飛び込め! ファーストペンギンズ

大阪の町工場で(12)

2022年10月25日19時07分 中川七海

シリーズ「公害PFOA」が、ひと区切りついた。取材に着手したのは私が28歳の時で、半年後に誕生日を迎え、29歳で連載を始めた。第1部が完結した今、30歳になった。29歳をまるまるPFOA取材に費やしていたことに気づいてしまった。

私は父方の祖父の、「取り憑かれた記者」という言葉を思い出した。

祖父は、大阪市内で小さな工場をやっている。目の前には阪神高速が走っていて、朝も夜も騒がしい。私が浪人生活を送った1年間と大学3〜4回生の間は、この祖父母宅から予備校や大学に通っていた。実家から通うよりも、通学時間が1時間半も短くなるからだ。だが東京で働きだしてからは、会う頻度がめっきり減った。

昨年の春、自分の記事を持って会いに行ったことがある。夕方6時ごろ、工場の2階にある自宅で待っていると、仕事を終えた祖父が上がってきた。作業着の下は、汗だくの白いTシャツを着ている。

ネットを使わない祖父に、私は印刷したシリーズ「双葉病院 置き去り事件」の記事を手渡した。2011年の原発事故時に、原発すぐ近くの病院に助けがこず、少なくとも45人が亡くなった事件の検証報道だ。自衛隊が致命的なミスを重ねていたことなど、震災後10年間伏せられてきた新事実を暴いた。

私は取材時のエピソードを話した。これまで世に出ることのなかった裁判資料を手に入れたことや、現場を歩き回って証言を集めたこと、当時の政治家を突撃取材した話を伝えた。

ページをめくる祖父が口を開いた。

「田中角栄の、ロッキードの記者が浮かんだわ。この前亡くなったな」

立花隆さんのことを言っているようだ。

「時間がかかってややこしいものからは、みんな引き揚げるねん。でもたまに、取り憑かれたようにやり切る記者がおる。七海はそういう仕事をやってんか」

私は祖父に「調査報道って知ってる? 」と尋ねてみた。答えは「知らん」だった。それがより嬉しかった。「これは調査報道です」なんて前置きしなくても、祖父は記事を見て仕事の本質を見抜く人だとわかったからだ。

あれから1年半がたった。「公害PFOA」で私は、祖父の言う「取り憑かれたように」取材をしていたのだろうか。正直、自分ではわからない。Tansaには、取材以外の仕事も溢れている。取材だって、「公害PFOA」だけをやっているわけではない。何もできないほど疲れて、1日中寝ていた日だってある。

だが、寝ても覚めてもPFOAが頭から離れなかったのも事実だ。友人や親戚に会えば、PFOAの話をしてしまう。最近では友人たちが、街中で見かけたダイキンの看板を写真に撮って送ってきてくれるようになった。「フッ素はやめて、鉄フライパンに替えたで」と連絡をくれた友人もいる。

一方で、もし毎回1つの取材テーマに取り憑かれていたら、着手できない取材が生まれてしまうだろう。取材したいテーマは溢れても、身体は一つだからだ。

果たして、29歳の私は取り憑かれたように取材していたのか。そもそも、取り憑かれるのはいいことなのか。祖父はどう思うだろうか。

 

 

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