消えた核科学者

生真面目で上司にも可愛がられ(28)

2023年12月06日12時15分 渡辺周

動燃(現・日本原子力研究開発機構)の元プルトニウム製造係長、竹村達也が1972年に失踪したことについて、元警察庁長官の国松孝次と、元内閣情報調査室長の大森義夫は知らないという。

国松も大森も、北朝鮮による拉致事件についての捜査内容を把握できる立場にあった。国松は竹村が失踪した翌年の1973年、北朝鮮を担当する警視庁外事二課長を務めている。それでも聞いたことがないという。

私は、竹村の動燃での部下や同僚を取材することにした。

ノンポリ

異口同音に返ってくる答えは、竹村が自ら失踪するような人物ではないということだ。女性関係や金銭面でのトラブルを抱えているようには見えなかった。部下の一人は語る。

「大阪の人で言葉は関西なまりなんだけど、努めて標準語でしゃべろうとする。とにかく生真面目。プライベートで他の人と会話をするようなことはなかったなあ。竹村さんと私は東海村にある独身寮で、動燃のすぐ近くの『箕輪寮』に住んでいた。80人ほどの動燃職員が住んでいたんだけど、寮では、年中仲間同士で麻雀をしたり酒を飲んだり。若者たちはプロレスをして騒いだ。食事は寮の大食堂だ。それでも、竹村さんだけは、そういう輪に加わってこない」

竹村と同僚の動燃OBが語る竹村像も、竹村の部下たちと似ている。そのOBは竹村と同じプルトニウム燃料部に在籍し、上司も同じだったという。

「竹村も私も、同じ部署で働いていた。上司は、部下が提出した書類をみんなの前で破るような人でね。私は、猪苗代でスキーをして日焼けして帰ってきたら、『けしからん』なんて怒られたことがある。その点、竹村は優等生的で、その上司にも可愛がられていたな」

同僚がみる竹村像は上司に可愛がられる人物ではあったが、他の動燃のOBたちの証言と同じで社交的というわけではない。野球とテニスはしていて、飲み会には出席するが遊び好きではなかった。竹村の部下は「畳の下に現金をため込んでいた」という当時の噂を語ったが、この同僚は「給料は全部ベッドの下にため込んで、車も即金で買ったなんて噂されていたね」と言った。証言に「畳」か「ベッド」かの違いはあるものの、竹村は周囲から「浪費しない真面目な男」と見られていたことは確かだ。

同僚は、こんなエピソードも語った。

ある時、動燃社員を夫に持つ女性たちに「知り合いの娘の結婚相手にいい人がいないか」と相談された。竹村が独身だったことから勧めたところ「あの人だけは堅物過ぎてダメだ」と断られた。竹村は竹村で「結婚して子どもができても自分の子どもか分からない」と言い、むしろ結婚には消極的だった。

政治的な思想はどうだろう。もし竹村が共産主義に傾倒していたのなら、拉致ではなく自ら北朝鮮に渡った可能性もある。私がその点を尋ねると、同僚は言った。

「ノンポリだよ」

動燃のOBたちが語る竹村の姿は、一様に無色透明だった。竹村と濃密な付き合いをしたことがある人物もいなかった。警察庁が〈拉致の可能性を排除できない事案に係る方々〉のウェブサイトにアップしている竹村の顔写真は、微笑みをたたえている。人から敬遠されるような人物には見えない。実直で優しそうな眼差しで、むしろ好感が持てる。なぜこれほどまでに、周囲の人と付き合いがなかったのだろうか。

かつて木造長屋が建っていた場所に

では学生時代はどうだろう? 私は竹村の素顔を知りたくて、出身地である大阪に向かった。竹村は進学校で知られる府立天王寺高校を卒業した後、大阪大学工学部に進学している。同窓生たちに会えるかもしれない。

何より、竹村の家族に会いたかった。動燃OBたちによると、大阪にいる竹村の姉が茨城県東海村の動燃までやってきて弟の行方を尋ねたことが、失踪事件が発覚したきっかけだった。当時は母親も健在で息子のことを探していたという。失踪当時の情報を何か得られるかもしれない。大切な人と突然、会えなくなってしまった家族の思いに耳を傾けたかった。

私は竹村の出身校である天王寺高校の当時の名簿を入手した。黄ばんだ紙に手書きで、生徒氏名(五十音順)、保護者名、保護者職業、住所、出身中学が書かれていた。

竹村のクラスは3年4組で52人。保護者の欄には、男性の名前が書かれていたが「無職」とある。事情はよくわからないが、動燃のOBは竹村が失踪した後、姉と母が探していたと言っており父親の話は出てこなかった。何か関係しているかもしれないと思った。

天王寺高校は大阪で指折りの進学校で、東京大学や京都大学、大阪大学に多くの卒業生が進学している。著名人も輩出しており、作家の開高健やサッカー元日本代表監督の岡田武史も卒業生だ。

私はクラス名簿に記載している住所を訪れてみた。天王寺高校から歩いて10分ほど、JR阪和線の高架沿いに広がる地区だった。高架下の店舗は、数十年は変わっていないのではと思えるほど老朽化している。住宅は建て直しているものと、古くからのものが混在している。

だが竹村がかつて住んでいた場所は、空き地になっていた。一帯は、1995年の阪神大震災後に高速道路を建設する計画か持ち上がり、当時の住民が立ち退いていた。高速道路は阪和線の高架の上に2階建ての形で建設する予定だったが、危険だと地元の住民から反対の声があがり頓挫した。フェンスで囲われた空き地だけが残った。

地元に70年以上住む女性によると、立ち退きがあった一帯は木造の2階長屋が建っていた。立ち退きもすんなりと応じたという。

近隣の住民に竹村を知る者がいないか、延べ1週間に渡ってシラミつぶしに聞いて回ったが、誰も知らなかった。

高速道路の建設計画による立ち退きで、かつて竹村達也さんが住んでいた地区は空き地に=2020年4月11日、渡辺周撮影

「なんや、北朝鮮の拉致のことかいな」

竹村の近隣の住民ではなく、天王寺高校の同級生に話を聞いてみようと思った。

しかし、竹村が天王寺高校にいた時の名簿は約70年前のものである。当時の住所に住んでいる同級生はなかなか見つからなかったが、方々を歩き回ってようやく同級生の一人の住所を探し出すことができた。電話番号はわからなかったので、自宅を直接訪れた。

インターホンを押すと、男性が出た。私が「天王寺高校の卒業生の竹村達也さんのことを取材しています」と用件を告げると、その男性はいきなり言った。

「なんや、北朝鮮の拉致のことかいな」

私は驚いた。こちらは竹村について取材をしていると告げただけだ。なぜ北朝鮮による拉致疑惑を取材しているとわかるのか。

=つづく

(敬称略)

消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。

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北朝鮮による拉致問題は、被害者やその可能性がある家族の高齢化が進んでいるにもかかわらず、一向に進展がありません。事実を掘り起こす探査報道で貢献したいと思います。

 

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