消えた核科学者

写真鑑定で同一性「極めて高い」(41)

2024年03月13日7時09分 渡辺周

河嶋功一が失踪したのは、1982年3月21日。横浜市金沢区の学生時代のアパートを引き払い、静岡県浜松市の実家に引っ越す日だった。

ところがその2日後の23日、引き払ったばかりのアパートに住民票が移されていた。

この住民票の不可解な移動に、神奈川県警外事課は大きな関心を寄せた。

功一は大学在学中も引っ越しをしている。横浜市金沢区のアパートに引っ越した際、その前の住所から住民票を移していなかった。就職して浜松の実家に住むのだったら、住民票は実家に移さないとおかしい。

一体、誰が、何の目的で、金沢区のアパートに住民票を移したのか。

辛光洙との共通点

神奈川県警外事課は、横浜市金沢区役所の当時の戸籍係を聴取した。だが、誰が功一の住民票の手続きに来たのか。そのことを覚えている人はいなかった。

それでも外事課は、功一本人が金沢区役所に手続きに来たと推察した。住民票の申請書類に、「○○荘」とアパートの名前まで書かれていたからだ。功一が住んでいたアパートは、「○○荘」という看板や表示がない。下宿の名前を知っているのは、住民や大家といった当事者だ。

目的は何か。当時の戸籍係は言う。

「何らかの理由で住民票が必要になったからではないですか」

例えば、パスポートを作るには住民票の写しが必要だ。功一は、浜松の新しい就職先に実家から通うことになっていた。住民票を取るとなれば、浜松市に住民票を移さなければならない。しかし実家の住所で住民票の写しを取れば、家族に発覚する恐れがある。

北朝鮮の工作員が、パスポートなど偽造の身分証をつくるため、功一に元のアパートの住民票を取らせたのではないか。

北朝鮮の工作員、辛光洙(シン・ガンス)のケースが参考になる。1980年6月、大阪市内の中華料理店でコックをしていた原敕晁を拉致した。

辛は原を拉致して5か月後、再び日本に戻った。その際に協力者から原の住民票を受け取った。その住民票を使い、印鑑登録証や国民健康保険証などを次々に取得した。パスポートまで手に入れていた。そのパスポートで原になりすまし、欧州やアジアの国々に出入りした。

神奈川県警・科学捜査研究所は

警察の捜査が進展しない中、河嶋功一の家族が期待を寄せたのは写真鑑定だった。

2009年に朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』に、金正日総書記とミサイル技術者たちとの写真が掲載された。そこに、河嶋功一に似た人物がいるとの情報を得たのである。民間団体「特定失踪者問題調査会」のメンバーが情報を入手した。

ただ、写真の人物が功一だとして、1982年に23歳で失踪してから27年が経過している。目などは似ているものの、頭髪は薄くなり頬がこけている。家族であっても判別は難しい。母の愛子は初めて写真を見た時に「息子ではない」と思った。

神奈川県警は、科学捜査研究所で写真を鑑定した。

「同一」「おそらく同一」「同一の可能性もある」「別人」の4段階に分けるならば、「同一の可能性もある」という結果だった。労働新聞に載った写真1枚だけとの比較では判断ができなかった。さらに詳しい鑑定を専門家に依頼することになった。

だが、警察ルートで依頼した専門家の鑑定はなかなか進まない。多くの鑑定を抱えているという理由だった。時間だけが過ぎていった。

写真の情報がもたらされた翌年の2010年9月には、父・孝浩が82歳で死去した。1982年に23歳の息子と生き別れて以来、とうとう会えないままだった。北朝鮮による拉致の疑いが出てからは、政治家への陳情など、息子の事件の捜査を進めるために精力的に活動した。

このままでは事態は打開できない。妹の智津子は2011年11月、警察ルートとは別の専門家に写真の鑑定を依頼した。

依頼した相手は、似顔絵捜査専門家の坂本啓一。坂本は全国各地の事件で、容疑者特定のための顔の分析を担ってきた。警察を退官後もメディアや警察の求めに応じて顔分析を実施していた。

「顔のパーツの位置関係は95.83%の確率で適合」

左から『労働新聞』に掲載された人物、高校時代、大学時代の河嶋功一さん

坂本は、労働新聞に掲載された写真に写る男性と、功一の2枚の写真を比較分析した。1枚は功一が高校生の時のもので、もう1枚は大学生の時のものだ。

坂本は目や眉、唇といった顔を構成する部位間の距離を計測した。耳の形状やつむじなども調べた。智津子が依頼してから2か月後の2012年1月11日、鑑定結果が出た。『労働新聞』の写真の人物の年齢が不明な点や、画像が粗いことで鑑定に限界はあるものの、主に次のように分析した。

顔のパーツの位置関係は、95.83%の確率で、功一の写真と労働新聞の写真が適合している。

 

功一の写真も労働新聞の写真も、左右の眉の位置に段差がある。向かって右側の眉が、左の眉よりも下がった位置にある。こうした特徴は固有のものである。

 

両眉の尻下がりの形状に特徴がある。

 

労働新聞の写真は年齢を重ねていて、頭髪の境界線が額から後退しているものの、頭髪は左分けである。功一の写真と同じように、つむじが右回りであることが推認できる。

坂本は分析結果から、次のように結論付けた。

「同一性が極めて高いと判断し、早急にその他の異同識別鑑定を合わせて実施することを希望するところであり、拉致認定調査を積極的に進めるべき対象検体であると考えるべきである」

しかし、それから10年以上が経った今も、智津子ら家族には警察と政府から鑑定について何の連絡もない。

2009年4月5日の弾道ミサイル発射後に、金正日総書記と記念撮影をする技術者ら(朝鮮中央通信)。マルで囲った人物が河嶋功一さんと似た人物

河嶋功一さん

=つづく

(敬称略)

消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。

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