北朝鮮による拉致に、転職話で誘い出す手口があった。
日本政府が認定している拉致被害者のうち、2人はその手法で北朝鮮に連れていかれた。ひとりは神戸市外国大学生で、ロンドンに留学中だった有本恵子(当時23歳)。もうひとりは、大阪市内の中華料理店コックだった原敕晁(当時43歳)だ。
動燃の竹村達也にも、京セラや三菱原燃、旭化成への虚偽の転職話があった。プルトニウム製造係長から、技術部検査課のヒラ職員に左遷された後のことだ。
竹村失踪の捜査は、大阪府警外事課が担当している。竹村の実家が大阪にあったからだ。
大阪府警は捜査でどこまで掴んでいるのか。
大阪府警本部庁舎(撮影=渡辺周)
警察庁長官に取材依頼書を送ると
大阪府警が担当する「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」では、竹村について次のように記している。
氏名 竹村達也(たけむら たつや)
年齢 36歳(行方不明当時)
住所 茨城県那珂郡
職業 公務員
身体特徴等 身長165センチメートル 体重55キログラム
昭和47年(1972年)3月1日、茨城県下の勤務先を退職した後、行方不明となっています
職業は「公務員」、失踪状況も「茨城県下の勤務先を退職した後、行方不明」としか書いていない。
だが当然、もっと多くの情報を持っているはずだ。竹村の高校、大学時代の同級生たちには大阪府警外事課から電話がかかってきて「竹村は動燃で核科学者だったから北朝鮮に拉致されたかもしれない」と伝えられている。
大阪府警の外事課に取材をするため、まず府警の広報課に連絡した。取材趣旨を告げたが「ネットメディアの取材は受け付けていない」と断られた。
私はTansaを創刊する前は、朝日新聞で16年間働いていた。警察の閉鎖性はよく知っている。記者クラブの加盟社である新聞社や通信社、テレビ局しかまともに相手にしない。
だが竹村の失踪事件は、国家の安全保障に関わる問題である。私は2020年4月14日、当時の警察庁長官である松本光弘と、府警本部長である藤本隆史に、ほぼ同じ内容の取材依頼書を送った。次のような内容だ。
「北朝鮮による『拉致の可能性を排除できない事案に係る方々』のうち、大阪府警外事課が管轄している竹村達也さんは旧動燃(日本原子力研究開発機構)でプルトニウム製造係長を務めていた科学者です。アメリカの核研究所にも出向経験があります。国家の安全保障に関わる重大機密を持った人物の失踪は、日本のみならず国際社会の核管理を脅かしかねない事態だと捉えています」
「拉致問題の解決は安倍晋三首相の最重要政策です。警察庁が『拉致の可能性を排除できない事案に係る方々』をインターネット上で公表したのは、国民から広く情報を収集し、解決の一助とするのが目的です。報道と捜査が相乗効果を生んで、拉致問題が進展することを私は願っています」
後日、府警広報課から外事課が取材を受けると連絡が来た。2020年6月23日、大阪府警本部で対面取材することになった。
外事課から事前に質問事項を送るよう求められた。私が送った質問は4項目だ。
①竹村さん失踪時の具体的な状況
②竹村さんの失踪が発覚した経緯
③竹村さんの失踪について、北朝鮮による拉致の可能性を排除できない理由
④日本原子力研究開発機構によると、竹村さんの退職日は昭和47年(1972年)3月31日です。しかし、大阪府警のページに掲載されている竹村さんに関する情報では、退職日は昭和47年3月1日になっています。どちらが正確なのでしょうか。
「待って、期末手当をもらっていない?」
大阪府警本部は、大阪城を臨む位置にある。府庁舎の隣だ。私が1階のだだっ広い受付で用件を告げると、2人組が降りてきた。調査官の村岡修一と男性の部下だ。
簡単にあいさつを交わすと、1階の小部屋に案内された。窓もない。おそらく話の内容を録音できる部屋なのだろう。村岡調査官から「録音はせんといてくださいね」と何度も念押しされた。しかし彼らが録音をしていないはずはない。私は取材で得た様々な情報をぶつけるつもりでいた。むしろしっかり録音して欲しいのだ。
机を挟んで向かい合わせに座ると、村岡は「最初に申し上げておく」と話しはじめた。
「送っていただいた質問事項なんですけどね、こちらでも、検討させてもらったんやけど、現在まだ捜査中で結論が出てへん案件なので、期待に添える答えができるかどうかは甚だ疑問なんです。うちとしても誠意を持って対応しようとは思っています。その辺は理解してください」
そして、こう回答した。
「警察庁のウエブサイトで公開されていることをベースにした回答になってしまうんやけどね、竹村さんの失踪時の状況については、昭和47年3月1日、茨城県下の勤務先を退職したという形をとった後、行方不明になったとしか回答できないんです」
これでは、わざわざ東京から大阪に来た意味がない。
ただ村岡の言葉で、一つ引っかかったところがあった。
「退職したという形をとった後」というところだ。なぜ「退職した後」ではないのか。退職自体が偽装だったということなのか。
竹村の動燃の同僚の間では、転職話が出回っていたが偽情報だった。退職も何かの偽装工作に利用されたということだろうか。私はまずは退職にまつわることから具体的に質問していくことにした。
――警察庁のサイトには「昭和47年3月1日、茨城県下の勤務先を退職した後、行方不明となっています」とあります。この3月1日というのは退職日なんですか、それとも失踪日なんですか?
村岡が、メモに視線を落としながら答える。
「ええっと、こちらとしては、竹村さんが行方不明になったという届け出を受理する形で3月1日と捉えています」
こちらは、3月1日が退職した日なのか、失踪した日なのかを聞いているのだ。村岡の回答の趣旨がよく分からない。
――3月1日は退職した日か、それとも行方不明になった日なのかは分からないけれども、竹村さんの家族からの届け出では3月1日ということですか?
「ご家族が『3月1日に退職した後からいないんです』という趣旨のことを言われたので、申告人の方の言い値で、3月1日は退職日という捉え方をしています」
「申告人が申し出ただけの日付」を、警察庁の「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」のウェブサイトに掲載しているということだ。
竹村の退職日は、動燃の後身組織である日本原子力研究開発機構(JAEA)に問い合わせれば確認できる。実際、私はJAEAに取材して3月1日ではなく、3月31日が退職日であることを確認している。はじめに村岡が「退職という形をとった後に失踪した」という言い方をしたのは、単に竹村の退職の日付を裏付けしていないということなのかもしれない。
村岡が言う。
「ご家族は竹村さんが3月1日に退職したという認識なんです。ただね、あなたが事前に送ってきた質問状には、JAEAの情報として退職日が3月31日になってますやん。警察としては、当然関係先に調査しているんですが、届出人の話に重きを置いてるんです」
村岡は「関係先に調査している」と言うが、退職日について確認しているかは疑わしい。確認していたとしたら「JAEAに確認したら31日と言われたが、届け出人は1日だというのでそちらに重きを置いた」と言うはずだ。
竹村が退職した経緯を、大阪府警外事課はきちんと把握していないのではないか。私は退職にまつわる質問を続けた。
――竹村さんは動燃で期末手当をもらっていないんです。
村岡は驚いた様子だった。
「ちょっと待って、期末手当をもらっていない? 」
――動燃OBへの取材によると、竹村さんの期末手当が払われていないから、人事部がそれを精算しようと思って、竹村さんの転職先と思われる会社に連絡した。しかし、「そんな人は来ていません」と言われた。もし竹村さんが拉致されたのではなく、自らの意思でこれまでの人間関係を絶って失踪したならば、もらえるお金はもらってから失踪するでしょう。
村岡は、私の説明に対してそれ以上は聞いてこなかった。
=つづく
(敬称略)
消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。
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