編集長コラム

にんじんの花(65)

2023年06月24日19時32分 渡辺周

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にんじんが花を咲かせるという。

Tansaでスクール事業や広報、国際交流を担う新メンバー、高橋愛満(まなみ)の昨日のメルマガを味読した。

皆さんは、にんじんがどんな花を咲かせるか知っていますか?わたしは、数えきれないほど食べてきたその実に花があることを、お百姓さんに教えてもらうまで想像すらしたことがありませんでした。にんじんの花を知らなくても生きられる社会かもしれません。でも、せっかく生きているからには、自分のいのちや暮らしの手綱を握っていたいです。こちらの都合で切り取って見た一部を、全部と思い込むことのないように。もしかすると感性を大切に、枠を外して可能性を伸ばす環境が必要なのは大人のほうかもしれません。

2017年2月にTansaの前身のワセダクロニクルを創刊して6年4ヶ月。怒涛の日々で、あっという間だった。にんじんが花を咲かせることをお百姓さんに教わるような、ゆとりある豊かな時間をなかなか持てなかったなあと思う。目標に向かい猪突猛進するほど、見落としてきたものがあったのではないか。

記者の仕事を始めたばかりの時は、「にんじんの花」を探す毎日だった。担当は警察取材だったが、任地の島根県松江市は事件が少ない。その分、地元のまちを取材して回り「まちだね」をよく書いた。

当初は自家用車を運転してまちに出動していたのだが、これはダメだった。運転しているとキョロキョロできないし、外の景色が流れるので、気づきがない。

次に自転車に切り替えた。自動車よりマシだが中途半端。歩くことにした。

発見が多くなり、ゆったりとした中でアイデアを思いつくという二つの効果があった。

ある日、松江城の近くの住宅街を歩いていて、こぢんまりとした動物病院をみつけた。その佇まいが妙に気になった。インターフォンを押すと、77歳の院長が「まあ、お入り」と中に入れてくれた。

彼は1955年に開業して以来、城のお堀のコブハクチョウから、野良猫まで地域の動物たちを手当てしてきたという。飼い主ではないが、交通事故に遭ったイヌや、バイクに轢かれて甲羅が割れたカメを持ち込む人もよくいる。そんな時は料金をとらない。

ムツゴロウさんみたいな人かと思ったが、本人は「動物好きなわけでもない」という。「ではなぜ ? 」と聞くと、こんな答えが返ってきた。

「父親は軍人で、戦争中とはいえ、多くの人の命を奪いました。息子の私が動物の命を救うことで、少しでも追善供養がしたい。動物も一つの命ですから」

その人の心の内は、しっかり向き合って話を聞かないと分からないものだなと、取材の大切さを実感した。

これは松江が7月に入り5日連続で真夏日を記録した時のことだ。

お天気もののニュースで、暑い日の場合は大抵、子どもたちが公園で水遊びをしている写真を撮るのが定番だった。だが私はそのマンネリが嫌だった。

松江にサーカスが来ていると知り、ぶらぶらと会場周辺を歩いた。するとトラたちも一座にいることを知った。「これだ ! 」とひらめいた。この暑さの中、トラもぐったりしているに違いない。ぐったりしたトラの写真を撮って記事に載せようと思ったのだ。

カメラを首からぶら下げて、トラの写真を撮らせてほしいとアイルランド人のトラ使いに頼んだ。予想通り、おりの中のトラはぐったりしている。トラ使いは「OK !」と快く許可してくれたのだが、アクシデントが起きた。カメラマンが来たからということで、トラをムチで叩き起こしたのだ。

「No ! I want to take pictures of sleeping tigers !」

私は英語で訴えたが、トラたちは興奮してウロウロ歩きまわっている。仕方がない。また眠るまで待つことにした。特に忙しいわけでもない。

どれくらい待ったか忘れたが、無事トラたちは眠ってくれ、写真つきで「松江で5日連続真夏日 サーカスのトラぐったり もう帰りタイガー」という200字あまりの記事を載せた。これは私のお気に入りの記事で、20年以上経った今も切り抜きを保存している。

Tansaに新たに加わった高橋は、ジャーナリストではない。でもだからこそ、観察できることがあるはずだ。

私を含め、探査報道を担うメンバーたちが「にんじんの花」を見失うことのないよう力を貸してほしいと思う。

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