『消えた核科学者』(岩波書店)を「一気に読んだ」と、感想が続々と届いている。
嬉しかったのが、先輩ジャーナリストからの「『歩いて書いた本』に敬意を表します」という言葉だ。
確かに随分歩いた。現場に足を運んで人に会い、五感をフル動員するためだ。出張先は全国各地と韓国に及んだ。
沖縄、熊本、鳥取、兵庫、大阪、福井、静岡、山梨、新潟、千葉、茨城、福島、韓国
同じ府県でも複数のまちに行っている場合があるし、失踪した竹村達也さんの実家があった大阪や、動燃があった茨城など重要なところへは何度も足を運んでいる。韓国も2回行った。
取材は、Tansaの前身であるワセダクロニクルを創刊してまもなくから本格化した。当初はメンバーに給料を出せない期間が続いたから、「出張してお金を使っている場合か」と心苦しくなるときもあった。
だが、現場主義が揺らいだことはない。現場にも行かないで記事を書くのは読者への背信行為だと思うからだ。それほど、足を運んで人に会うことの取材成果は大きい。オンラインでの対面取材でも代わりはできない。
取材相手の証言は信用できるか。『消えた核科学者』の取材では、そのことを見極めなければならない場面が多かった。
例えば、取材相手が会った人物の名刺ファイルを自宅に行って見せてもらった。すべての名刺には会った年月日が記入されている。当時のスケジュール帳と照らし合わせるとピッタリと合う。こういう人の証言は信憑性が高い。
会食することもよくあった。本題とは全く関係のないことを、腹を割って話をする中で、その人の人生哲学を知ることができた。「嘘をついたり曖昧なことを自信ありげに言ったりするような人ではない」と信頼できるようになった。
「自分が話したことが知られると自分の身が危ない」と怯える取材相手もいた。決して大げさでないことは、相手と向かい合って目を見れば分かった。北朝鮮の拉致と核開発というテーマで取材をする上で、緊張感を持ち続けることにつながった。
ムクムクと力がわく時
現場主義は、私だけが実践しているわけではない。Tansaとしての信条だ。
『保身の代償〜長崎高2いじめ自殺と大人たち〜』では、中川七海が長崎に何度も足を運んで、遺族の福浦さおりさんに取材を重ねている。
さおりさんへの中川の取材に同席したことがある。さおりさんが仕事を終えた後、夜に長崎市内のホテルの会議室で取材した。亡くなった勇斗(はやと)さんの写真がおさめられているアルバムを何冊も抱えて、駆け込むようにして取材場所に来られた。アルバムを持ってきたのは、Tansaで掲載するための写真を中川と選ぶためだ。仕事で疲れているはずなのに、熱を込めて取材に応じていただいた。こんな時、取材をする方は背筋が伸びてムクムクと力がわいてくる。
『保身の代償』は週刊金曜日でもTansaのコーナーで連載をしていて、中川は掲載誌をさおりさんに手紙を添えて送っている。手紙を一心不乱にしたためている中川の姿を見ていると、現場主義の一番の効用はこういうところかなと思う。
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