誰が私を拡散したのか

怒りが変えた韓国社会(上)/加害者の身元公開に200万人以上が賛同(8)

2023年03月08日15時38分 辻麻梨子

(イラスト:qnel)

前回の記事で報じたように、元警察庁の四方光中央大教授への取材では、現行の法律では「動画シェア」「アルバムコレクション」、そしてそれらを提供しているGoogleやAppleを規制することが難しいと分かった。ウェブサイトやアプリ上に、違法な性的画像などを呼び込む仕組みがないためだ。プラットフォーマーも、国内で摘発されたケースはないという。

だが拡散装置がある限り、カネ儲けのための投稿は続く。なんとか規制する方法はないのだろうか。

私は2020年に発覚した「N番部屋事件」により、ネット上での性暴力が大きな社会問題となった韓国を取材することにした。韓国では、警察が事件に関係した加害者数千人を逮捕したり、複数の法律の改正が行われたりしている。

警察が全国の情報把握へ

今年2月6日から10日にかけて、私は韓国・ソウルを訪れた。

N番部屋事件では、10〜20代の犯人を中心とした集団が被害者を脅して性的にリンチし、その写真や動画を「テレグラム」というメッセージアプリで売買していた。約26万人が閲覧や取引に加わったとされており、3億円儲けていた男もいた。

事件を最初に報じたのは、記者を目指す大学生2名が作った「追跡団炎」と言う取材チームだった。2019年9月のことだ。11月には、ハンギョレがマスコミとして初めてこの問題を報じ始めた。

ハンギョレで取材チームに加わったオ・ヨンソ記者に、国会近くのホテルで話を聞くことができた。現在政治部に所属するオ記者は、席に着くなり、「急ぎの記事を書くために少し時間が欲しい」と申し訳なさそうに言う。多忙な中で取材の時間を確保してくれたのだった。

ハンギョレは、複数あったチャットルームの中でも、とりわけ悪質な虐待が行われていた「博士部屋」を取材していた。博士部屋の運営者、チョ・ジュビンは逮捕され、複数の罪で懲役42年が確定している。

「情報提供を受けてチームを作ったときは、報道というよりは、とにかく警察に早く捜査を始めて欲しいという気持ちがありました」

オ記者たちは被害の証拠を掴み、まずはソウル市警に早く捜査をして欲しいとかけあった。だが、捜査はしているという回答のみで、詳しい進捗はわからなかったという。早く被害を止めなくてはならないと考えたハンギョレは、博士部屋をモニタリングし、そこで集めた細かな情報を警察に提供した。

警察へは別の接触ルートも考えた。先輩のキム・ワン記者が、国務総理室を通じ警察庁に情報提供したのだ。そこで、博士部屋に関連した被害が複数の地域の警察署で申告されていることがわかった。警察庁はこれらの関連を確かめるため、ソウルに情報を集約することにした。

当時、ハンギョレの他にテレグラムによる一連の被害を報じるマスコミはなかった。

「メディア1社が報じるだけでは、社会的な問題にまではなりませんでした」。

1カ月ほど経ち、Twitterなどで記事は徐々に反響を呼んだが、社会を動かす大きな原動力には達しなかった。そんな中、事態を変えたのは「国民請願」だったとオ記者は振り返る。

国民請願で火がついた

国民請願とは文在寅政権下の2017年から2022年に導入された制度だ。国民が青瓦台(大統領府)のホームページに請願を登録し、30日間で20万人以上が推薦した請願に政府が回答する。請願内容は公開され、カカオトークなどのSNSアカウントから同意を表明できる。

2020年1月、N番部屋事件に関連して初めての請願を行ったのは、事件をきっかけに集まった女性たちの市民グループ「ReSET(リセット)」だった。ReSETは2019年12月に結成された。テレグラムなどのチャットルームやウェブサイトをモニタリングし、警察や管理者に通報するほか、警察・司法制度改革のための提言なども行っている。

ReSETは繰り返されるデジタル性犯罪を、根本的に解決するよう求める請願を国会に提出。1カ月で10万人が同意した。この請願が、市民の怒りに火をつけた。N番部屋事件の全貌が明らかになるにつれ、会員の名簿公開や事件の担当判事の変更を求めるなど、さまざまな国民請願が立ち上がったのだ。20万人以上が同意した請願だけでも、9件に上る。

2020年3月、博士部屋のチョ・ジュビンが逮捕されると、身元の公開と記者団へのインタビュー対応を求める請願が起こり、わずか4日間で200万人以上が賛同した。これは過去最多の賛同者数だった。

市民の声を受けた文在寅大統領は3月23日、N番部屋事件は「一人の人間の人生を破壊する残忍な行為」である発言。徹底的な捜査と法改正に取り組むことを表明した。

インタビューに応じたハンギョレのオ・ヨンソ記者=2023年2月8日、辻麻梨子撮影

活動家の連携

私は世論を押し上げたReSETのメンバー2人に会い、話を聞くことができた。

ReSETのメンバーは全員が女性。ニックネームで活動しており、お互いの本名も知らない。取材する側もできるだけ女性であることが望ましいという。

事前に取材を申し込んだときには、具体的なモニタリングの方法は教えられないと返答があった。モニタリング方法を詳細に公開することで、加害者側に対策をとられたり、別の人が模倣をしてさらに加害を拡大したりしたことが過去にあったからだ。

取材に応じてくれた、ユ・ヨンさんはReSETの活動に参加したきっかけをこう話す。

「被害に遭うのは、多くが女性です。自分も被害に遭う可能性があると考えた時、こうした犯罪を防ぐために、何かやらなければいけないと思いました。」

N番部屋事件をきっかけに結成された市民団体は、ReSETだけではない。被告の裁判モニタリングを行なったのも、新興団体の「eNd」だ。ReSET、eNd、オンラインプラットフォーム「怒る人々」は加害者の厳罰を求める嘆願を行なった。

チョ・ジュビンには4万9942枚、N番部屋事件の基となるチャットルームの創設者である、「ガッガッ(神神)」ことムン・ヒョンウクには1万9315枚の嘆願書が集まり、裁判所に提出された。

既存の団体は、「テレグラム性搾取共同対策委員会」を発足して連帯した。この委員会は、被害者に法律支援や行政支援を提供するなどの役割を果たした。

=つづく

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