編集長コラム

呼び捨てが消えるまで(108)

2024年04月20日13時35分 渡辺周

その駆け出しの新聞記者は、埼玉県警の担当だった。

ある日、三輪車に乗っていた女児が埼玉県の北部でトラックにひかれて死亡した。県警の記者クラブに広報文が張り出される。正午近くのことだ。夕刊の締め切りは午後1時半。彼は広報文をもとに急いで150字ほどの記事を書いた。

だが原稿を受け取ったデスクは「現場に行ってごらん」と言う。デスクとは、原稿の添削や取材の指示をする上司のことだ。

事故現場までは車で往復3時間かかる。彼は「現場に行っていたら夕刊に間に合わない」とデスクに主張した。それでもデスクは「夕刊に間に合わなくてもいいから」と現場に行くよう促した。

彼が事故現場に着くと、警察による現場検証が行われていた。業務上過失致死容疑で逮捕された男性の運転手が、手錠をかけられたまま警察官に事故時の状況を説明している。

警察官たちが巻尺を持って、道路の実測を始めた時のことだ。運転手が1人になった。その隙に記者の彼は運転手に近寄って話を聞いた。

運転手によると、女児は細い坂道を三輪車で下って主要道に出てきた。そこをトラックではねてしまった。女児は道路の側溝に落ちる。慌てて女児を抱え上げ、近くのたばこ屋に駆け込んだ。110番通報するよう店の女性に頼んだ。

運転手は「110番ではなくて、119番通報するよう頼むべきだった」と後悔していた。女児の命を救うためには救急車が必要だったからだ。気が動転していた。ただ記者の彼がたばこ屋の女性にも後で話を聞くと、彼女はちゃんと119番通報していた。

記者の彼に話をする中で、運転手は言った。服には亡くなった女児の血がべったりとついている。

「自分にも同じ年ごろの娘がいるんだ」

女児の自宅は事故現場の近くだ。彼は遺族にも取材をするため足を運んだ。だが泣き崩れていて話を聞ける状態ではなかった。

「よーく見比べてごらん」

彼は事故現場で見聞きしたことを、翌日の朝刊用に100行書いた。

ところがデスクは、15行で書き直せと指示してくる。現場に行かずに出した最初の原稿も15行だ。彼は原稿を短くして改めて提出した際に、デスクに言った。

「これでは現場に行かずに書いた時と同じじゃないですか」

デスクは引き出しから、彼の最初の原稿を取り出す。

「よーく、見比べてごらん。君が最初に出した原稿は、運転手を呼び捨てにしていた。でも現場に行って本人に話を聞いて出した原稿には、『さん』がついている」

教えの伝承

この時の駆け出しの記者とは、ジャーナリストの松本仁一さんだ。朝日新聞のアフリカ特派員として長らく活躍した。『アフリカを食べる』や『カラシニコフ』、『テロリストの奇跡』など数々の名作を生み出してきた。

松本さんと出会ったのは24年前だ。私が朝日新聞に入社した時、新入社員研修の講師が松本さんだった。女児を死なせたトラック運転手への取材の話は、この時に聞いた。

東京電力福島第一原発事故後の連載『プロメテウスの罠』では、松本さんがデスク、私が筆者として仕事をする機会を得た。

Tansaを創刊してからも、今に至るまで文章の指導をしていただいている。

松本さんに教わったことはいろいろあるが、要諦はシンプルだ。

「現場に行って人に会え」

現場に行くのは効率が悪い。容疑者を呼び捨てにするか、「さん」をつけるかの違いなんて大したことじゃない。そう思う人もいるかもしれない。

しかし、それが大違いなのだ。現場に行き人に会ってこそ、読者や視聴者の心を揺さぶる記事や番組ができる。

Tansaは現場に執着する取材方針を貫いている。松本さんの教えのおかげであり、松本さんに「現場に行ってごらん」と勧めたデスクのおかげだ。

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