編集長コラム

みんな誰かに教わった(103)

2024年03月16日14時45分 渡辺周

徳島新聞が、2025年以降に入社する記者の給与水準を、今の65%に下げる方針を示した。そのために、この4月から編集部門を分社化するという。

新聞社はどこも存亡の危機にある。これまでの給与水準や人員を維持できる状況にないことは理解できる。新聞社の社員と話をしていると、危機感がないことにむしろ驚く。

だが今回の徳島新聞の方針は、「そりゃないで」と思う。若手に犠牲を強いるものだからだ。徳島新聞の労働組合は3月14日、「次世代搾取 NO!」を掲げてストライキを実施した。

徳島新聞の幹部たちにも当然、若い時があった。右も左も分からない状態から、仕事を教わって今があるはずだ。昔のことは忘れてしまったのだろうか。覚えていたなら、若手の将来を守るための方針を出すのが筋だ。

私はこの道の先輩たちに、様々なことを教わった。いきなりTansaで探査報道に打ち込む日が訪れたわけではない。

記者になりたての頃は、今では考えられないような失敗をよくした。

ある日、宍道湖(松江市)に野鳥のマガンの写真を撮りに行った。だが鳥は敏感だ。水際まで行って撮影すると、飛び立って逃げてしまう。望遠レンズに付け替え、遠くから撮影しようとしたが、それでも察知されて逃げられる。そこで車に戻り、窓を少しだけ開けてレンズを向けた。逃げない鳥がいる。今度は撮影成功だ。意気揚々と支局に戻った。

だが写真を見た支局長は「これ、カラスやで」とケタケタ笑う。「こういう時はな、事前に野鳥図鑑でマガンがどんな鳥か、ちゃんと確認しとくんやで。思い込みはアカンで」。どういうわけか、マガンは黒いと私は思い込んでいた。

この他にもいろいろと失敗したが、この支局長は叱り飛ばすようなことは決してなかった。呑んべえで、若手を飲みに連れて行っては「汗かき、恥かき、原稿書き、やで」と呪文のように言っていた。

ジャーナリストの仕事がどういうものか。その役割を教えてくれた先輩もいた。

私も多くの新人記者と同様、1年目は警察取材を担当した。その年の秋、警察官が自転車の二人乗りをしていた高校生を殴り、前歯数本が欠けるケガを負わせた。だが県警は公表しない。その少し前にも不祥事があった。県警はこれ以上不祥事を知られたくないのではないか。身内に甘いのではないのか。県警幹部を取材して、私の署名入りで県警の批判記事を書くことにした。

ところが支局で原稿を書いている時、県警の広報官から携帯に電話があった。広報官は「当該の警察官は仕事に熱心なあまり高校生を殴ってしまった。地域でも慕われている。記事にするほどのことではない」と言う。

私は日頃、この広報官から事件捜査のあり方や警察組織について学んでいた。人としても尊敬していた。電話が終わった後、私が「ああ、広報官を困らせることになるなあ」とつぶやくと、先輩が言った。

「警察官と仲良くなることが仕事じゃないんだぞ。批判するべき時はしっかり批判する。いいんだよ、これが僕たちの仕事だ」

先輩はポンと私の肩を叩いて、どこかに出かけた。支局に残った私は気持ちを入れ替えて原稿を書いた。翌朝出た記事は「公式説明、謝罪いつなの 警官による不祥事相次ぐ県警」。

広報官はカンカン。互いに口をきかない日々がしばらく続いた。だがのちに「あのとき渡辺さんは、記者として自分の仕事をしただけだった」と私に言った。

徳島新聞のように、経営難の新聞社は身を切るような措置を加速させていくだろう。その際、ベテラン社員たちはどう振る舞うのか。

自分の暮らしを守るために負担を押し付けるのではなく、若手に何をしてあげられるか。そのことを、先達として一考してほしい。

お世話になった人への恩返しはできない。だからこそ、修得したことを後進に授ける。そうやって時代を継いでいくのだと思う。

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