2023年11月24日、東京地裁で元共同通信記者の石川陽一氏が、同社に報道の自由を侵害されたなどと訴え、損害賠償を求めている裁判の第1回口頭弁論が開かれた。
石川氏は代理人の喜田村洋一弁護士とともに出廷した。しかし、被告の共同通信側は代理人弁護士のみで、共同通信の幹部らの姿は見えなかった。
共同通信は事前に「答弁書」を提出していたが、中島崇裁判長は、共同通信のある主張に疑問を投げかけた。共同通信は中島裁判長から求められた「宿題」を、12月8日までに提出することになった。
一般社団法人共同通信社の本社が入るビル(汐留メディアタワー)=撮影/渡辺周
「批判」と「非難」は違うのに
この日の口頭弁論で焦点となったのは、文藝春秋が出版した書籍『いじめの聖域』で、石川氏が長崎新聞を批判したことの是非だ。
長崎新聞は、生徒の自殺を隠蔽しようとする学校に加担した県を擁護した。
石川氏は、長崎新聞本社には見解を求めなかった。同社が共同通信の加盟社であることを踏まえ、取材や出版を妨害されかねないと判断したからだ。石川氏は、県が公開している長崎新聞への広告費などの支払い情報や、長崎新聞記者との直接のやりとりなどを根拠に、長崎新聞と同社の記者を批判した。
長崎新聞本社に見解を求めることが困難なのは、共同通信の増永修平法務部長も石川氏を聴取した際に認めている。「まあ、うちと長崎新聞の関係で、それができるかどうかはまた別としてね」。
ところが共同通信は、石川氏が長崎新聞本社に見解を求めなかったことを大きな問題点として挙げている。
ただ、共同通信が口頭弁論に合わせて提出した答弁書には、揺らぎが散見された。
例えば、石川氏が長崎新聞を「批判した」と書いたり「非難した」と書いたり、一貫していないのだ。「批判」と「非難」では意味が大きく異なる。「批判」は物事を検討した上で評価することだ。まさに、ジャーナリストの仕事である。だが「非難」は、ただ相手を責めることを意味する。
加盟社批判そのものを問題視
中島裁判長が疑問を呈したのは、石川氏が本を執筆するために得た「社外活動の了解」を、共同通信が取り消した理由だ。
「『社外活動の了解』を取り消した理由として、『長崎新聞への確認取材をしなかったこと』と『長崎新聞の編集方針を非難したこと』を挙げているが、これらで一つの指摘なのか、それとも別の指摘か」
中島裁判長は、長崎新聞社に確認取材をしないまま同社を批判したことが問題なのか、それとも批判すること自体が問題なのかを尋ねたのだ。
共同通信の代理人、藤田雄功弁護士が答えた。
「別の指摘です」
つまり、共同通信は加盟社に対する批判自体が問題だと捉えていることになる。報道の自由の侵害そのものだ。
中島裁判長は共同通信に対し、石川氏が長崎新聞への確認取材をしなかったことと、長崎新聞を批判したことが、それぞれ別個に社外活動の了解取り消しの理由になる根拠を明らかにするよう求めた。提出期限は12月8日だ。
共同通信の弁護士「Tansaの回答要求を幹部に伝える」
閉廷後、私と編集長の渡辺周は共同通信の代理人弁護士2人と名刺交換した。
その際に、今後の裁判に共同通信の役員や職員が来るか否かを尋ねた。中紀人弁護士は何も答えずに苦々しい表情を見せた。
これまで共同通信は、Tansaの質問に「回答は差し控える」としか返してこない。きちんと回答してほしい旨を共同通信の幹部に伝えるよう言うと、中弁護士は「お伝えしておきます」と答えた。
次回期日は2024年1月19日の午後1時半、東京地裁の第611号法廷で開かれる。
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