編集長コラム

茨城大村上ゼミ白熱150分「ジャーナリズムの担い手は誰か」(36)

2022年11月26日18時18分 渡辺周

茨城大学人文社会科学部の村上信夫ゼミに11月17日、私と中川七海が参加しジャーナリズムの未来について議論してきた。

村上さんは放送作家。学生たちの活動は濃くて多彩だ。なめがたエリアテレビの朗読ドラマ『私が恋したレンコンボーイ』では制作を手掛けた。仕事で夢に破れ、東京から帰ってきた30 代半ばの女性と、50歳目前のレンコン農家の男性との恋愛ストーリーだ。

オウム真理教の地下鉄サリン事件の検証では、「報道はオウムの暴走を止めることができたのか」という問いを、126人の記者たちに質問し続けた。

村上ゼミは「書く書く、兎に角、書く」ことを大切にしている。私たちとのセッションに先立っても、質問状を集約して送ってくれただけではなく、こちらが参考記事を送るとそれに対する感想文まで書いて返信してくれた。

当日も熱気があった。これまで様々な大学で講義してきたが、断トツで、目が生きていた。2時間半があっという間に過ぎた。

6日後の11月23日、学生たちの感想文が届いた。一部を引用しながら「ジャーナリズムの未来」を学生たちがどう考えているのか紹介する。

「客観報道」って何だ

興味深かったのが、「客観報道」について私が語ったことへの学生たちの反応だ。

私は、「客観報道とは自分の感情を捨てることではない」と言った。どのテーマを取材し、取材して得た情報の中から何を報じるのかという選択自体にすでに感情が入っている。感情からは逃れられないし、ジャーナリストの喜怒哀楽こそが取材の原動力だ。

ただし、守らなくてはならない原則が2つある。ひとつは、自分が怒りを抱いている相手であっても対峙して言い分を聞くこと。もうひとつは、自分が何とか力になってあげたいと思っていても、当事者にはならないことだ。

4年の白土真那さん

中でも一番印象的だったのは、第1部での「客観報道」の話だ。私は今まで、ニュースは淡々と事実のみを語るものであり、中立な立場を取らなければならないと思っていた。意見の偏りを感じるニュースに出会ったこともあるが、それはその記事が良くないのだと考えていたのだ。しかし、そもそも客観報道の意味が違っていた。当事者にならないことを指す言葉だというのだ。「私」という主語を記事に出すのを恐れる必要はなく、公平な情報を提示しつつ「おかしい」というなら問題がない。

2年の刑部香歩さん

渡辺さんは「感情は大切だ」と答えていた。客観性をはき違えている、客観性を持つことに囚われすぎているのではないかというご指摘にはっとした。おかしいと思って調査、取材をする。そこで、当事者になるわけではなく、相手側の意見も聞くこと。感情を原動力にして、ファクトに置き換えること。これらが大事なのだということがわかった。

「ここまでしていいの ! ? 」

感情を持って取材に臨むとはどういうことか。シリーズ『公害 PFOA』で中川がダイキンの社長を突撃する場面と、『検証東大病院 封印した死』で私が東大病院の手術を担当した医師を執拗に追って質問する様子を動画で見てもらった。

2年の山下諒人さん

渡辺さん、中川さん両方の突撃映像は鮮明に記憶に残った。話を聞きたい対象に接近し、質問を投げかけ続ける。気力と根性がないと続けられなさそうだ、と感じるほど強烈な映像だった。

4年の宮下楊子さん

ジャーナリストに必要なマインドを学ぶことができた。それは、ひたすら「犠牲者のために」と思い、行動することである。講演会前の質問「取材を続ける中で、大切にしていることや信念はあるか」への返答でも、中川さんが答えていたことだ。講演会中も、何度も「犠牲者のために」「犠牲者の代わりに」という言葉を耳にした。長い期間探査を続けることも、取材相手に臆せず向かっていくことも、この気持ちに支えられているのだと思った。

4年の今野亜美さん

正直、「ここまでしていいの! ?」とはらはらしていた。しかし、「ジャーナリズム的には何でもあり、もしそれで警察に捕まったら本望」という言葉を聞き、並々ならぬ覚悟を感じた。自分の身がどうなってでも「事実」にこだわる姿勢に感動した。

誰がジャーナリズムを担うのか

後半では、地方の取材網縮小や記者が本来の仕事を果たさないことで「ニュース砂漠」が日本に広がっているという危機感を共有した。では誰がジャーナリズムを支え、担うのか。

4年の會澤千紘さん

日本でもニュース砂漠が広がっていること、また社会的コストを誰が担うべきかについて考えることができた。このテーマでは特にYahoo!ニュースが新聞社から記事を安く買っているお話、新聞社は割に合わない場合でも社会のために取材を行っているお話が印象に残っている。これらを聞いたとき、私たちは簡単に無料で情報を得られるからと言ってネットニュースばかりを利用してよいのだろうかと疑問を持った。ニュース砂漠が広がるのは、ニュースを受け取る側にも原因があると感じた。そのため、私はニュースを見る人たちが社会的コストを担うべきではないかと考える。

3年の松尾実咲さん

印象的だったのは、最初に渡辺さんがおっしゃっていた、ネタ取り力、深堀り力、突破力、ディフェンス力、グローバル力の5つの力だ。これらは、何も記者だけが求められる力ではない。メディア業界で情報発信の一端を担うことを目標としている私はもちろん、どんな業界で働いていても、もしくはただの学生であったとしても、必要不可欠なスキルだ。というのも、今の時代、情報発信だけでなく、「いいね」などで拡散も容易にできてしまう。事実を追い求めるジャーナリスト精神は、誰もが持つべき時代になっているのだと感じた。

4年の宮下楊子さん

自分にできることを考えることができた。大学に入り、メディアを専門にしている身として、ある程度のメディアリテラシーはあると自負している。しかし、大多数の市民はそうではない。今の義務教育で教えられているリテラシーは、せいぜい「個人情報が分かるものは載せない」とか「ネットには偽情報が多い」とか、その程度だ。どれも受け手としてのリテラシー教育であり、送り手に必要なリテラシーは得られない。この状況を踏まえた上で、今は少なくとも、「自分はそうならないように」と気をつけるしかない。例えば、Twitterに投稿するとき。どんな些細なことでも、事実誤認はないか、事実と感想・考察などとの区別が明確かと、考えてから投稿ボタン押すようにしている。個人でできることは、どんな小さなことでもやっていくべきだと思った。

学生たちは自分たちもジャーナリズムを共に創る輪に加わろうという意思を持ってくれた。私はこれが何より嬉しかった。懇親会は途中で東京に戻ったが、翌朝に予定を入れず泊まりで来ればよかったと後悔した。

編集長コラム一覧へ