飛び込め! ファーストペンギンズ

めげない大人(16)

2022年11月29日15時59分 辻麻梨子

先週、広島の宮島を訪れた。フリースクール「木のねっこ」の運営メンバーと、そこに通う子どもたちに会うためだ。

木のねっこの子どもたちは昨年夏から、渡辺編集長に探査報道の手法を学んできた。これまでに2回、自分たちの興味があるテーマで取材や調査を行った。その成果は冊子や動画にまとめて発表している。

今回は他のTansaメンバーも参加し、特別講座を行った。特に「模擬記者会見」が面白かった。渡辺編集長が疑惑の説明会見を開き、子どもたちは記者役だ。子どもたちは物怖じせず、相手の目を見て言いたいことを言っていた。

その姿を見て私は、自分の子ども時代を思い浮かべた。

私は学校が嫌いだった。

小学生の時はクラスで一番背が小さく、給食を食べるのが遅かった。給食はみんなが同じ量を、同じ時間で食べ切らなくてはならない。私の通っていた小学校では、食べ残すことが許されなかった。

だから私はいつも最後まで給食を食べ続けた。給食の時間が終わり、昼休みが終わり、掃除の時間が始まっても先生は許してくれなかった。それで、特に嫌いなメニューが出る日は学校に行きたくなかった。

高校もつらかった。私立の女子校で、制服もカバンも髪型も、靴下まで先生たちに決められていた。個性や成績よりも、模範的で聞き分けの良いことが評価されていた。

唯一楽しく打ち込んでいたのが、陸上部での練習だった。しかしその練習も先生が許可を出さないとできない。顧問の先生は仕事が忙しいのか、色々と理由をつけて頻繁に部活を休みにした。

ある日、私は同じ部活の友人たちと職員室まで抗議に行った。大会前なのに、また練習ができなくなったからだ。相手に文句をつけながら、私はボロボロと泣いた。練習ができないのが悲しかったのではない。そんなふうに支配されることが許せなかったのだ。

泣いているのと怒っているのとで過呼吸になり、私はその場に座り込んだ。先生たちは、そんな私を見てびっくりしていた。しかしその後も、何も変わらなかった。卒業までの毎日、どうか早く学校生活が終わることを願い続けた。

大きな相手に臆せず、おかしいと言うのは難しい。従順であることが評価される世界にいると、立ち向かう力を奪われるからだ。子どもの頃の私にはできなかった。でも今は、そのことこそが私の仕事だ。

ジャーナリストになってからも、私は変わらず弱かったと思う。権力のある相手に誤魔化されて、反論ができないこともあった。数年前に一度、東京都の小池百合子知事に、開催前の東京五輪についてインタビューをした。そのときは小池知事に語気を強められ、すっかり縮み上がってしまったのだった。

しかしそれから探査報道のやり方を学び、実践して、記事を書いた。同時に、理不尽な目に遭っている被害者の話も聴き続けてきた。次第に自分が「怖い」、「できない」と思う気持ちより、傷ついた人のために必ずやり遂げなくてはいけないと思うようになった。

今年春に連載した「虚構の地方創生」の取材では、税金が引き上げられ、生活が苦しくなる人がいるのに、平然と無駄遣いが行われていることが許せないと思った。

報道後、さまざまなメディアが取り上げたり、国会の質疑に引用されたりしたことで、自分の仕事が世の中にインパクトを与えられることを実感した。

今月始めた新シリーズは、個人の性的な写真や動画が無断で売買されている被害を報じている。責任を追及する相手は、何万人もいる動画の投稿者や購入者、被害の構図を温存するGoogleやAppleだ。被害者のことを思えば、どこまでも報じようという気持ちは揺るがない。

学校には今も、かつての私のような子どもたちが生まれているだろう。

私は、めげない大人がいることを見せてあげたい。

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