編集長コラム

麻紀さんと裕次郎さん(59)

2023年05月13日12時05分 渡辺周

タレントのカルーセル麻紀さんを、2010年に取材したことがある。

麻紀さんは1942年に北海道釧路市で生まれた。太平洋戦争のさなかで、父親は「アメリカと徹底的に戦う男になれ」という願いを込めて「徹男」と名付けた。だが男性として生きることに子どもの頃から違和感があった。15歳で家を出て、女装してホステスとして働き始める。30歳の時には性別適合手術をモロッコで受けた。

取材中に私がふと麻紀さんの携帯に目をやると、待ち受け画面が石原裕次郎さんとのツーショット写真だった。石原プロモーションのメンバーたちと行った温泉での写真で、ふたりとも浴衣姿だ。裕次郎さんは麻紀さんの肩を抱いている。

麻紀さんが裕次郎さんとのエピソードを教えてくれた。

裕次郎さんのデビュー20周年の日のことだ。パーティーが終わった後、麻紀さんは裕次郎さんと渋谷のバーで翌日の昼近くまで飲んだ。麻紀さんは酔い潰れた。

麻紀さんが目を覚ますと、裕次郎さんに両腕で抱えられていた。渋谷のバーを出て、麻紀さんの自宅に向かって裕次郎さんは歩いている。表参道で人通りが多い。裕次郎さんは大スターだ。「白昼堂々、こんな姿を見られたらスキャンダルになって裕次郎さんに迷惑をかけてしまう」。麻紀さんはあせった。だが裕次郎さんは微笑んで言う。

「お前、重てえな。あんまり飲みすぎんなよな」

この話を、私は麻紀さんが裕次郎さんに抱いた恋心のエピソードとして聞いた。だが浅はかだった。麻紀さんが言った。

「私は裕次郎さんを人間として好きだった。裕次郎さんも同じだったと思う。私が元は男性だったことなんて気にする素振りは全く見せなかった」

麻紀さんが、携帯の待ち受け画面に裕次郎さんとの写真を使っている理由がわかったような気がした。

私が麻紀さんを取材したのは、朝日新聞での連載「男と女の間には」に取り上げるためだ。待ち受け画面の写真を掲載したいと麻紀さんにお願いすると「私はいいけど、プライベートの写真だから石原プロに確認して」と言われた。

石原プロに電話すると、小林正彦専務が出てきた。石原プロの「名番頭」と言われた人物だ。

「いいよ、いいよ、どんどん写真を使ってください。麻紀がお世話になってるんだね、ありがとう。麻紀のことをよろしくお願いしますよ」

小林さんもまた、麻紀さんを人間として好きだったのだろう。

「不当な差別」って何 ?

裕次郎さんが麻紀さんを抱き抱えて表参道を歩いたのは、デビュー20周年のパーティーの日だから1976年。それから47年が経った今、自民党が「LGBT理解増進法案」を国会に提出しようとしている。

しかし裕次郎さんの心根とは裏腹に、自民党の政治家たちの言動はあまりに醜悪だ。党内の「保守派」による反対を受けて、法案を修正した。

修正内容の一つは、「差別は許されない」という文言を「不当な差別はあってはならない」に変えるというもの。

「不当な差別」というものがあるならば、「正当な差別」というものがあることになる。だが「正当な差別」などない。要はこういうことだ。

「本心はLGBTを理解しようとは思っていないが、5月19日に広島で始まるサミットではいい格好をしたい」

私はこういう政治家たちが人間として嫌いだ。

編集長コラム一覧へ