Tansaユース合宿

学校の「こうあるべき」が壊すもの(1)/ユース合宿作品紹介(2)

2023年09月06日17時24分 Tansa編集部

「Tansa ユース合宿作品紹介」の2回目の筆者は、叡啓大学3年の成毛侑瑠樺(なるげ・うるか)さんです。「学校の『こうあるべき』が壊すもの」をテーマに、3週にわたって報じます。

自己否定の末に

多様な観点からみれば問題のないことも、学校や教師の「こうあるべき」という価値尺度から外れていれば問題のある生徒だと評価されることがある。

かつて問題児として扱われた20代のSさんは小学3年生の頃の担任を思い出して言った。

「謝ってほしい、何回でも謝ってほしい、毎日死ねって思ってる、一番嫌い、ここから私が壊れ始めた」

私自身も当事者のひとりである。

小学3年生から不登校になった。教師や学校は、私に問題があると決めつけ、その問題を治そうと躍起になっていた。私自身も「問題がある」と思ってしまい、自分が嫌いだった。

文科省は2016年に「不登校は問題行動ではない」と通知を出した。観点を変えれば、問題は問題ではなくなったりする。

しかし、「こうあるべきだ」と生徒を評価し、指導する教師も多い。Sさんのように卒業後も心の傷を抱え続けなければいけない人、私のように自己否定をする人、自死を選ぶ子どもたちまで生み出してしまう。

なぜ日本の学校では、価値尺度が一本化されてしまうのか。押し付けられる生徒と、押し付ける教師双方の心の内を取材して見えてきたのは、個々人の問題としては片づけられない構造的な問題だった。

成毛侑瑠樺・叡啓大学3年生

2つの理由からユース合宿に参加しました。一つは情報が溢れる世の中で、正しい情報を見極められるようになりたいということ。もう一つは、ずっと関心を抱いていた教育の問題をより深く取材するためです。学校で否定されている子どもたちが記事を読み、学校だから仕方ないではなく、「怒っていいんだ」と思えるようになったらいいなと思っています。

廊下の小窓から生徒の様子を見張る教師 

私が不登校になった最初の理由はよくはわからない。ただなんとなく学校の雰囲気が苦手で楽しくなかった。

小学2年生のとき、担任が授業中によくヒステリックになっていた。普段は優しくて面白い先生だったが、授業中に内容を理解できない生徒がいれば「なんで勉強してるの? 」と生徒を何度も怒鳴りつけたり、黒板に貼った模造紙でできた教材を破ったりしていた。

ヒステリックになったあとは決まって、「職員室に戻る、授業をしない」と言って教室を出て行く。しばらくすると、廊下の小窓から生徒たちがどう動くのか様子を見張った。

もし生徒たちが何もしなければ担任は「なぜ謝りにこないのか」と再度怒り出した。

そんなことが何度か続き、段々と学校は私にとって居心地の悪い場所になった。

無理やり部屋に入ろうとした担任

中学でも不登校だった。

1年生のある日、担任の先生が家庭訪問に来ると母に伝えられた。よく知らない相手と話すのも「学校に来い」と言われることも怖く、私は部屋に鍵をかけて隠れた。12歳の私にとってはそれが必死の意思表示だった。

家に来た担任は、リビングで母としばらく話していた。早く帰らないかなあと考えながら様子を伺うためにドアに近付くと、突然ドアノブが「ガチャガチャガチャ」と何度もひねられた。担任が部屋に無理やり入ってこようとしていた。何かを話しかけられていた気がする。でも動悸が激しくて聞こえなかった。

暫くして帰ったことを確認して部屋を出ると、溜ったプリントが入れられた封筒に担任からメッセージが書かれていた。

気持ちがぐちゃぐちゃになった。「生徒に呼びかけ、文章を綴るほどの思いやりがある」、「無理やり入ってこようとしたことも情熱のある指導である」と受け止めなければいけないように感じて気持ちが悪くなった。

 「いい生き方をしている」と言ってくれたひとりの教師

私自身、不登校になってしばらくは、自分の価値尺度で、不登校はだめな存在だと思っていた。周りから否定されることはだめなことで、学校は“絶対”に行かなければいけないと思い込んでいた。不登校である自分が嫌いで仕方なかった。毎日、消えたくて、死にたくて、普通になりたかった。

周りの大人も嫌いだった。当時の私にとって大人は、私の話を聞く前から「不登校の可哀想な子どもを助けてあげよう」という気持ちが透けて見える嫌な存在だったからだ。

そんなときに、ひとりの教師に出会った。70代の女性教師で、1年生の途中で始めた別室登校で出会った。その人は、1つの価値尺度から私がどういう人間であるかを決定せず、対等に会話をしてくれた。

ある日、家や別室でどのように過ごしているかを話すと「いい生き方をしてるね」と言ってくれた。その時に初めて私は、「自分はこれでもいいんだ」と思えた。そこから、自分を1つの価値尺度に当てはめようと思い悩む必要はなくなり、他の生徒や教師との自分の違いを認められるようになった。

私は間違っていて、ちゃんとした人間ではない 

中学3年生になった後も別室登校をしていた。3年間の間に何度か教室に通ったり修学旅行に参加したりもしたが、自分には合わないことがわかり再度別室登校を選択した。

勉強をするのが楽しかった。特に数学や公民が好きで、勉強をする度に世界の理解度が深まっていくように感じてわくわくした。また数人の友達や後輩ができ、休み時間に話をしたり、休日に遊びに行ったりすることもあった。教室に通っていなくとも、私にとっては充実した中学生活だった。 

卒業式が近づいたある日、卒業アルバムの集合写真を撮ろうと数人の教師が呼びに来た。別室でほとんどの時間を過ごした私にとって集合写真を撮る理由はそこまでない。断ったところ数分間説得され続け、痺れをきらした1人の教師が他の生徒を呼びに行った。

私を呼びにきた大勢の女子生徒に、私が座る椅子の周りを囲まれた。数分もの間一緒に行こうと言われ続けた。初めから意思を伝えていたのになぜこんなことになるのかわからなかった。大勢に囲まれたパニックと、呼びにきてくれた生徒への申し訳なさで、喉に何かがつっかえる感覚があり言葉が出なくなった。ただただ、1人で下を向くことしかできなかった。教師も善意の行動であったと思うが、こちらの意思を初めから伝えているにもかかわらず、一方的に行動を決定することに疑問や逃げ場のない感覚を持った。

卒業式に出るつもりもなかった。別の日に、その旨を教師に伝えたところ「卒業式“くらい”は出ようよ」と言われた。どんなに自分では自身のことを認めても「学校や教室に通うべき」という価値尺度の中では、どこまで行っても私は問題がある生徒なのだ。「卒業式“くらい”は出ようよ」というその言葉でそれを思い出した。

3年間、このような周囲の言動から、学校や教室に行かない私は間違っていて、ちゃんとした人間ではないと否定されたように感じることが多々あった。そういう人間だと認識していたことで、私の意見や意思に耳を傾けない一方的なケアや、無理やり学校や教室に連れて行こうとする教師がほとんどだった。

学校に行くことを良しとする価値観は何ら問題ない。しかし、「全員こうあるべき」というように、価値尺度を一本化することでそこから外れる人間を否定することは正当化できないと私は考える。

一本化した価値尺度から外れた生徒を否定した場合、その後の人生に暗い影を落とす。Sさんの取材を通し、私はその深刻さを知ることになる。

イラスト:成毛侑瑠樺

=つづく

2022年6月〜2023年8月にかけて、「Tansaユース合宿」に参加した若者たちが探査報道の作品づくりに挑戦しました。Tansaユース合宿とは、記者や研究者などの大人を対象にした探査ジャーナリスト養成講座「Tansa School」を、若者向けに再構成したプログラムです。これまでの合宿の様子はこちらからご覧ください。

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