初めてのプロ野球観戦は小学校2年生のとき、広島市民球場だった。当時はまだ原爆ドームの近くにあった。自宅は宮島の対岸にあるまち。学校の授業が終わった後にバスで球場まで行き、市内に職場があった父と待ち合わせをした。
その日のカープの対戦相手は東京読売ジャイアンツ。カープファンは試合が始まる前から熱くなっている。私は緊張した。
野球に特に興味があったわけではない。それでも私は広島市民球場に野球を観に行きたいと思った。川崎市で生まれ、広島に引っ越してきて3年。学校の友だちも、地域の大人たちもやたらとカープの話をしている。友だちの家族は、日曜日に弁当をもって家族で市民球場に行くのが恒例行事。カープを自分の一部のように思っていた。何がそんなにいいんだろうと、この目で確かめたくなった。
初めての観戦以来、広島市民球場に何度か足を運んだ。闘志をむき出しにして豪速球を投げ込む「炎のストッパー」・津田恒実選手、投球が体に本当に当たったのかあやしくても、デッドボールを審判に猛アピールする達川光男選手。個性的な選手揃いで、すぐにカープのことが好きになった。
その中でも一番好きだったのは、衣笠祥雄選手だ。デッドボールを受けて倒れても、サッと立ち上がってユニフォームの土を払い、颯爽と一塁ベースに向かう。相手投手が申し訳なさそうな顔をしていると、「OK、OK」という感じで軽く手をあげる。プロ野球史上3番目に多い161のデッドボールを受けながら、2215試合連続出場という大記録を打ち立てた。子どもながらに尊敬の念を抱き「いつかは自分も衣笠選手のように『鉄人』と呼ばれたい」と思った。友だちと野球をしていてデッドボールを受けたときは、衣笠選手のマネをして痛くないフリをした。
ただ、ファンがカープに熱中するのは選手の魅力だけが理由ではなかった。父がある日、もう一つの理由を教えてくれた。
「カープって昔は貧乏で、広島の人たちがカープのために酒樽で募金運動をしてたんだよ。自分たちが育てた球団という気持ちが強いんだろうな」
カープは球団発足の2年後に経営難で解散の危機に陥り、市民が「樽募金」で支えたことがあった。お金がなくて苦労した時代からファンが支えて、選手たちがあれだけの活躍をしたら、そりゃあ熱が入る。納得した。
ジャーナリズムを砂漠化させない
広島は小学校の卒業とともに引っ越した。その後はなんとなくカープのことは忘れていった。
カープへの憧れがよみがえったのはそれから30年、Tansaの前身のワセダクロニクルを2017年に立ち上げたときだ。「そうだ、カープのようなチームを目指そう」と思った。立ち上げた年に彩流社から出版した『市民とつくる調査報道ジャーナリズム』(渡辺周、花田達朗、大矢英代、ワセダクロニクル編著)の副題はこうだ。
―「広島東洋カープ」をめざすニュース組織―
カープのようなチームを目指そうとしたのは、一体となって応援してくれるサポーターに支えてほしいということ以外に、もう一つ理由がある。育成だ。
カープは育成に定評がある。ジャイアンツのように大金を使って出来上がった選手を連れてくるのではなく、自前で育てる。
ワセクロも育成を重視したいと思った。Tansaに名前を変えてからもそれは変わらない。大手マスメディアが足元から崩れ落ちゆく中、若手を優秀なジャーナリストに育て、将来にわたって活躍してもらう必要があるからだ。そうでないと日本のジャーナリズムは近い将来、砂漠になる。有名人がSNSや番組で言ったことを、見出しに切り取った薄いネットニュースばかりになってしまう。
確かに一から育成するのは大変だ。探査報道は、確固とした覚悟と高度な技術、豊富な経験が必要なので容易ではない。
しかし、そこを乗り越えてこそサポーターと一体になれると思う。Tansaから次々にスター記者が出るとき、それはサポーターが育てたスターでもある。
編集長コラム一覧へ12月1日から、新たに記者を雇用するためのマンスリーサポーターを募集するキャンペーンを始めています。月2000円のマンスリーサポーターが200人いて、若手を1人雇用できます。助成金は一度きりの場合が多く、若手を継続して雇って育成するにはマンスリーサポーターの支えが必須です。何卒、マンスリーサポーターの登録をよろしくお願いいたします。ご厚意は決して無駄にしません。
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