編集長コラム

公僕を装う人の面子、体現する人の誇り(81)

2023年10月14日18時50分 渡辺周

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原告全員を水俣病患者と認めた大阪地裁の判決に対し、「国」が控訴したとマスコミ各社が報じた。過去の最高裁判決が採用した科学的知見を、「国」が控訴理由として挙げているという。

だがこの場合の「国」とは、何を指すのだろうか。

文字通りの「国」であれば、そこには有権者、納税者、国民、在日外国人ら日本社会を構成する様々な立場の人が含まれる。

私の場合、有権者であり納税者であり国民であるが、今回の「国」の控訴について何の相談も受けていない。もし控訴の可否について相談されていたら、絶対に反対している。原告は高齢で時間的な猶予がない。2014年の提訴以来、すでに10人が亡くなった。裁判で共に闘ってきた仲間たちからは「死ぬのを待っているのか」という声が挙がっている。そのような悲痛な思いを当事者にさせることを、私は「国」の一員として認めるわけにはいかない。

もちろん、マスコミ各社がいう「国」が政府であり、政府の一部である環境省であることは分かっている。責任者は岸田文雄首相であり、伊藤信太郎環境大臣だ。

しかし、「国」という表現をすることで、政府に「公僕」を装うことを許してしまうことになりはしないか。「一部の人が『自分たちは水俣病である』と主張していますが、みなさまの代理人として公平な措置を取りました」と。

マスコミ各社が「国」という曖昧な表現をする一方で、政府は控訴することで面子を保とうとしている。私はそう考える。面子には2種類がある。

一つは勘違いに基づく。「政府というのは国を導くエリートが集まる集団であって、間違えることなんてない」という面子だ。

もう一つは自己保身に基づく面子だ。私は次のような物言いをする官僚にしばしば会ってきた。

「ウチの組織をいかに守れるかで自分の出世が決まる」

IT初心者がなぜ「被災者支援システム」を作れたか

面子にこだわる公務員の振る舞いにはウンザリするが、尊敬できる人物もいる。

兵庫県西宮市の元職員、吉田稔さんだ。今は地方公共団体情報システム機構の、被災者支援システム全国サポートセンター長を務める。

吉田さんは、災害時に自治体が活用する「被災者支援システム」の開発者だ。被災者の状況をオンラインシステムで一元管理し、支援物資の配給や義援金の支給、倒壊した家屋の解体に必要な手続きなどがスムーズに行うことができる。阪神大震災で手続きが大混乱する中、吉田さんがシステムを自力で作り上げた。このシステムは今、全国の3分の1の自治体で導入されている。

吉田さんは、元々エンジニアだったわけではない。入庁後は税金の徴収や、し尿・ゴミ収集の現業部門で働いた。税金の徴収では、徴収が困難な相手を担当させられた。し尿・ゴミ収集では勤務態度がよくない人たちもいたが、チームをまとめた。吉田さんが離任する時は、お別れ会が開かれて惜しまれ、吉田さんは「あの時は嬉しかったなあ」と言う。

吉田さんが現場で信頼を得るのはよく理解できる。決して偉ぶらないし、真っ直ぐだ。吉田さんとは西宮の老舗スナックでたまに飲んだのだが、この道数十年のママさんに「みのるちゃん」と呼ばれながら吉田さんはニコニコ。だがコテコテの演歌をカラオケで選曲して歌い始めると、なかなかの迫力だ。心を打つものがあった。

何より吉田さんには、公務員として市民のために力を尽くすんだという情熱があった。そうでないと、IT技術とは程遠いところで働いていた人が、被災者支援システムを一から作り上げることなどできない。自身の家族も被災して自宅が全壊したのに、吉田さんは職務を全うした。

吉田さんは「システムをITゼネコンに丸投げするのではなく、市民の暮らしに近い自治体が自前で運用するべきだ」とよく語っていた。公僕としての誇りが表れている。吉田さんのように、面子ではなく誇りを持つ公務員が今、どれほどいるだろうか。

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