編集長コラム

帰巣(111)

2024年05月11日18時15分 渡辺周

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約束の夜7時を過ぎても、その2人はこない。待ち合わせ場所はJR赤羽駅の交番前。私の地元で飲みたいと言うから、こちらは仕事を早く切り上げてきた。相手は新聞社で働く若手の記者。仕事で足止めされているのかな、7時15分になっても連絡が来なければもう帰ろう。そう思った矢先、2人のうちの幹事役からメールがきた。

「すみません! 私は遅れますが、みんなは赤羽に着いていて商店街をうろついてます。合流してください! 」

みんな? その幹事以外に来るのは1人のはずだ。不思議に思いながら、商店街に行くとファミリーマートの前に4人がいた。大きく手を振ってくる。後から来る予定の幹事役を入れると計5人。全員、Tansaがワセダクロニクルとして創刊する準備をしていた時のインターンだ。私にサプライズを仕掛けてきたのだ。

この時の飲み会が開かれたのは、2023年の6月。創刊準備をしていたのは2016年だから、7年の月日が経ったことになる。

志と元気しかないようなチームで、夢中になりワセクロ設立に向けて前進した。当時「部室」と呼ばれていた狭い編集室で、共に徹夜の作業をしたこともある。再会に心が弾んだ。教え子が卒業後に学校を訪れた時、先生はあんな気持ちになるのではないか。

ただ、残念な知らせも聞いた。5人は卒業後、それぞれ新聞社やテレビ局に就職したのだが、2人はすでに退社しジャーナリストとは別の道を歩んでいた。未来を見出せなくなったという。別の2人も近いうちに会社を辞めるという。

創刊準備に携わった1期生だけではなく、その後のインターンたちも、マスコミ会社に就職して挫折するケースが相次ぐ。

様々な事例を要約すると、こういうことだ。

「本人が意欲を示している取材をさせない。権力の提灯持ちや社内の体裁を守る仕事ばかりをさせる。逆らえば、組織の威を借りた上司が潰しにかかってくる。同僚たちは傍観する」

元インターンたちから「取材のことでご相談があるんですけど」という連絡が、しばしばある。こういう時は大抵、取材手法のアドバイスが目的ではない。会社の中で追い込まれている時のSOSだ。

彼女ら、彼らがインターンだった時、ジャーナリストとして歩む希望を私は注入してきた。

だが、卒業後もTansaで働けるわけではない。雇う資金がないからだ。希望が、「絵に描いた餅」になってしまった。荒廃が進んだ現場に送り出した無力さに、私は責任を感じた。

「教え子」からの脱皮

たくましくなって巣に帰ってくる元インターンたちもいる。

きのう、Tansaの事務所に2人の元インターンがやってきた。今は新聞社に所属している。

Tansaでは2週間に1回、インターンたちと勉強会を開いている。仕事をしながらその都度アドバイスを受けて学ぶだけではなく、体系的かつ計画的にジャーナリズムの理念と技術を習得するためだ。きのうはその勉強会の日だった。

ある事件の遺族取材に同行したインターンは、「他者の苦しみに寄り添う」ことの難しさを勉強会で吐露した。

元インターン2人は記者になって4年目。事件や事故で犠牲者の取材を経験している。それぞれがアドバイスした。

「記者の役割は寄り添うこと以上に、記事を書いて社会に問うこと」

「犠牲者の痛みを、当事者と同じように理解することはできない。でも理解しようと思いを馳せる努力を放棄するなら、この仕事はやめた方がいいと自分は思っている。だからそうやって悩むことは素晴らしいこと」

教え子から、共に闘う仲間に成長したなと思った。

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