1946年11月3日に公布された日本国憲法は、昭和天皇が署名し、首相の吉田茂以下、内閣の大臣たちが副署した。
内閣総理大臣兼外務大臣 吉田茂
国務大臣 幣原喜重郎
司法大臣 木村篤太郎
内務大臣 大村清一
文部大臣 田中耕太郎
農林大臣 和田博雄
国務大臣 斎藤隆夫
逓信大臣 一松定吉
商工大臣 星島二郎
厚生大臣 河合良成
国務大臣 植原悦二郎
運輸大臣 平塚常次郎
大蔵大臣 石橋湛山
国務大臣 金森徳次郎
国務大臣 膳桂之助
いずれも、多くの犠牲者を出す破滅的な戦争を止められなかった面々だ。
昭和天皇は「私など戦争を止めようと思つてもどうしても勢に引づられて了った」と戦後に語っている。
斎藤隆夫は日米開戦の前年、国民の犠牲を無視して戦争に邁進する軍部を、国会での「反軍演説」で批判した。
「現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない」
石橋湛山は戦前はジャーナリストで、「小日本主義」を掲げて戦争に反対した。東洋経済新報の社説で筆を執った。
「少なくも感情的に支那全国民を敵に回し、引いて世界列強を敵に回し、なお我が国はこの取引に利益があろうか。そは記者断じて逆なるを考える」
彼らが戦後になって内閣の一員となり、日本国憲法の公布で名を連ねた。胸中にあったのは、「死者が戻っては来ない以上、戦争の犠牲者を二度と出さないことでしか、その死に報いることはできない」という思いであったはずだ。憲法の前文は、単なる美辞麗句と違い、迫力を感じる。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」
犠牲者を冒涜するな
トランプ大統領の米国は、もはや「暴力団」だ。
イスラエルと共にイランを攻撃し、最高指導者のハメネイ師を殺害した。2026年1月にはベネズエラを攻撃しマドゥロ大統領を拘束した。国際法も国連も関係ない。私の米国人の友人はトランプ大統領のことを「世界の災害」と表現したが、その通りだ。
この事態に対し、高市首相はイランを批判しても、米国には沈黙する。
高市首相は今すぐ怒れ。これ以上、トランプ大統領に媚びるな。
トランプ大統領の振る舞いが国際秩序を壊すことにつながるなど、理由はいくつかあるが、怒るべき最も大きな理由がある。それは、過去の戦争で命を落とした人たちを冒涜することになるということだ。
憲法の「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という言葉は、遠く彼方に追いやられる。

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