消えた核科学者

失踪翌年の警視庁外事二課長は(27)

2023年11月29日11時54分 渡辺周

1972年に茨城県東海村から失踪した動燃の元プルトニウム製造係長、竹村達也のことを、警察は北朝鮮による拉致の疑いで今も捜査していることが分かった。警察庁が2013年にリストアップした「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」で、大阪府警が担当する事案として名前があったからだ。大阪は竹村の実家があったところである。

拉致の疑いで捜査が継続していることを知って、私は竹村の元部下に会いに行った。彼は竹村の失踪当時、動燃に聴取に来た茨城県警・勝田署の刑事から「北にもっていかれたな」と聞いている。「北」が青森や北海道を指すのではなく、北朝鮮のことだったと知らせるためだ。

国家のタブー

東京・新橋の焼き鳥屋で、私は竹村の元部下と会った。警察のリストに竹村の名前があったことに、彼は「ほら、やっぱりね」と言った。彼は科学者らしく、物事を誇張せずに正確に伝えるタイプだ。そのことは、原発のことを取材した時に感じていた。曖昧なことは言わないし、分からない時は分からないと言う。

「あの時、刑事さんは『北に持っていかれたな』って言ったんだから。今でもはっきり覚えているよ」

警察のホームページに載っている写真を見せると、「そうそう、この顔」と声を上げた。いつもより声が大きかった。隣の客と肩があたるような狭い店内だったので、私はハラハラした。久しぶりの再会に、ざっくばらんに一献やれるところにしようと焼き鳥屋を提案したのだが、場所の選択を誤ったと少し反省した。

「それにしても」と、私は声を落として尋ねた。

「なぜ警察庁がホームページで公開している情報は、住所が『茨城県那珂郡』までで、『東海村』と詳しい住所を書いていないんでしょう?なぜ職業を『動燃職員』とせず、『公務員』としか書かないんでしょう?」

警察庁の「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」のリストでは、本人情報として住所や職業をもっと具体的に掲載している人もいる。公開捜査であり、竹村を含むどのケースでも「情報を御存じの方は、どんな小さなことでも結構ですから情報をお寄せ下さい」と警察は情報提供を呼びかけている。本来は詳しく書いた方がいいはずだ。私は、国の安全保障に関わる竹村の拉致疑惑を政府は知られたくないからだと考えたが、彼の意見も聞いてみたかった。今度は彼も声を落とした。

「当時はアメリカとソ連に加え、中国やインドも核兵器の開発を競っていた時期だ。そんな時に、政府の管理下にある動燃で、プルトニウムの製造係長をやっていた人が北朝鮮に拉致されたかもしれないとしたら、大変なことだ。動燃と結びついてしまうから『東海村』とは書けないし、ましてや職業欄に『核科学者』なんて書けるわけがないだろう」

彼は私と同じ意見だった。

安倍晋三が首相在任中、拉致問題が全く進展しなかったことを考えれば、どこまで本気だったかは分からないが、安倍政権は少なくとも拉致問題の解決を掲げていた。一方で、北朝鮮が核兵器の実験とミサイル発射で日本だけではなく国際社会を揺さぶっていた。核科学者が拉致された可能性があると知られたら騒然とする。二つの事情が重なって、警察のホームページに竹村の情報を掲載はするが、住所も職業も中途半端な表現に留めるということになったのではないか。

実際、警察庁がホームページに情報をアップした2013年、国家公安委員長の古屋圭司は国家公安委員会でこう語っている。

「いろいろな反響もあると思われるので、このような一連の取組のなかで今回発表に至っているということを、改めて御認識いただきたいと思う」

竹村の失踪事件は、国家のタブーに触れるのだ。

ウィキペディアから削除された経歴

私は警察庁長官経験者で、以前に別件で取材をしたことがある国松孝次にメールを出した。ウィキペディアで国松の経歴を確認すると、警視庁公安部長を経験しているし、何より1973年に警視庁の外事二課長を務めている。1973年は竹村が失踪した翌年であり、警視庁の外事二課は、まさに北朝鮮を担当する部署である。私は1972年に失踪した核科学者の拉致疑惑を取材していると伝え、取材を依頼した。

だが、国松からは意外な答えが返ってきた。1972年当時は警視庁の広報課長をしていて、核科学者の拉致疑惑については何の記憶もないというのだ。

私は竹村の名前を出した上で、メールを再送した。しかし、国松は覚えていないと返事をしてきた。

「竹村達也さんという方が行方不明になった、そのこと自体を含め、私には、存知するところは何もありません。1972年当時は、手配部署が、大阪府警外事課となっていることから推測すると、何か北朝鮮が関係していることを窺わせるものがあったのかもしれませんが、当時の私は、警視庁の広報課長でしたから、何も知るところはないのです。北朝鮮による拉致事件全般については、もちろん、それらは、重大な事柄でありますから、現役の頃は、それなりの関心をもって仕事をしていたと思いますが、私自身、外事警察の経験はなく、事件を直接担当したことはありませんので、お尋ねの点についても、確たるお答えをするに足る鮮明な記憶はないのです。警察庁長官として、全般を見ていたのだから、何か憶えているだろうと言われるかもしれませんが、退官後、20数年を経た今日、記憶は茫漠としております」

私が違和感を感じたのは、国松が「外事警察の経験はない」と言っていることだ。だがウィキペディアには1973年に警視庁の外事二課長を務めていたと記されている。1994年9月13日付で北海道新聞に掲載された、第80代警視総監の井上幸彦就任記事には次のように書かれている。

『警視庁外事二課長に赴任直後の1973年8月8日、金大中氏ら致事件が起きた。捜査副本部長として激務をこなし、「暑い夏で、取材攻勢も厳しかった」。寸差で難を逃れた前任者が国松孝次・長官だった』

やはり、国松は外事二課長を経験している。そのポストを離任直後に韓国の政治家、金大中が東京都内のホテルから拉致されるという大事件が起きているのだから、自分が外事二課長を務めていたことを忘れるわけがない。

しかし、私と国松とのやりとりからしばらくして、国松のウィキペディアの経歴から「警視庁外事二課長」が消えた。なぜ、誰が、削除したのだろう。

「知らない」と繰り返す警察庁長官経験者

私は警察庁に情報開示請求をし、国松の人事記録を入手した。国松は1972年3月の竹村の失踪前後は、次のような経歴だった。

1970年7月3日〜警視庁広報課長

 

1972年5月16日〜警視庁公安部公安第二課長

 

1973年3月16日〜警視庁公安部外事第二課長

 

1973年8月4日〜警察庁警備局外事課付

5か月弱ではあるが、国松は北朝鮮を担当する警視庁外事二課長だった。たとえ就任期間が短くても、懸案事項に関して課の責任者として把握しているのは当然ではないのか。国松が外事二課長に就いたのは竹村失踪からちょうど1年後のことである。

私は国松に再度、メールで取材依頼をした。ウィキペディアから外事二課長の記録は消えたものの、警察庁への情報公開請求で人事記録を入手したことも告げた。

国松からは「人事記録までお調べになったとのこと、ご苦労様。当時の有りのままを申します」との書き出しで返事がきた。

「私が、パリの日本国大使館一等書記官に赴任するよう内示を受けたのは、警視庁公安二課長をしていた1973年当初のころで、その時は、公安二課長から直接、警察庁外事課付になり、そのまま外務研修所に入所する予定でした。それが、急遽、3月になって、外事二課長に発令されたのは、中国から『廖承志』中日友好協会会長率いる大ミッションが来日し、4月16日から約1か月間滞在することになったからです。戦後初の中国からの大ミッションが来るというのに、主管課長の外事二課長が不在というのはまずいという判断だったと思います。はじめから、『とにかく、廖承志だけやってくれ』と言われておりましたので、課の本来業務は次席に任せて、私は、外務省との折衝その他廖承志関連の業務に特化して仕事をして、在任は、わずか5か月弱で警察庁に転勤しました」

最初の返信では、「退官後、20数年を経て記憶が茫漠としている」と書いていたが、今回は詳細に当時の経緯が述べられている。

ウィキペディアの件については一蹴した。

「ウィキペディアの私の経歴から、外事二課長の在任が削除されているそうですが、そんなことは私の知ったことではなく、変に気をまわすのは無用のことです。とにかく、私が、『外事警察の経験はない』と言ったことを覆すほどのことではありません」 

そして、竹村の件は知らないと念を押す。

「『竹村達也さんという方のことは、まったく存じません』と申したのは、事実その通りで、以前のお答えを繰り返す他ありません。 もちろん、竹村さんが拉致されているとすれば、それは、重大な事件ですから、 警察はもとより、政府をあげて取り組まなければならないことです。 ただ、私に今さら何かしろと言われても、86歳になった退役警察官としては当惑するばかり。どうか、他のしかるべき筋にお尋ねください」

釈然としない国松の返信である。

失踪するまで竹村達也さんが暮らしていた独身寮(茨城県東海村)=2023年8月13日、渡辺周撮影

=つづく

(敬称略)

消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。

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