消えた核科学者

「勝田署とよくコンタクトを取っていた」総務系エリートは(33)

2024年01月17日13時03分 渡辺周

プルトニウム製造は、エネルギーの自給を目指す日本にとって国策であるのと同時に、極めて厳重な管理が必要だ。プルトニウムは核兵器の原料に転用できるからだ。

日本政府は、プルトニウム製造を担う動燃を首相の直轄組織にした。プルトニウム製造係長を務めた竹村達也は1972年、政府の厳重な監視下で失踪したのである。

動燃の警備を担当する公安機関は3つあった。茨城県警本部、勝田署(現・ひたちなか署)、公安調査庁だ。ここに動燃の総務部門が加わり、テロリストの手に核物質が渡らないよう動燃の職員の行動に目を光らせた。

竹村の失踪直後、「北にもっていかれたな」と言ったのは勝田署の刑事だ。勝田署と共に監視活動をしていた総務部門のOBなら、何か知っているのではないか。

動燃の総務関係者を洗っていくと、あるエリートOBに行き当たった。

原子力施設や火力発電所が林立する茨城県東海村(2020329日、撮影=友永翔大)

総務部長を経験

そのOBは、動燃東海事業所の総務課長や本社の総務部長、動燃理事長の秘書役を歴任している。動燃の中枢を歩んだ総務系エリートだ。技術系エリートの竹村よりは10歳年下である。

彼は、核燃料を再処理してプルトニウムを取り出す許可を得るための米国との交渉も経験している。核技術の拡散に米国当局が神経を尖らせていたことを肌身で感じていたはずだ。竹村は米国の国立アルゴンヌ研究所に留学し、米国の原子力技術を吸収した人材である。竹村の失踪という「失態」に、動燃としてヒヤヒヤしていたに違いないと思った。

その総務エリートも「アトム会」のメンバーだった。

動燃は1967年、原子燃料公社が改組されて誕生した。竹村は原子燃料公社時代からの職員だが、アトム会は動燃の1期入社組で32人。原子力発電という原子力の平和利用で日本のエネルギー自給に貢献する理想に燃えていた。入社してすぐに上司から「君たちは誇りあるアトム会」だと言われたことが、アトム会の名前の由来だ。

竹村の失踪事件について、私に調べてほしいと依頼してきた竹村の元部下もアトム会の一員だ。退職後もアトム会のメンバーと竹村失踪の話題になると言っていた。この総務系OBも竹村のことを気にかけているに違いない。

入手した動燃の当時の職員名簿をもとに、2018年8月、私は同僚2人と共に自宅をアポなしで訪ねた。突然の訪問では拒絶されるかもしれないと思いつつ、竹村の失踪事件を切り出した際にどのような反応を見せるかが重要だと考えた。

仲の良い同期は竹村を知っていても

自宅から出てきた総務系OBに、1972年(昭和47年)に失踪した竹村達也のことを取材していると単刀直入に告げた。アポなしで訪れる以上、いかに重要な用件で来たかということを先に伝えないと取材を断られかねない。

だが彼の反応は意外なものだった。

「失踪? 竹村? 昭和47年というと随分昔ですね。竹村さんは技術系の方ですか? どうぞお入りください」

竹村のことを誰だか認識できないというのも意外だったが、初対面のアポなしでやって来た人間から、自分が知らないことを尋ねられているのに自宅にすんなり招き入れるということに驚いた。何か意図があるのか。竹村の事件について実は知っているが、こちらがどこまで把握しているか情報を得ようとしているのだろうか。私たちは訝りつつも家の中に入った。

その時家族は不在で彼はひとりだった。リビングルームで夏の高校野球を観ていたところだったという。私は、竹村の顔写真を見せた。

「存じ上げないなあ。36歳で失踪というと12年くらいのキャリアですね。でもこのお顔を拝見するのは初めてです。僕は事務系ですから」

写真をまじまじと見て言った。

――問題は、竹村さんが米国のアルゴンヌ研究所への留学経験があり、プルトニウム製造係長を務めたということです。

「ああ、そう」と彼は驚いた。

「そういう話は僕ら後輩には伝わってないね。僕が仲のよかった同期はプルトニウム製造の仕事をして、アメリカにも留学しましたが。彼にはアメリカで撮影した模擬の核兵器の写真を見せてもらったことがありましたね」

彼が言う同期ならば、すでに取材している。私に最初に失踪事件の調査を依頼してきた竹村の部下とは別人で、彼も竹村がプルトニウム製造係長の時の部下だった。竹村が失踪したことを「個人的に知っている人が北朝鮮に拉致され原爆の開発に関わっているかもしれないと思うと、他人事ではない」と心配している。失踪した後は職場や寮で「ちょっとしたニュースになった」。当時は北朝鮮による拉致問題は日本で明るみになっていなかったが、竹村は北朝鮮に拉致されたのではないかと噂されたという。

ところが、私が会った総務系エリートのOBは、彼の「仲の良かった同期」が竹村の元部下であったにもかかわらず、竹村のことは知らないという。

「竹村さんという方のことは聞いたことがない。プルトニウム技術者の失踪事件、ましてや拉致の疑いがあるとなったら大変なことです。重大事項として引き継がれるはずですが、引き継がれていない」

「不思議だなあ」

自分と「仲の良い同期」が竹村達也のことを心配しているのに、竹村の顔を見たこともなければ名前も聞いたこともないということがあるだろうか。私は、米国と動燃との関係についての話を振ってみた。

ーー最先端の核技術を持った人物が失踪すれば、対米国で問題になるのでは。竹村さんは米国立のアルゴンヌ研究所にも留学し、米国の技術を吸収していたわけですし。外務省を通して米国に報告する必要があったのではないですか。

「そういう話であれば『先輩にこういう人がいた』と伝わるはずだけどね。引き継ぎはなかったねえ。ましてや僕は事務系でも総務、国際畑を歩んだんだから」

彼はそう言って、動燃と米国との関わりを語り出した。

「日本の原子力開発は当時『もんじゅ』にしろ、国際的に追いつけ追い越せでね。日米原子力協定を早く進めようと必死だった。当時のアメリカの大統領は日本がプルトニウムを持つことを許さなかったから」

ここで言う大統領とは、ジミー・カーターのことを指す。大統領に就任したのは1977年1月で、核不拡散を掲げた。1974年5月にインドが核実験を行ったことが米国政府を刺激していた。

日本は米国と原子力協定を結び、使用済み核燃料を再処理しプルトニウムを取り出すことを認められてはいた。しかし再処理の度に米国の同意を得る必要があった。カーターは日本が使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出したとしても、原発で使わない余剰分を核兵器に転用することを警戒した。当時は、東海村にある動燃の核燃料再処理施設が運転を始める直前だったにも関わらず、カーター政権は稼働に待ったをかけてきた。

動燃で国際畑を歩んだ彼は、核燃料の再処理をめぐる米国との交渉についてこう語る。

「僕は当初は交渉の下っ端だった。使い走りです。米国の交渉団が来た時は、直接交渉するのは先輩たちだけど、買い物をしたり、交渉団を日光や京都に観光に連れて行ったりしましたね。幸い、再処理工場は動かしていいということになった。僕はその後、OECDに3年間出向した。帰国後はアメリカとの再処理交渉が蒸し返されるのではないかということで、再処理担当理事に引っ張られた。でも蒸し返されることはなかったですね」

問題は一連の米国との交渉の時点で、竹村はすでに失踪しているということだ。核拡散に神経を尖らせていた米国側にしてみたら、自国の原子力研究所に留学までした日本最先端の核科学者の行方が分からなくなっているのは重大な事件だ。共産主義国との冷戦下で、北朝鮮に拉致された可能性があるとなれば尚更である。

逆に日本側にしてみたら、核燃料の再処理交渉の中で竹村の失踪を米国に知られることは大きなマイナスだ。交渉が日本側にとってうまくいったということは、意図的に隠したのではないか。動燃が竹村の失踪のことを知っていたのは確かだ。竹村の失踪後に勝田署の刑事が東海村の動燃のオフィスに聴取に来ているからだ。

だが彼は首を傾げながら言う。

「こんな重要なことがあれば耳に入ってくるはずですがね。不思議だなあ。日本でも核燃料を再処理してプルトニウムを持てるようにする交渉を、下働きではありましたがアメリカとしていましたから」

まずは「カツケー」と

警察についてはどうだろう。

――総務部は茨城県警と一緒に組合活動を監視していました。

それは人事がよく掌握していましたね。この職員が何年間、共産党的主義を持ったとか、共産党の影響を受けなくなってから何年経つとか、そういうリスト、名簿を作っていましたから。

ーー総務ではなくて、人事が監視していたのですか。

「私は人事も総務も両方経験しました。総務部も警察とよくコンタクトを取っていましたね。県警本部よりも、所轄の勝田警察とよくコンタクトを取っていました。県警との付き合いは年に1回とか2回とか。動燃の東海事業所は大きな原子力施設で警備も大変ですから県警本部も加わっていた。ただまずは近場の勝田警察。近場でね。カツケーを通してだったと思いますよ」

竹村の失踪直後に動燃にきて「北に持っていかれたな」と言ったのは勝田署の刑事である。私は警察から失踪事件について何か聞いたことはないか尋ねたが、それも全く心当たりがないということだった。

=つづく

(敬称略)

消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。

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