消えた核科学者

動燃の闇(37)

2024年02月14日10時39分 渡辺周

高速増殖炉「もんじゅ」で1995年12月8日、冷却材のナトリウムが漏れる事故が起きた。動燃は事故翌日の午前2時、その生々しい状況を撮影している。「2時ビデオ」である。しかし動燃はその2時ビデオの存在を隠そうとした。

隠蔽は科学技術庁の立ち入り調査ですぐに発覚してしまった。動燃本社の総務部次長、西村成生(しげお)らが隠蔽の過程について社内調査を命じられる。しかしその過程で、動燃にとってさらに不都合な事実が発覚した。「2時ビデオ」を、「もんじゅ」がある福井県敦賀市の社員だけではなく、動燃本社の社員も見ていたのだ。

動燃本社でも「2時ビデオ」の存在が知られていたことについて、理事長の大石博は12月25日に報告を受けた。ところが、それについて記者会見を開いたのは、年が明けた1月12日。しかもその席で大石は「2時ビデオ」を本社でも見ていたことを知った日を問われ、1月11日の夕方だと嘘をついたのだ。

これに対して西村は、大石の嘘に辻褄を合わせて記者たちに説明した。

会見終了から数時間後の1月13日未明、西村の遺体がホテルの駐車場で発見される。宿泊していた部屋には3通の「遺書」があった。

理事長をかばう文面

3通のうち1通は、妻のトシ子に宛てたものだ。「動燃の仲間には、大変お世話になったし、感謝しているところです」と感謝の意を示しているのに、トシ子に対しては「色々苦労をかけました」と素っ気ない。長男と次男については、「子供達をよろしくお願いし、お別れとします」と名前も書いていない。

トシ子は、この遺書は成生が書いたものではないと感じた。他人が書いたか、指示された通りに書かされたものではないか。

他の2通の遺書は、その思いをさらに強くさせた。

まず、理事長の大石へ宛てた遺書だ。トシ子への遺書の3倍以上の分量だ。

大石博理事長殿

前略 日夜ご苦労の極みと拝察致します。今回の事故後の対応のまずさは、私自身も極めて残念だと思っております。

特にビデオの編集の件が事故から事件に変えた最大の要因であり、動燃の体質論までに捉えられてしまったことはプロパー職員の一人としても残念でたまりません。

私自身、事実関係調査の指示を受け、昨年末から現地、本社関係者から様々な思いや、考え方を聞いて参りましたが、決して事故隠しをしようと考えている者はいなかったと信じております。

人間の記憶は曖昧なものであり、これだけの異常なる関心を集めた、かつ技術的には自信を持っていたにも拘らず事故を起したことからの動揺と混乱は、説明しがたいものがあったのではないでしょうか。

人が人を裁く、あるいは見推めて(遺書のママ)いくことは大変難しいことです。白黒とはつけられない状況もあるはずだと思います。

いずれにしろ、理事長が、正直であることが第一であり、決して隠すことのない様に言われていましたが、私も同感であります。

しかし、今回のプレス発表という大事な局面で、私の勘異い(遺書のママ)から理事長や役職員に多大の迷惑、むしろ「本当のウソ」といった体質論に反展(遺書のママ)させなかねない事態を引き起す恐れを生じさせてしまったことは理事長はじめ全社一丸となって信頼の回復に努めていこうとする出鼻をくじく結果となり、重くその責任を感じているところです。

我々動燃に働く者達は、明日へのエネルギー確保を我々の手で築いていこうと自負を持ち今迄も、これからも頑張っていこうとしています。

大変な時期に理事長として頑張られている姿に敬服しておりますが、それだけに己れの失態を重く受け止めています。

誠に残念です。

最後に○○君が折角素直に私に対し、臨んでくれたことにまで迷惑をかけてしまったことにお詫びをさせて頂きます。

草々

2時ビデオが本社にあることを把握した日を1月だと答えたのは自分の失態であるとし、その失態の原因は自分の勘違いだと書いている。

しかし2時ビデオの隠蔽問題を調査し、12月8日の事故翌日には本社にビデオが届けられたことを突き止めたのは西村である。そのことは12月25日に理事長の大石に報告した。勘違いなどするわけがない。明らかに大石をかばっている文面だ。

誤字があることも、トシ子の不審感を募らせた。例えば「勘違い」を「勘異い」、「発展」を「反展」と記している。夫は非常に正確に文章を綴る。こんな凡ミスをするだろうか。

トシ子はその後、成生が仕事の記録として残した大量のノートを、片っ端から調べていった。

やはり、誤字はなかった。「勘異い」も、「異」という字は使わず「勘ちがい」と書いていた。

遺書のもう1通は、成生と同じ動燃入社1期生の秘書役宛てだ。竹村達也が失踪したことばかりか、竹村が動燃に在籍していたことすら「存じ上げない」と言った、あの総務系エリートのOBである。

◯◯君へ

迷惑をかけてしまった。

後の事は頼みます。

余りにも変化が激しく、失態を演じてしまいました。

許して下さい。

何かやっと寝れそうです。

以上

ここでも「失態を演じてしまいました」と、理事長の大石ではなく、自分に責任があると書いている。嘘をついたのは大石なのだから、明らかに矛盾している。

死後2日で作られた「自殺に関する一考察」

動燃自体は、西村成生の死についてどう考えているのか。

私は「西村職員の自殺に関する一考察」という文書を入手した。作成者は秘書役である。

秘書役は、自分宛てのものも含めた3通の遺書の内容や、西村の記者会見での様子を吟味した。その記録である。文書の日付は西村が死亡してから2日後の1996年1月15日。動燃内部で今後の対応を検討するために作成した。

冒頭、秘書役は西村の性格を説明しつつ「自殺」の原因に言及する。

西村職員は責任感が強く、物事を深く考察し、分析力もあり冷静に物事を判断する力があります。

エネルギッシュですし上司に対してもはっきりと物を言う男です。文章作成能力や人を見る公平な姿勢を買われて今回のビデオ問題調査班に加えられました。

私の見る限り彼は精神的にも相当タフな男でした。簡単な理由で自殺などする訳はありません。寝不足、疲労、ストレス、人間関係等々、複合的な要因により発作的に死を選んだのだと思います。

記者会見での西村の心中は、次のように推し量っている。

「12月25日に本社ビデオが有ったことは事実。然し報告としてまとめる為、更なる事実関係を調査し、不明な点も残されてはいるが概ねビデオ関係の全貌が明らかになったのが1月10日である。ビデオを即公表しなかったことについては更なる調査が必要であった」が正直な回答だったと思います。

「結論」としては、以下のように記述している。

理事長も幾度となく全て正直に素直に堂々と言え、全責任は私が取ると言っておられました。西村職員が素直に訂正できていればよかったのですが。

記者会見後、彼も1月10日に関するQ&Aが相当気になったのでしょう。広報の職員にホテルまでファックスするように命じています。

事実、新聞報道にもあるように午前2時頃寝巻き姿で5枚のファックスをフロントに取りに来ています。

ファックス内容を確認し、1月10日のやりとりが記事になり、後から訂正するとまたまた大きな反響が出る。失態を演じたと覚悟を決めたのだと推察します。

虚偽報告を繰り返した末に

西村成生の死から1年あまりの97年3月、動燃は茨城県東海村の使用済み核燃料の再処理工場で、今度は爆発事故を起こす。原発事故の国際評価尺度ではレベル3。国内で前例のない重大な事故だった。

さらに深刻なのは動燃がまた虚偽報告をしたということだ。廃液を固化する施設でドラム缶から炎があがった後、水を散布し「消火の確認をした」と報告したが、実際は消火を確認していなかったのである。最初に炎が上がってから10時間後に爆発した。

科学技術庁1か月後の97年4月、元東京大学総長の吉川弘之を座長として「動燃改革検討委員会」を設置する。吉川は精密工学が専門で、原発の保守作業をするロボットの開発研究に取り組んだことがある人物だ。検討会の趣旨は次のようなものだ。

「昨年のもんじゅ事故に続き、先月、東海再処理施設アスファルト固化処理施設で、火災爆発事故を引き起こした動力炉・核燃料開発事業団(以下「動燃」という。)の体質及び組織・体制について、徹底的に第三者的なチェックを行い、抜本的な改革を図る必要がある」

97年8月には「解体的に改組し新法人に移行すべきだ」と原子力委員会に提言した。動燃は「自らを取り巻く様々な状況の変化に的確に対応できない『経営の不在』」、「外界の反応を得るための発信を怠った『閉鎖性』」を指摘された。

動燃はこの提言から1年あまりの98年10月、核燃料サイクル開発機構として再出発した。さらに2005年には日本原子力研究所と統合し、現在の日本原子力研究開発機構(JAEA)となった。

もんじゅ事故での隠蔽後、動燃は核燃料サイクル開発機構となり現在は日本原子力研究開発機構(JAEA)に(2018年11月21日、撮影=友永翔大)

=つづく

(敬称略)

消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。

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