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不登校は「日本社会が抱える病」と言う摂津市長に、元不登校の私は思う(9)

2022年10月04日19時00分 中川七海

©︎Nanami Nakagawa

大阪・摂津市議会を傍聴した。私が手がけるシリーズ「公害PFOA」のためだが、PFOAに関する審議以外も取材の役に立つ。職員や議員の言動から、考え方や人となりを読み取れるからだ。

2022年9月26日の議会で大阪維新の香川良平議員が、ある看板について、市民から「無骨だ」と批判があることを指摘した。

私は手元のスマートフォンで、その看板を調べてみた。高さ3メートル、幅25メートルで、照明が10個もついた立派な看板だ。市の予算300万円超を使って、2016年に作られた。周りには住宅地が広がり、多くの人が目にする。

看板には「人間基礎教育」の文字とともに、次の5項目が掲げられていた。

思いやり 奉仕 感謝 挨拶 節約・環境

私はゾッとした。「人間の基礎」を行政が定め、奉仕や節約を市民に求め、それを「教育」とする。まるで、国家のために個人が従属した戦時中の日本ではないか。

答弁には、市長の森山一正氏が立ち怒って言った。「どこのどなたか分かりませんけど、無骨な看板だなんて大変失礼な話です! 」。そして、驚くような持論を捲し立てた。

「不登校、いじめ、虐待は、日本社会が抱える3大病(やまい)」

「3大病を解決するには『心の教育』が必要」

「5つの心は(人として)当たり前のこと」

PFOAについて指摘された際には、「えー」「あー」と言葉を詰まらせていた森山市長。同じ人物とは思えない迫力で答弁した。後から調べると、森山市長は2004年に市長に就任して以来18年間、「人間基礎教育」を提唱し続けてきたことがわかった。

しかし、森山市長の考えはスタート地点からおかしい。なぜ、学校に通わないことが「病」なのか。不登校が「病」だという認識を持つこと自体、不登校の子どもたちに対して失礼ではないか。彼らへの差別につながる危険性もある。

学校に行かなくても勉強はできるし、コミュニティを作ることもできる。実際にそうしている子どもたちはたくさんいる。学校へ行くかどうかは、本人が決めればいいと私は思う。

私は高校生の時、学校へ行くのをやめた。つまり、森山市長の言う「不登校」で「病」だ。だが私は、生徒を管理するためにルールで縛り、生徒同士を競争させる環境に疑問を抱き、学校へ行かなくなったのだ。おかげで、心身ともにめちゃ元気だった。

ひょっとして生徒を管理する学校の方に「病」があると森山市長は言おうとしているのだろうか、とも考えた。しかし解決策が「心の教育」であり「人間基礎教育」と言っているので、森山市長が考えている「病」の対象が個人であることは確かだ。

さらにいえば、「思いやり」だけでいじめや虐待をなくすのも無理だ。いじめや虐待は生死にかかわる。人の生死にかかわる問題を市民の良心に任せるのは、政治家や行政の職務放棄だ。

そもそも不登校を「病」と表現する人格に、「思いやり」があるといえるのだろうか。「不登校」という言葉で、学校へ行かない選択をした人を一括りにすること自体、頭にくる。戦時中のように、為政者に都合の良い人間をつくろうとしているだけではないだろうか。

 

 

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