消えた核科学者

工作員が狙う「失踪しても気づかれない人物」(29)

2023年12月13日11時38分 渡辺周

竹村達也の動燃時代の部下や同僚によると、竹村は生真面目。政治的な思想は持っていない。上司に可愛がられるタイプで、人付き合いが少なかったという。

竹村が青春時代を過ごした大阪には、友人がいるのではないか。私は竹村が卒業した府立天王寺高校時代のクラス名簿を入手し、同級生の一人の自宅を探し出した。

大阪府警「核のことをやってたから」

インターホンを押すと、男性が出た。「天王寺高校の卒業生の竹村達也さんのことを取材しています」と用件を告げると、その男性はいきなり言った。

「なんや、北朝鮮の拉致のことかいな」

私は驚いた。こちらは竹村について取材をしていると告げただけだ。なぜ北朝鮮による拉致疑惑を取材していると分かるのか。ほかのメディアがすでに取材に来たのか。

男性は私を玄関に通してくれた。クラス名簿に名前が記載されている、竹村の同級生本人だった。

「4年くらい前やったかな、大阪府警から電話がかかってきてな。竹村のことで何か知らんかって聞かれてん。ほかにも天高から阪大の工学部に進んだやつとか、高校の同じ組のやつとかに警察は聞いて回ってたみたいや。僕ら同級生でしょっちゅう集まってんねんけど、同じように警察から電話があったという話になってん」

府警はその同級生に、竹村の情報を尋ねなかったのだろうか。

「それがな、警察が言うにはな、どこやったっけ、群馬やなくて、そう、茨城県にある動燃。竹村は阪大を出て動燃に就職したらしいんや。そこで核のことをやってたから、北朝鮮に拉致されたんとちがうかと。そういう話や。僕の友達も警察から電話がきた時は、同じこと言われて」

警察は明らかに、核科学者である竹村の失踪と北朝鮮を結びつけている。竹村が動燃でプルトニウム製造係長まで務めた核科学者だったことで、北朝鮮による拉致を疑っているのだ。

しかし警察は、竹村の情報を2013年にホームページにアップした時、掲載している住所は「茨城県那珂郡」まで。動燃を想起させる「東海村」とまでは書かなかった。職業も「公務員」にとどめて具体的に書かなかった。動燃は政府が管轄する核の研究所だ。竹村は、核兵器の原料になるプルトニウムを扱う科学者だった。警察はそのことを明らかにしたくなかった、そう考えるのが自然だ。

みんな思い出せない

警察が天王寺高校の同級生たちに竹村のことを聴いていることは分かった。では竹村のことを同級生たちはどんな人物とみていたのだろうか。

「それがな、同窓会で飲み会やった時に『うちにも竹村のことで警察から連絡があった』って話になってんけど、みんな竹村のことを思い出されへんねん」

私はスマホで〈拉致の可能性が排除できない事案に係る方々〉の大阪府警のページを出し、竹村の写真を見せた。黒縁眼鏡で顔はふっくら、柔和な表情のあの写真だ。

「顔なんか忘れてしまうわ。子どもの時の顔と、大人になってからの顔は違うしな」

男性はそう言った後、「ところで竹村の住所はどこや」と尋ねてきた。私は竹村が天王寺高校に通っていた時の住所を告げた。

「あれ? もしかしたら‥‥。ちょっと待っとってな」

男性はそう言うと奥に行き、しばらくして名簿を携えて戻ってきた。天王寺高校ではなく、中学の同窓会名簿だった。

「あ、一緒や」

男性は名簿を開くと、3年1組のページで声をあげた。そこには「竹村達也」の名前があった。

「僕と中学も一緒やったんやな。竹村は1組で僕は2組」

だが、やはり男性は竹村のことをはっきりとは思い出せない。失踪してから居場所が分からないので、竹村の箇所は住所が同窓会名簿で空欄になっている。男性は言った。

「竹村が動燃に勤めてるって知ってたら会えたのになあ」

男性は竹村と同じ大阪大学工学部を卒業後、建築の仕事に進んだ。茨城県東海村の動燃には仕事でよく行ったという。

「原子力施設の建屋の屋根のことで、飛行機が落ちてきても大丈夫か計算してくれとか頼まれて、東海村の動燃にはよう行っとってん。昭和40年代、僕が30代半ばくらいの時や。竹村が失踪したんは昭和47年で36歳の時やろ。竹村が動燃におるって知っとったら会えたのにな。しもたな」

男性は残念そうに言った。私は何か情報が入れば連絡をくれるようお願いし、男性の自宅を去った。

竹村達也さんが学生時代を過ごした地元の商店街=2020年4月11日、渡辺周撮影

辛光洙がターゲットにしたのは

動燃のOBたちだけではなく、中学、高校、大学が同じだった同級生までもが、竹村とのつきあいがなかった。印象すらないという。私は竹村という人物の捉えどころのなさに途方に暮れたが、ふと思った。

拉致する側の工作員にしてみれば、人付き合いがなく誰からも印象が薄い人の方が、いなくなった時にすぐに気づかれない。探そうとする人もいない。工作員はわざとそういう人物を狙っていたのではないだろうか。

実際、この条件に沿って日本人を拉致した北朝鮮の工作員がいる。辛光洙(シン・グァンス)である。

辛は1980年、大阪市内の中華料理店で働いていた原敕晁(ただあき)を拉致した。原は政府が認定する17人の拉致被害者のうちの一人である。辛は、独身で身よりのない日本人を拉致の対象として探している中で、原に目をつけた。原は独身の上、家族とも疎遠だった。

辛は原になりすまして、パスポートを取得。そのパスポートで1985年、韓国に入国して逮捕されている。

竹村も独身だった。茨城県東海村にある動燃の社員寮「箕輪寮」に住んでいた。家族と同居していなければ、いなくなった時に家族が気づきにくい。竹村の場合は、実家が大阪だ。失踪してもすぐには気づかない。

私は、拉致の疑いがある人物で、失踪当時に単身で寮に住んでいた竹村以外のケースを調べることにした。

参考にしたのは、特定失踪者問題調査会が長年の調査の末にまとめた資料だ。

調査会は2003年に結成した民間団体で、代表者は拓殖大学教授の荒木和博だ。

2002年10月に帰国した拉致被害者5人の中に、日本政府が全く把握していなかった曽我ひとみがいたことが調査会を結成したきっかけだ。

報道を見て、家族に失踪者がいる人たちから調査会に「曽我ひとみさんのように政府が全く疑っていなかった失踪者も北朝鮮に拉致されていたのなら、うちもそうなのではないか」と情報が寄せられた。調査会は家族に話を聞いたり、現場に赴いたりしながらそうした情報を吟味していった。警察庁が公開している〈拉致の可能性を排除できない事案に係る方々〉も、警察に先んじて公開していた調査会のリストとかなり重複している。

竹村については、調査会もTansaの報道で初めて知った。荒木は竹村の失踪事件について「拉致問題が動き出す突破口になる」と、取材に協力してくれた。

寮住まいの失踪者が49人

特定失踪者問題調査会による調べの中で、「拉致濃厚」と判断したケースを精査した。私はまず、竹村と同じように独身寮から失踪したケースに絞って探してみた。すると、寮住まいの失踪者は次々にみつかった。

新潟県佐渡市では1974年2月24日、県の佐渡農地事務所職員の大澤孝司が失踪した。竹村が失踪した2年後だ。当時27歳の大澤は独身寮住まいで、寮から約400メートル離れた飲食店で夕食をとった後、知人宅に寄ったのが最後の足取りとなった。

飲食店前の県道で、大澤が店を出た頃に自動車のタイヤがきしむ音を近所の人が聞いた。警察は当初、交通事故も視野に入れ、鑑識係は雪が混じる道路の土砂を調べたが、事故の痕跡はなかった。

失踪の2、3日前、大澤は船で出張先の新潟から佐渡に戻ったが、同じ船で一緒になった同僚は「船中では飲む話、食べる話などをしていて、自殺や失踪のそぶりは全くなかった」と話している。

佐渡といえば、曽我ミヨシ・ひとみの母子が拉致された地である。大澤が失踪した4年後の1978年8月12日、ふたりで自宅から近所の商店にお盆の買い物に出かけたまま、行方不明となった。

ひとみの証言によると、ミヨシと買い物をした後、3人の男に襲撃された。袋に詰められた後、小舟で川から海に。沖で大きな船に乗り換えて北朝鮮に連れていかれた。ひとみは2002年10月に帰国を果たしたが、ミヨシの消息は分かっていない。

私も佐渡に向かった。地元住民によると、曽我親子が行方不明になった頃、釣りに出かけると佐渡の海岸沖に不審な船がいて、照明灯を当ててきたことがある。釣り仲間と「あの船は何だろう」と話していたという。大澤の失踪時にも、勤務先の県佐渡農地事務所で「北朝鮮にやられたのではないか」という話で持ちきりになった。1970年代の佐渡で、すでに地元住民は北朝鮮工作員の存在を意識していたのだ。

新潟県出身で、1960年9月21日に東京都台東区から失踪した宮澤康男も寮住まいだ。当時19歳。製パン会社でパン製造の仕事をしながら、定時制高校に通っていた。友人も会社の人事係も、宮澤に変わった様子はなかったと証言している。「北朝鮮で似た人を見た」という目撃情報が複数ある。

埼玉県深谷市で保育士をしていた今津淳子も寮暮らし。1985年4月30日、27歳の時に失踪した。この日は休暇で、大宮の運転試験場にバイクの免許を取りにいった。夜の7時ごろ、寮の同僚に「これから13分発のバスで帰る。何か買い物はないか」と電話したのを最後に行方不明。最寄りのバス停と寮の間の住民が、犬が激しく吠えるのを聞いた。翌朝、その住民が畑の中に今津の両足の靴を発見した。今津にも「北朝鮮にいる」という情報がある。

この他にも、調査会が公開しているリストから寮や下宿に住んでいた特定失踪者を拾っていくと、49人に上った。

寮からの失踪者は、後に竹村の事件を解明する上で、重要な手がかりをもたらすことになる。

=つづく

(敬称略)

消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。

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