなのであろう」

それから50年。高市首相は武器輸出の推進にやる気満々だ。3月17日の参議院予算委員会では、1976年の宮沢答弁について公明党の西田実仁氏に問われて言った。

「同志国を増やし、地域の安定を実現しなければならない。時代が変わったと感じる」

「産業につなげお金を稼ぐことが、落ちぶれたことだとは思わない」

勝手に「時代が変わった」と言わないでほしい。媚びて落ちぶれるのは高市氏だけにしてほしい。「同志国」もトランプ大統領に媚びている限り増えず、逆に孤立するだろう。

朝日新聞が3月14日から15日にかけて実施した世論調査では、米国によるイラン攻撃について82%が「支持しない」と答えた。

3月19日の国会周辺のデモには、約1万人が参加した。

日本社会を構成する市民たちは、落ちぶれていない。

首相官邸ホームページより

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