消えた核科学者

「アトム会」メンバーの怪死(35)

2024年01月31日11時23分 渡辺周

失踪した竹村達也がプルトニウム製造係長を務めた動燃は今、日本原子力研究開発機構(JAEA)という名前の組織になっている。

私がそのJAEAの広報部報道課に行って担当者に取材したところ、担当者は竹村が失踪したこと自体を知らないという。警察はすでに北朝鮮による拉致の疑いで公開捜査している。担当者はそのことも把握しておらず、「いつからですか」と逆に質問してきた。核物質を扱っているという危機感がまるで感じられない。

私はその広報部担当者に、社内の関係部署に照会をかけて調べ直すように求めた。

後日、回答が文書で返ってきた。ところが今度は当初と言っていることが違う。

JAEAは竹村の失踪事件を「知らない」のではなく、「隠蔽している」のではないか。私はそう考えるようになった。旧動燃は、高速増殖炉「もんじゅ」の事故で重大な情報を隠蔽するほど閉鎖的な組織だった。その隠蔽を巡っては、事故の調査を担当した職員が怪死している。

福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」(2022年12月13日、撮影=渡辺周)

後日回答の食い違い

JAEAに依頼した主な再調査事項と、それに対する回答は次の通りだ。

――失踪当時、勝田警察署(現・ひたちなか署)や竹村氏の親族とやり取りをしているはずだが、記録は残っていないか。人事部だけでなく総務部にも再度確認してほしい。

「再度、総務部・人事部に確認いたしましたが、失踪当時のやり取り等の記録は残っておらず、竹村氏が在籍した事実以外の情報を示す資料は残っておりませんでした」

――2013年当時、「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」として公開捜査となるにあたり、警察や関係機関、竹村氏の親族等から連絡はあったか。

「本件は、現在警察の捜査中と認識しており、本件に関する機構に対する警察からの連絡の有無その他警察とのやり取りについては、捜査当局の承諾なしに情報提供はできません」

――竹村氏は米国の原子力研究機関であるアルゴンヌ研究所に派遣されたが、動燃はアルゴンヌ研究所へはどういった人材を派遣し、派遣された人はどういった業務を行ってきたか。

「海外機関との業務を担当する部署に確認いたしましたが、昭和40年代当時のアルゴンヌへの派遣リスト等は残っておりませんでした。また派遣された方がどういった業務を行っていたか把握できる資料も残っておりませんでした」

――核に関する知識を持った者が失踪した場合、核に関する情報が漏えいする恐れがある。その意味で、竹村氏が失踪した1972年当時、IAEA(国際原子力機関)や国内の関係省庁(政府含む)、関係研究機関(アルゴンヌ等)などに報告し、事件の詳細を共有する仕組みはあったのか。

「関係部署に確認いたしましたが、当時こういった情報がどのように管理されていたのか、確認することはできませんでした」

――現在、核に関する知識を持った者が失踪した際に、IAEAや国内の関係省庁、関係研究機関等に共有する仕組みはあるのか。

「核に関する知識・情報が漏えいする恐れがあるという観点でIAEA等に情報共有する仕組みはありません。ただし、これに限らず機構の事業に関する事やその他関連する事項については、監督官庁、関係省庁と適宜情報共有しております」

再度、JAEAの関係各所に照会して回答してきたという広報部。だが中身のないものだった。それどころか、「核に関する知識・情報が漏えいする恐れ」を想定し、政府やIAEAと事態に対処する仕組みすらなかったことが露呈した。

しかし、と私はこの回答をみて思った。本当にJAEAには竹村の失踪について何も記録が残っていないのだろうか。後日JAEAが出してきた回答を精査すると、最初の面会取材とは違うところが2点ある。

一つは警察とのやりとりだ。面会取材では、警察庁が竹村のことをホームページに「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」として掲載していることを、私から知らされて初めて知ったと言っていた。

しかし、後日の回答では「警察とのやり取りについては、捜査当局の承諾なしに情報提供はできません」となっている。警察とJAEAはしっかり連絡を取り合っているのである。

もう一つは、核の機密情報についてだ。最初に取材に行った時には「今であれば、我々の技術は機密情報でもあるので、規定に則らないと罰則があります」と答えていた。

だが後日の回答では「核に関する知識・情報が漏えいする恐れがあるという観点でIAEA等に情報共有する仕組みはありません」に変わっている。

JAEAはまともに質問に答えていないどころか、事実を隠蔽しようとしているのではないか。私の中で、そんな疑念が広がってきた。

もんじゅ事故の情報隠蔽で

JAEAに対して疑念を抱く大きな理由は、もう一つある。動燃で総務系の仕事を担った西村成生(しげお)の怪死をめぐる対応である。

西村は1996年1月13日未明、東京都中央区内のホテルの駐車場で遺体となって発見された。西村も「アトム会」と言われた動燃の1期入社組。私に竹村達也失踪の調査を依頼した人物や、竹村のこと自体を「存じ上げない」と答えた総務系OBと同期である。

発端は1995年12月8日、福井県敦賀市にある動燃の高速増殖炉「もんじゅ」で、冷却剤として使っていたナトリウムが漏れた事故だ。

高速増殖炉とは、発電しながらプルトニウムが増える原子力発電のことだ。竹村が動燃に在籍していた時代から、政府はもんじゅを稼働させることに躍起だった。もんじゅが実用化されれば、日本はエネルギー自給を達成できる。「夢の原子炉」と言われた。

ナトリウム漏れ事故も重大だが、より問題になったのは動燃による事故情報の隠蔽である。動燃は、事故から間もない午前2時に現場を撮影した「2時ビデオ」を持っていたのにも関わらず、この存在を隠した。その代わり事故後14時間経ってからの現場を撮影したビデオを、事態の重さをうかがわせる部分をカットした上で公開した。

しかし、すぐに2時ビデオの存在が露呈する。動燃は窮地に立たされ、もんじゅの所長らを更迭。隠蔽問題を調査するためのチームで、調査を担ったのが総務部次長の西村だった。

西村が調査をした結果、動燃にとってはさらに不都合な事実が発覚する。2時ビデオの存在を、もんじゅの職員だけではなく、本社の一部の職員も当初から知っていたのだ。12月8日の事故翌日の9日に本社に届けられ、本社の職員たちはこのビデオを見ていた。これでは、もんじゅの所長を更迭するだけでは済まない。動燃本社にも2時ビデオの存在を隠した責任が生じてくる。

西村の調査結果は、事故から2週間あまりの12月25日に動燃理事長の大石博に報告された。大石は関西電力で常務取締役を務めた後、1989年に動燃の副理事長に就き、1994年から理事長を務めていた。

ところが動燃は、この結果をすぐに公表しない。年明けの1996年1月12日になってようやく記者会見を開いた。

この日の記者会見が、西村の死の原因を示唆することになる。

=つづく

(敬称略)

消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。

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