編集長コラム

本当のグローバル企業であるために(72)

2023年08月12日20時14分 渡辺周

FacebookTwitterEmailHatenaLine

中川七海は8月10日、ダイキンの広報に4回電話をかけた。ところが誰も出ない。夏休みではない。ダイキンのホームページの「夏季休業のお知らせ」には、休業期間は8月11日から20日までと書いてある。「企業の広報でこんなことありますか」と中川。人手が足らなくて担当者が出払う中小企業ならまだしも、広報専門の部署を置く大企業でそんなことはあり得ない。

中川が電話をしたのは、8月4日の質問への回答を催促するためだ。この日、国連の「ビジネスと人権」作業部会のメンバーが記者会見を開き、ダイキンによる大阪でのPFOA汚染について「汚染者負担の原則に基づき、事業者が責任を」と明言した。ダイキンはどう対応するのか、中川はダイキンの広報に質問した。だが回答は返って来ず、そのままになっていた。

なぜ電話に出ないのか。中川の電話番号を登録しておいて、「やば、Tansaの中川だ」と逃げているのか。広報が早めに夏休みを取っているのか。よく分からないが、はっきりしているのは、ダイキンは中川からの今回の質問を放置しているということだ。

取材を始めた当初は、何かしらの回答があった。むしろ、強気の回答をしてきた。2021年10月、淀川製作所付近の住民9人が血液検査を受けたところ、全員から高濃度のPFOAが検出された。この時ダイキンの広報は、次のように回答している。

「弊社はPFOAを過去に製造・使用していた為、地域の水環境からPFOAが検出されたことは、弊社が原因の一つの可能性があるとの認識は持っております」

「弊社が原因の一つの可能性」というのは、原因ではない可能性もあるということだ。後に中川がダイキンの内部文書をもとに役員たちを詰め、「原因の一つ」とダイキンは見解を変えたが、当初は自分たちが汚染源ではないかもしれないと言っていたのだ。大阪府はダイキンが「主たる汚染源」と認めていることを考えると、相当強気である。

それが、今回の質問に対しては逃げの一手になっているのは、国連まで動き始めて困り切っているからだろう。グローバル企業であるダイキンにとって、国連の「ビジネスと人権」作業部会から指摘を受けることは、非常にまずい事態なのである。

いかにダイキンが世界中でビジネスを展開しているかは、ダイキンのウェブサイトを見ればわかる。

「ダイキングループは、海外売上高比率が7割を超え、グループ全従業員数の8割が海外で働いているグローバルメーカーです。『空調』と『フッ素化学』の技術を両輪に、国や地域ごとに異なる文化・価値観から生まれるニーズに応え、人と空間を健康で快適にする製品を提供しています」

売り上げの7割、従業員の8割が海外のダイキンが、国連を無視できるわけがない。かといって、自社が主な汚染源であることすら認めていない状況で、急な方向転換はできない。ダイキンは身動きができなくなっているのではないか。

苦しそうに息をして

アスベストを工場や造船所で吸引し、数十年経ってから中皮腫と呼ばれるがんなどで死亡していく人たちを取材したことがある。潜伏期間が長いため、アスベストは「静かな時限爆弾」と呼ばれる。

船舶の塗料会社に勤めていた男性は、69歳で中皮腫になった。20代から30代にかけての15年間、全国の造船所を飛び回った。その際にアスベストを吸ってしまった。

体力が落ちて手術ができない。抗がん剤を試したが副作用がきつくて、すぐにやめた。私が取材した時は、痛み止めの薬を飲みながら自宅で寝たきり。看病していた妻に話を聞いた。男性の部屋からは、ぜーぜーと苦しそうに息をしているのが聞こえてくる。

妻は自宅での看病に疲れ、夫の病状を悲しむ余裕がなくなっていく。夫婦げんかが増える。ホスピスに入ろうかと夫婦で相談したが、30万円の費用がかかるのに、ふたりの年金は22万円ほど。それならばと、労災を申請しようとした。ただ問題があった。アスベストを使用していた造船所に出入りした証明書が必要なのだが、夫が勤めていた会社の本社はデンマーク。支社も日本にはすでになかった。

私がデンマークの会社の連絡先を調べ、証明書を発行するよう求める文書を英語でつくった。肩入れをして当事者となってしまうことは、取材者としては自制する必要がある。それでも、途方に暮れる妻をみていると、そうも言っていられなかった。

だが男性は、デンマークの会社からの証明書を得られないまま、まもなく亡くなってしまった。

企業がビジネスをする上で、人権を侵害するようなことがあってはならないという考え方は、突然現れたわけではない。世界中の企業の苦い経験を上に、醸成してきたものだ。国連の調査団もパフォーマンスで来日したわけではない。

ダイキンは、偏狭な組織の価値観を捨て、文字通りのグローバル企業となるための行動を取ってほしい。

公益社団法人 日本記者クラブがYouTubeにアップした国連の「ビジネスと人権」作業部会の記者会見動画より

編集長コラム一覧へ