編集長コラム

237字の背後に(70)

2023年07月29日12時55分 渡辺周

FacebookTwitterEmailHatenaLine

7月24日に石川陽一さんから提訴されて、共同通信は記事を配信した。加盟社の岩手日報、秋田魁新報、産経新聞、愛媛新聞、山陽新聞が掲載した。

全文を引用する。

長崎市の私立高校のいじめ問題をテーマにした自著を巡って名誉感情を侵害されたなどとして、共同通信社の石川陽一(いしかわ・よういち)職員が24日、同社に550万円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。

本は昨年11月、文芸春秋から出版。訴えによると、共同通信社から記者としての基本動作を怠って書籍を執筆したと指摘され、名誉感情を侵害されたなどとしている。財産権と表現の自由についても侵害を主張している。

共同通信社は「今後、訴訟手続きの中で、当社の正当性を主張していく」としている。

237字。淡々と事実だけを書いているように見える。報道機関として、石川さん側でも共同通信側でもなく、「公平中立」な立場を保つということだろうか。共同通信の水谷亨社長は、2022年の入社式で新入社員に次のように語っている。

「思い込みで記事を書いたり、個人の立場や信条に左右されたり、特定の主義・主張にくみするなど、バランスを欠く取材は信用・信頼の失墜につながるので、絶対にいけません。『公正』でなければならないということです。通信社の記事は常にニュートラルでなければいけないという公平さも含んでいます」

しかし、たった237字でも、この記事は共同通信の明確な意図に基づいている。重要なポイントが三つある。

まず、長崎新聞のことに全く触れてない。今回の件は、石川さんが著書で長崎新聞を批判し、それに対して長崎新聞が共同通信に抗議したことが発端だ。石川さんに対する「社外活動(外部執筆)の了解取り消しの通知」でも、共同通信はこう書いている。

「不適切な表現により、共同通信社と長崎新聞社の信頼関係は著しく傷つきました」

それにもかかわらず、提訴を伝える記事で長崎新聞に言及していない。長崎新聞をおもんばかっているとしか考えられない。

二つ目は、石川さんが提訴した理由についてだ。「名誉感情を侵害された」ことを強調した書き方になっている。「表現の自由」については、「表現の自由についても侵害を主張」と付け加える形だ。

しかし、石川さんは他の記者たちにも影響を及ぼす「表現の自由」を守ることを特に重要視している。だからこそ、提訴に踏み切った。提訴の記者会見には、共同通信から3人が出席した。質問することも、石川さんに記者会見の前後で直接取材することもできたはずだ。それを怠ったまま、名誉感情の侵害を主軸にして提訴理由を書くのは、アンフェアだ。

三つ目は、いじめを受けて自殺した福浦勇斗さんの遺族のことが何も書かれていないことだ。私はこの点が、最も深刻な欠落だと思う。

記者会見では、母・さおりさんと父・大助さんからの手紙が読みあげられた。「まるでいじめのサイクルです」と綴られたメッセージは、今回の問題が石川さんと共同通信との争いでは済まないことを示している。なぜ遺族がいじめの構造から抜け出せないのか、広く社会で共有すべき言葉だ。

共同通信からは3人も記者会見に出席している。あえて無視したのだ。手紙には「同じことは繰り返してはならない、そのような思いで、本日、石川記者が提訴したのだと思います。私たち遺族も思いは一緒です」とも書いてある。遺族の声を載せれば、共同通信に不利になると判断し、記事に書かなかったのだろう。

訴訟の当事者としての共同通信は「今後、訴訟手続きの中で、当社の正当性を主張していく」とコメントしている。

正統性があると考えているならば、報道の中でしっかり主張を展開したらどうなのか。237字の記事で、公平中立を装うようなことはやめてほしい。

編集長コラム一覧へ