編集長コラム

あたりまえの孤独の末に(84)

2023年11月04日15時26分 渡辺周

埼玉県の戸田中央総合病院で発砲し、蕨郵便局に立てこもった鈴木常雄容疑者。マスコミ各社は、アパートで一人暮らしをしていた86歳の鈴木容疑者の動機について、連日報じている。病院の対応や郵便局員とのバイクの接触事故に不満を募らせていた。近所でも粗暴な人物とみられており、元暴力団員だという。

どれも事件を起こした理由として理解できるが、ひとつ、見落としていることがあるのではないかと思う。孤独だ。

暴力団担当刑事を長年務め、退官後は探偵をしていた人物に取材の協力をしてもらったことがある。行きつけのスナックが同じだった縁だ。彼は記者を警戒するタイプだったが、スナックのママさんが上手に間を取り持ってくれた。

ある時、彼が携帯で誰かに電話をかけ「誕生日おめでとう」と話し始めた。相手は、刑務所を出所した元暴力団員だった。自分が逮捕して刑務所に入れた相手のことは、出所後に足を洗って真っ当に生きているか気にかけているのだという。手帳にそういう人たちの誕生日をメモっていた。

「ヤクザはヤクザ、ろくでもない連中であることは間違いない。ただな、あいつらはさみしいんや」

確かにそうかもしれないと思った。ヤクザの世界では「親分子分」「兄弟分」などと、擬似家族の体裁をとっている。家族がいなかったり、縁が切れたりした人がヤクザの世界に足を踏み入れることが多い。

ガーディアンが選んだテーマ

孤独だったとして、だからどうした、孤独な人なんてあふれていると言われればその通りだ。しかし、孤独な人があふれていること自体、この状況があたりまえになっていること自体が異常ではないだろうか。

Tansaは2019年にイギリスの「ガーディアン」との共同企画で、都営団地での高齢者の孤独死を報じたことがある。年間500人超が誰にも看取られず、都営団地の一室で亡くなっているという内容だ。異臭がするまで亡くなったことに気づかれない人もいる。戦後の経済成長期を支えた人たちの「希望の住宅」が、貧困と高齢化が進み、孤独死の温床となってしまっていた。

ガーディアンからTansaにコラボの申し入れがあった。ガーディアンは世界の都市を特集する企画を展開しており、今回は東京取り上げたいとのことだった。文化や名所を紹介する観光ガイドのようなものではなく、きらびやかな東京の闇の部分を掘り起こす探査報道にしたいという。

東京五輪の汚職など、私がいくつかテーマの候補を提示した中で、ガーディアンの編集者であるクリス・マイケルさんが「ぜひこれをやりたい」といったのが、孤独死だった。孤独死は日本ではすでに多くの報道があると説明したが、それでも孤独死を取り上げたいという。

ガーディアンとTansaの双方から記事を発信した翌月、私は探査報道ジャーナリストが集まるハンガリーのセミナーに参加した。そこで知り合った何人かが、都営団地の孤独死についての記事を読んでいた。イギリスのジャーナリストは「悲しすぎる話で泣いちゃった」といった。すでに多くの報道があるからと、他のテーマをガーディアンのマイケルさんに勧めた自分にハッとした。

孤独があたりまえな社会は、人を追い込んでいくのではないか。

11月4日付の朝日新聞によると、鈴木容疑者は郵便局に立てこもっている間、「世話になった人」に電話をさせてほしいと捜査員に要求した。だが「世話になった人」たちは、長年連絡を取っていないとみられる人や、連絡がつかない人だったという。そこに私は鈴木容疑者の孤独をみる。

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