編集長コラム

夫の死の真相を追求する27年の闘い(85)

2023年11月11日14時10分 渡辺周

夫はなぜ死んだのか。国策の犠牲になったのではないのか。

1996年以来、真相を明らかにしようと今も闘っている人がいる。動燃(現・日本原子力研究開発機構)の総務部次長だった西村成生さんの妻、西村トシ子さんだ。私は2012年にトシ子さんに出会い、成生さんの怪死事件について取材を続けている。

事件の発端は、福井県敦賀市にある動燃の高速増殖炉「もんじゅ」が、1995年12月にナトリウム漏れ事故を起こしたことにある。高速増殖炉は、消費するより多くの燃料を運転しながら生み出す。「夢の原子炉」といわれ、1960年代から日本政府が力を入れていた。ナトリウム漏れ事故から約20年後の2016年に廃炉が決定したものの、当時はもんじゅが日本のエネルギー自給の低さを打開する切り札だと政府は期待していた。

問題を深刻にしたのは、事故自体よりも、現場を撮影したビデオを動燃が隠蔽したことが発覚したことだった。動燃への批判が高まる中、成生さんは隠蔽の経緯に関する社内調査を担わされる。

成生さんらの社内チームが調査した結果、動燃の組織的な隠蔽が明らかになった。ところが、記者会見で成生さんは虚偽の説明をする。記者会見が終わって数時間後の1996年1月13日未明、成生さん東京都内のホテルの駐車場で遺体となって発見された。49歳だった。

警察は飛び降り自殺と断定した。動燃のマークが入った便箋にしたためられた遺書が、3通あった。大石博理事長、理事長の秘書役で成生さんの同僚、そしてトシ子さんへのものだ。

しかしトシ子さんは、これらの遺書に強い違和感を覚えた。例えば、妻である自分への遺書の分量は大石理事長の3分の1ほど。実にあっさりしていた。一部を抜粋する。

「何にもしてあげられなかったと思いますが、最後の最後に子供達をよろしくお願いし、お別れとします」

「元気で。熊本のご両親には余りショックを与えない様願います」

「は?これだけ?」。妻の自分に何の相談もないまま「お別れとします」とこの世を去るとはどういうことなのか。我が子を思うなら、「子供達」と一括りにせず、それぞれの名前を書くのが普通ではないか。次男は翌日に成人式を控えていた。長男は2週間前の正月を家族で過ごした際、結婚を考えている相手がいることを報告した。2人にそれぞれメッセージはないのか。

遺書に誤字が多いことも不自然だった。例えば、大石理事長への遺書では「体質論に反展」という記述があった。「発展」の漢字を間違えている。夫は几帳面な性格で普段から誤字がある文章を書くような人ではない。本当にこの遺書は夫が書いたのだろうか ?

葬儀も違和感しかなかった。動燃トップの大石博理事長や財界人だけではなく、橋本龍太郎内閣の梶山静六官房長官や中川秀直科学技術庁長官ら大物政治家まで参列したからだ。夫は総務部の次長だ。こんな大がかりな葬儀をするのはおかしい。警察は「自殺」と断定しているなら、なおさらだ。トシ子さんは直感する。

「夫は自殺ではなく、国策の捨て石として犠牲になったのではないか」

それ以来、トシ子さんは動燃の後身組織などを相手取り様々な法的観点から訴訟を起こしてきた。資料を収集しては分析し、自ら現場に足を運んで聞き込みもした。国策を担う組織や行政機関の壁は厚く、裁判でなかなか勝つことができない。

今は、成生さんに関する捜査資料を入手するため、警視庁を管轄する東京都を相手取って訴訟を起こしている。

11月10日は東京地裁で今年4回目の法廷が開かれた。この日の審理が終わった後、私は事件資料を改めて分析し気づいた点をトシ子さんに伝えた。「あ、ほんとだ。私もなんでだろうと不思議に思っていたのよ」とトシ子さん。すぐにメモをとっていた。

まだまだ、あきらめていない。

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