編集長コラム

私の文章修行(82)

2023年10月21日13時40分 渡辺周

FacebookTwitterEmailHatenaLine

2000年2月、雪の降る島根県松江市で、私は喫茶店に入った。4月から朝日新聞に入社し松江支局に赴任することになっており、この日は東京から住まいを探しに来ていた。

店内に朝日新聞が置いてあった。新聞を手にして席に座り、これから自分が書くことになる島根版のページを開く。「楽勝だな」。これくらいの記事なら書けると思った。私は文章力に自信があった。

とんでもない勘違いだった。火事にしてもまちのイベントにしても、400字ほどの原稿がなかなか書けない。原稿を添削する役目の「デスク」に何度も書き直しをさせられた。締め切りが迫り、私に書き直しをさせている時間がない時は、デスクは私を横に座らせ取材結果を聞き取りながら自分で書いていた。

スラスラ読めて一見簡単そうな文章には、プロの技術が詰まっていると気づいた。私はいつからか、記事を書くたびに教訓を導き「文訓」として蓄積していった。64項目ある。

例えば、「母を説得するつもりで」という文訓がある。私の母親が「なるほど、その通りだね」と納得できるような文章にするためには、どのような事例を取り上げ、単語は何を選んだらいいか。母の顔を思い浮かべながら文章を書くと、分かりやすい文章になるという意味だ。

「自分は笑わない」は、書き手の感情を出しすぎると読者が白けるということ。「最初に自分が抱いた疑問を忘れない」は、取材を重ねると自分の中では当たり前になっていくが、読者も最初は同じ疑問を持つ。丁寧に説明しようということだ。

どの教訓も、「あの時の記事の教訓だ」と思い出すことができる。

元暴走族の少年たちに、ブラジリアン柔術を教えていた刑事の記事を書いたことがある。最初にデスクに提出した原稿は、「やつらは寂しいだけじゃないのか」と気づいた刑事が、ブラジリアン柔術の稽古を通して、少年たちを立ち直らせていくという内容だった。

だがデスクは「これさあ、立ち直る少年ばかりじゃないんじゃないか」と聞いてきた。刑事に再取材するとその通り。刑事との交流を通じて立ち直れる少年はごくわずかだという。その後金庫破りをした少年もいた。

デスクがいうには「理想通りにはいかなくても、こういう試みを続けているということ自体が素晴らしいじゃないか。サクセスストーリーにしようとする必要はないよ」。なるほどと思った。文訓に「塩で甘く見せる」という項目が加わった。

文章を書くごとに、少しでも達人の域に近づきたいと思うが、これがなかなかだ。「文は人なり」。技術を向上させても、書き手が人間的に成長しないといい文章が書けるようにはならないからだろう。

元暴走族の少年たちと刑事の記事での教訓である「塩で甘く見せる」にしても、刑事と少年たちのひたむきな挑戦を、自分のさじ加減で料理しようとする発想自体が傲慢だと今は思う。技術の問題ではない。取材相手への向き合い方が大切なことだった。

このコラムを毎週土曜日にお届けしているが、正直言って書き続けるのは大変だ。書く題材が枯渇するからではなく、題材を選び、文章を書き上げるまでのプロセスで、自分の内面と向き合うことになるからだ。エネルギーがいる。

それでも死ぬまで書き続けていこうと思う。

編集長コラム一覧へ