保身の代償 ~長崎高2いじめ自死と大人たち~【学校編】

ようやく息子の自死を公表した海星学園、耳を疑った「遅れた理由」 翌日には「飲み会」(13)

2026年02月19日 13時43分  中川七海

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2017年7月上旬。

福浦勇斗(はやと)の自死から2カ月半が経ち、ようやく海星学園は、全校生徒に勇斗のいじめ自死を公表することを決めた。

教頭の武川眞一郎から、勇斗の父・大助の携帯に電話がかかってきた。

「7月7日に全校生徒が集まる宗教講話の時間があります。そこで勇斗くんの件についてお話しします」

※同級生の実名は伏せ字で表記します。

宗教講話の際に

大助は、武川に尋ねた。

「誰がどのような内容を話すのか、事前に教えていただけますか。あと、当日同席させてください」

大助がそう申し出たのには、理由があった。

2カ月前の5月7日、海星学園は保護者向け説明会を開催した。事件の公表を渋る学校側に対し、遺族が説明会の実施を再三要請して、ようやく叶った初めての機会だ。だが学校側は、対象者を勇斗と同じ中学からの内部進学生の保護者に限定。遺族も参加できなかった。

説明会後、武川から大助に報告があった。

「遺書や手記を全て読み上げました」

大助も妻のさおりも、武川の報告にホッとした。ところが、実際は違った。

その日の夜、さおりは説明会に参加した友人から電話を受けた。しかし友人は、遺書やノートなどの手記に綴られていた内容をよく把握していない。詳しく尋ねると、遺書や手記の一部しか読まれていなかったことが判明した。さらに、「遺族の意向で、亡くなったことは今日まで公表せずにいた」という説明もなされたという。

「今回も、2カ月前の説明会の二の舞にならないだろうか」

大助もさおりも、海星学園の「説明会」を信用できなくなっていた。

武川から返答があったのは、宗教講話の前日。大助の電話が鳴った。

「明日は校長の清水が話す予定でして、内容は・・・」

勇斗が自死したこと、遺書や手記を遺していたこと、そこには学校で受けたいじめの苦しみが綴られていたことなどを話すという。

大助は承諾した。

勇斗の遺書を利用

勇斗さんの海星学園中学入学式にて、(左から)校長の清水政幸氏、理事長の山崎善彦氏、担任の濵崎雅彦氏=遺族提供(画像の一部を加工しています)

翌日の7月7日、大助とさおりは海星学園を訪れた。

宗教講話は、体育館の1階で行われる。2人は体育館2階に案内され、用意された座席に腰掛けた。

カトリック系の海星学園では月に一度、宗教講話が開かれる。中学・高校の約1500人の全校生徒に対し、司祭や宗教科の教員が聖書の内容などを基に教話を行う。

宗教講話と生徒による合唱の後、校長の清水政幸が壇上から述べた。

「今日は皆さんに、悲しいお知らせをしなければなりません。高校2年の男子生徒が、今年の4月20日に自ら命を絶ちました」

続けて清水は、遺書に綴られていた内容を伝える。

「亡くなった場所のそばに遺書が置いてあり、それには『もし見つけたら、警察を呼ぶ時、もしできるなら、サイレン無しとかにして、マスコミにも気付かれないようにして、周囲の人や家族にも迷惑をかけたくないし、静かにしたいし、無かったことにできるだけしたいから・・・』とありました」

ところが、次の言葉に遺族は耳を疑った。

「そういう事情で、皆さんへの報告が遅れてしまいました」

清水は、学校として公表が遅れた理由を、まるで勇斗の意思かのように語った。

確かに、「第1発見者へ」と書き出された勇斗の遺書には、清水が言った内容が綴られていた。

だが、情報の公表について何ら記述はない。その上、遺族は全校生徒へのいじめ自死の公表を再三にわたって学校側に求めてきた。

本来、勇斗のケースのような「いじめの重大事態」が起きた場合、学校は速やかに調査委員会を立ち上げ、生徒に事情を公表・説明し、事実関係を明らかにする調査を実施しなければならない。法律で定められている。ところが海星学園は調査に乗り出さず、遺族が指摘し、要請を重ね、自死から2カ月半後にようやく公表に至った。

公表が遅れたのは、海星学園自身の失態だ。

海星学園の教職員たちは、勇斗の死を「煩わしい出来事」と捉えているのではないか。もしくは、何とも思っていないかーー。そう感じざるを得ない出来事が、その後も続いた。

全校生徒への説明会の翌日、海星学園は教職員と「育成会」役員による懇親会を開催した。育成会とは、海星学園の保護者会を指す。懇親会は年に一度の定例行事で、酒を酌み交わす「飲み会」だ。この年も、例年通りに開催された。勇斗の話題に触れられるどころか、追悼も無かった。

この時点で、大半の保護者は勇斗の件を知らなかったが、説明会に参加した内部進学生の保護者からは「なぜ自粛しないのか」という声も挙がっていた。しかし、教職員は異を唱えなかった。

後日、さおりは武川に対して、懇親会を開催した理由を尋ねた。武川は言った。

「まだ気持ちが落ち着いていなかった頃で、それが悪いと言われれば謝罪するしかない」

初盆で

第三者調査委員会は、懇親会後の7月24日に発足した。

8月6日、勇斗の初盆に教職員らが福浦家を訪れた。

校長の清水、高校教頭の武川、中学教頭の川島一麿、高校教頭補佐の大森保則、担任の岩﨑孝治、副担任の髙比良政則、学年主任の木村英夫の7人だ。

第三者委員会の調査が始まったにもかかわらず、生徒の死を何とも思っていないような言動を繰り返す教職員らに、さおりはこう訴えた。

「今回、本人が(加害者として)名前を残した子の中には、過去に別の子をいじめていた子がいたんですね。中1の時に転校した男の子がいたんですけど、その子は海星でいじめられて転校したというのを、私は転校先の保護者の方から聞いたんです。『海星でいじめられて転校してきたよ』って。勇斗からも実際に、『この子が中心になっていじめていた』って聞いていました。その子の名前が、また今回も出ていたんですよね」

勇斗が遺したノートには、いじめの加害者の実名が綴られていた。全部で11人。さおりは、その中の一人に覚えがあった。勇斗が海星学園中学の1年から2年に進級する際、さおりにこう告げた。

「■■と同じクラスになったらどうしよう」

さおりが理由を尋ねると、勇斗は隣のクラスでいじめが起きていたことを打ち明けた。

「■■が△△君をいじめてた。△△君は、それで転校してしまった」「次のターゲットになったらどうしよう」

さおりは、担任・濵崎雅彦との三者面談で、■■によるいじめが事実かどうかを尋ねた。だが濵崎は「いじめではない」と述べ、真剣に向き合ってはくれなかった。さおりは、勇斗と■■が同じクラスにならないよう、濵崎にお願いした。直後の中学2年では別のクラスだった。

しかし、中学3年以降、勇斗と■■は3年続けて同じクラスになった。恐れていたいじめにつながり、勇斗は自ら命を絶った。

教職員たちに向かって、さおりは続ける。

「何年経っても、反省する心はその子には芽生えなかったのかなって。私も保護者として、違うクラスだったけれど、いじめがいかに人を傷つけるのかを、(■■に対して)強くその時に言えば良かったなと思います」

「長男の直斗が(海星)高校3年の時も同じクラスで、いじめで学校に行けなくなった子がいたんです。長男は一生懸命、その子の家に行ったり、私も一緒に車に乗せて学校に連れて行ったりしたこともありますけど、もっと関わっておけば良かったな、と。私自身が、今回勇斗の件を通して思ったんですよね。私もどこか他人事で、もっと突っ込んで、寄り添えば良かったなと、すごく今後悔しています」

大助も訴える。

「我々は犯人探しをしているわけじゃないです。ただ本当に反省してほしいというのが、遺族としての思いなんですね。これから第三者委でどうなっていくのかは分からないですけど、学校と家庭とが一緒になってやっていかなくちゃいけないことだと思っていますので。今回のことを機に、何とか生徒さんに指導していっていただきたいです」

7人もいる教職員らは皆、口を真一文字に結び、誰も言葉を発さない。

校長の清水が、小さな声で相槌のように答えた。

「はい、はい、はい」

(つづく)

*敬称略

情報提供のお願い

 

本シリーズでは、長崎・海星学園で起きた福浦勇斗さん以外のいじめや自死についても報じていきます。海星学園で、これ以上の犠牲を出したくないからです。

 

そこで、海星学園でのいじめ及び自死についての情報を募ります。情報は、勇斗さんの事案か否かは問いません。海星学園の生徒、卒業生、保護者、教職員の方々は、ぜひご協力をお願いします。情報提供者の秘密は必ず守ります。

 

Tansaでは、情報提供に関する法律や注意点、ツールを公開しています。こちらのページをご確認の上、情報をお寄せください。よろしくお願いいたします。

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