保身の代償 ~長崎高2いじめ自殺と大人たち~

組織所属の記者はジャーナリストか、組織人か/「報道の自由裁判」第2回口頭弁論

2024年01月19日23時02分 中川七海

2024年1月19日、元共同通信記者の石川陽一氏が、同社に対して損害賠償を求めている裁判の第2回口頭弁論が開かれた。経緯は本シリーズで報じてきた通りだ。

口頭弁論に向け、原告・石川氏と被告・共同通信の双方が、それぞれの主張を明らかにするための書面を事前に裁判所に提出した。

両者の主張が180度異なっていた部分がある。

それは、組織に所属する記者が独立したジャーナリストとして尊重されるのか、それとも組織人として制約を受けるのかという点だ。

組織所属の記者はジャーナリストなのか、組織人なのか。この裁判の争点になっていくことが明確になってきた。

共同通信、裁判長からの「宿題」をスルー

この日の第2回口頭弁論に伴い、共同通信は準備書面を裁判所に提出した。

共同通信は2023年11月24日の第1回口頭弁論で、中島崇裁判長から「宿題」を課されていた。裁判長は、長崎新聞の編集方針を批判すること自体が、社外執筆許可の取り消しの理由だという共同通信の主張に対し、なぜそれが取り消しの理由になるのか根拠を明確に示すよう求めたのだ。

だが共同通信は準備書面に、裁判長からの問いへの答えを記さなかった。

その一方で、繰り返し訴えている内容がある。「石川氏が共同通信の記者であるにもかかわらず、同社と長崎新聞社との信頼関係を毀損した」という主張だ。

その一部を抜粋する。()内はTansaが補足。

「被告(共同通信)記者としての立場を標榜することなく原告(石川氏)個人の意見として長崎新聞社の報道姿勢を批判したりするのであればまだしも」

「原告(石川氏)が、被告共同通信社の記者であることを標榜しながら、被告共同通信社の記者の水準を充たさない表現活動を行った」

「裏を返せば、被告(共同通信)の肩書等を用いずに、被告(共同通信)の言論活動と認識されえない個人の表現活動については、事前の届出を求めるだけで、被告(共同通信)が職員の表現活動を制約するものではない。」

著者名は「石川陽一」なのに

石川氏が社員として本を執筆したと強調する共同通信に対して、石川氏と代理人弁護士・喜田村洋一氏は、裁判所に提出した準備書面で真っ向から反論した。

「本件書籍は、原告が個人として著わしたものであり、共同通信社社員として著わしたものではない。」

今回の裁判に至る発端となった石川氏の著書『いじめの聖域』は、石川氏が共同通信から「社外執筆の許可」を得た上で個人として執筆し、文藝春秋が出版した。共同通信は第三者であり、何ら関係がないという主張だ。

その裏付けとして、本書の著者名は「石川陽一」と個人名で記しており、「共同通信社社員」といった肩書きは使用していない点を示した。

さらに原告側は、著者名に「共同通信社」という文字が含まれている3冊の書籍を例に挙げた。共同通信の記者が社員として本を執筆する場合と、個人名で出版した石川氏の著書の区別を明確にするためだ。

・『共同通信社会部』(著者名:共同通信社社会部、1994年、講談社+α文庫)

・『東京地検特捜部』(著者名:共同通信社社会部、1998年、講談社+α文庫)

・『平成プロ野球史』(著者名:共同通信社運動部、2019年、共同通信社)

原告側の準備書面は、「結論」としてこう締め括られていた。()内はTansaが補足。

「本件書籍に関係する事実関係に照らして考えても、被告(共同通信)の主張に理由がないことは明らかである。」

ジャーナリストとして認めない

私は、共同通信が自社の記者をジャーナリストとして認めていないと考える。

だが、石川氏はジャーナリストである。自身の言論活動を、誰からもコントロールされてはいけない。組織ではなく独立した個人の判断で行動し表現する。

共同通信の「共同通信社と長崎新聞社との信頼関係を毀損した」という主張は、ジャーナリストとしての立ち振る舞いよりも、「組織人」として、石川氏に社の利益を最優先させることを意味している。

喜田村氏は2023年7月24日、石川氏による提訴を発表した記者会見でこう述べている。

「『報道の自由』は、報道機関に属するジャーナリスト一人一人の『報道の自由』が守られることによってのみ、守られる」

次回期日は3月22日午前11時、東京地裁の第611号法廷で開かれる。

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