誰が私を拡散したのか

それでも止まらない性犯罪/怒りが変えた韓国社会(下)(10)

2023年03月22日19時54分 辻麻梨子

(イラスト:qnel)

警察も政治家も市民の声に押されて熱心に取り組んでいる韓国は、日本の手本になるのではないかと考えたことが、私が現地を取材するきっかけだった。だが法改正にも一役買った被害者の支援団体や、この問題を熱心に取り上げたジャーナリストを取材するにつれ、事はそう簡単ではないと感じた。

2022年に新たなデジタル性犯罪、「エル事件」が明らかになったのだ。

なぜN番部屋事件後も同様の犯罪が繰り返されるのか。

子どもが使うアプリに仕掛けられる犯罪

女性たちの市民グループ「ReSET」は、N番部屋事件をきっかけに立ち上がった。匿名で活動し、メンバーの数や構成は明らかにしていない。テレグラムなどのチャットルームやウェブサイトをモニタリングして、性加害を発見すれば警察や管理者に通報している。N番部屋事件で法改正の原動力となった国民請願では、ReSETが初めて国会に請願書を提出した。

請願書は、デジタル性犯罪を繰り返さないための根本的な対策を求めるものだ。だが今も、N番部屋事件と同様の性加害は止まない。警察や活動家などを騙って、被害を公表している被害者に近づき、個人情報を入手しようとする悪質な手口も見られる。

10代を性搾取から守る活動をする10代女性人権センターにも、デジタル上で被害に遭う子どもたちからの相談は絶えない。N番部屋事件後も、加害者たちは次々にプラットフォームを移動し、加害を繰り返す。クォン・ジュリ事務局長が言う。

「性搾取はチャット機能がついたものであれば、どんなプラットフォームでも起きています。フリマアプリやゲームアプリなど、子どもたちがよく使うツールに、加害者たちが参加して犯罪を仕掛けているのです」。

2022年には新たなデジタル性犯罪、「エル事件」が明らかになった。活動家を騙った「エル」と名乗る加害者が被害者に連絡を取り、ハッキングや脅迫によって性的な画像を送らせ、それを拡散したのだ。これまでに判明した被害者の中には、中学生や小学生までもが含まれていた。

エル事件でも使用されていたのは、テレグラムだった。

10代女性人権センターのクォン・ジュリ事務局長=2023年2月8日、辻麻梨子撮影

外国企業にはお手上げ

なぜ同様の犯罪が繰り返されるのか。

まず、外国のプラットフォーマーを取り締まることができない点が挙げられる。せっかく法律が改正されても、外国に拠点があるプラットフォーマーは規制の対象外なのだ。

N番部屋事件やエル事件で犯人たちが使っていたのはテレグラムだ。だが、ロシアで誕生し、現在は拠点をU A Eのドバイに置く企業であるために、これらの事件後に何の法的責任も負っていない。警察の捜査さえ行われなかった。

だが韓国では、国外の事業者に対して全く手を打っていないわけではない。国外の事業者が画像の削除要請に応じない場合に、そのプラットフォームへのアクセスを韓国国内から遮断できる措置を講じている。

画期的な案に思えるのだが、実態との齟齬がある。利用者が国外のサーバーを経由してインターネットにアクセスできるVPNなどの方法を使えば、簡単に無効化されてしまうのだ。

インターネット上の性犯罪は国境をまたぎ、多くの犯罪者は身元を特定されないよう、発信元を識別するためのIPアドレスを外国に迂回させるなどして犯行に及ぶ。そのため、国内からのアクセスを遮断するだけでは根本的な解決にはならない。

一部の大企業しか規制対象にならないことも、犯罪が絶えない理由だ。例えば、「電気通信事業法」はプラットフォーマーなどに対し違法撮影物の流通防止策を義務付けている。しかし、「1日あたりの平均利用者数が10万人以上いる事業者」などの基準が定められ、大きなプラットフォーマーのみが対象になっている。

プラットフォーマーを取り締まれない上に、性搾取を行う犯人に対する警察の捜査も鈍化している。

ハンギョレのオ・ヨンソ記者は、「N番部屋事件以降、警察の捜査は再び手ぬるくなっている」と話す。モニタリング結果を警察に情報提供しているReSETも、警察から回答を得るまでに少なくとも2週間から1ヵ月がかかっている。その頃にはすでに犯罪で使われたプラットフォームなどのリンクが削除されていることが多いという。

ReSETのメンバーは、次のような発言を警察から直接聞いたこともある。

「どうせ捕まえられないから、捜査終了で処理する」。

冷めゆく社会の熱

プラットフォーマーを規制するための法の不備、国境を越えるインターネット犯罪への警察の捜査能力不足に加え、最も深刻だと私が感じたのは社会の熱の冷め方だ。ネット上の性犯罪を絶対に許さないという社会の意思が弱まれば、更なる法整備も警察の捜査能力の向上も望めない。

ReSETのメンバーの一人は、N番部屋事件後、デジタル上での性犯罪に対する関心が再び下がっている点を挙げて言う。

「もともと性犯罪に対する意識が低い中、N番部屋事件など一部の『特異な』事件だけに関心が集まった。しかし実際には、N番部屋と同様の手口は過去にも現在にも繰り返され、今もなお続いているものです」。

関心が下がったどころか、活動家に対する嫌がらせも行われている。ReSETは、「政府機関から不当に金銭支援を受けている」と虚偽の情報を流された。メンバーを募集するためにチャットルームを開設すると、そこに何者かが侵入してセクハラをされたこともある。ReSETのメンバーであると嘘をつき、寄付金を集めようとした者もいた。

ReSETだけではない。10代女性人権センターも嫌がらせを警戒する日々で、事務所のビルに看板は掲げていない。

ReSETのメンバーは言う。

「N番部屋事件の本質は、韓国社会に深く根付いている女性差別。これ以上加害を増やさないためには、市民社会の認識の変化が急務です。性的搾取物を、罪悪感を抱かずに軽く消費できる人たちがいる以上、犯罪を根絶することは難しいでしょう」。

=つづく

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