消えた核科学者

京セラ、三菱原燃、旭化成・・・取り沙汰された転職話(46)

2024年04月17日9時52分 渡辺周

竹村達也は1969年、動燃の重要なプロジェクトで失敗する。フランスの高速増殖炉「ラプソディ」にプルトニウム燃料を納めたが、不良品だという理由でフランスから返品されてしまった。

竹村は、プルトニウム燃料製造の現場責任者だった。失敗の責任を取らされて、他部署に異動となる。

異動先は技術部検査課試験係。それまでのプルトニウム燃料部と比べれば中枢からは外れた部署だった。係長の役職も失った。

それから2年余りの1972年3月、竹村は失踪する。左遷されてから失踪するまでの間に何があったのか。

慌てた人事担当者

竹村は大阪大学工学部で冶金を学んだ後、動燃(入社時は原子燃料公社)に就職した。動燃では米国の国立アルゴンヌ研究所への留学生に選抜。世界最先端の核技術を吸収し、帰国した。

その竹村が技術部の検査課に、ヒラの課員として左遷された。業務内容は核燃料を検査する係。プルトニウム燃料部では、プルトニウム製造係長として燃料を製造する側だった。果たして竹村は検査課での業務に満足していたのだろうか。

ヒントになるのは、竹村の転職話である。動燃のOBや大阪大学工学部での同級生を取材する中で、竹村が転職したものだと思い込んでいた人たちが多いことを知った。

例えば、プルトニウム燃料部での元同僚の証言。

「竹村が退職するっていうんで、『独身者は気軽でいいなあ』なんて他の同僚と言っていたんだ。退職後は京セラに転職するってことだったから」

京セラとは電子工業用部品のセラミックスを製造する企業だ。

元同僚は「ところがだ」と、竹村と動燃の人事部にまつわる興味深い話を聞かせてくれた。

「民間企業の人からしたら想像がつかないでしょうが、お役所勤めの甘いところで、僕らは期末手当が年3回出ていたんです。6月、12月、3月とね」

「でも竹村は3月の期末手当を受け取らずに退職してしまった。動燃の人事部は期末手当を彼に支払おうと竹村の転職先に電話した。ところが、相手の会社は『そんな人物はおりません』と言ったんだ」

この元同僚の記憶では、その時に人事の担当者が電話をかけた先が京セラだったという。しかしその京セラには行っていなかったのだ。

「じゃあ、竹村はどこに行ったんだということになって、人事は慌てた。動燃にしたら、大学を出てプルトニウムの研究をしていた人間が、技術を持ったまま姿を消したとなったら、えらいことになる」

期末手当をもらわずに退職

竹村の転職先については他の会社の名前も挙がっている。

動燃と同じ茨城県東海村にある三菱原子力燃料だ。プルトニウム燃料部での竹村の部下たちが、転職の可能性のある一つとして挙げた。三菱原燃は、竹村が失踪する前年の1971年12月に東海村で設立。竹村が失踪する2か月前の1972年1月には、核燃料加工事業の許可を取得している。

ただ部下たちによれば、当時の三菱原燃は動燃に比べれば核燃料を製造する技術は低かった。部下の一人が言う。

「当時の三菱原燃に移っても、技術者としての仕事の魅力はそんなにないし、キャリアアップになるとも考えられない。なにしろ竹村さんは、アルゴンヌ研究所にも留学した日本のプルトニウム燃料のパイオニア、第一世代ですから。待遇面でも、当時は三菱原燃に移ってもよくはならなかったと思う」

この部下は、私に竹村の失踪について調べてほしいと依頼してきた人物である。三菱原燃に転職したと思っていたところへ、茨城県警勝田署の刑事が動燃にやってきて竹村の失踪を告げられた。その際に、三菱原燃には転職していなかったことを知った。

竹村の転職先として挙がっているのは、京セラと三菱原燃だけではない。

大阪大学工学部のゼミで共に冶金を学んだ同級生は、宮崎県の旭化成に竹村が転職したと思い込んでいた。旭化成は総合化学メーカーである。私が彼の大阪市内の自宅を訪れ、竹村の失踪を告げた際は驚いていた。

「え、そうなんだ! 失踪したなんて全然知らなかった。竹村君は、動燃を辞めて宮崎の旭化成へ行くと、当時誰かから聞いたんだがなあ」

製造している商品を考えれば、旭化成も京セラも竹村の転職先としてはあり得る。三菱原燃は核燃料を扱うからなおさらだ。

しかし、竹村はそのどこにも行っていない。

一方で、竹村が1972年3月に動燃を退職したことは確かだ。日本原子力研究開発機構(動燃の後身)の広報部報道課によると、竹村は技術部検査課を最後に、1972年3月31日付で退職している。「自己都合」だという。

退職理由に「自己都合」という記録が残っている以上、竹村は何らかの理由があり自らの意思で動燃を去ったことになる。

しかし不自然な点がある。

竹村の元同僚の証言によると、動燃の人事担当者は未払いの期末手当を竹村に支払うため「転職先」に連絡。だが「そんな人は来ておりません」と言われた。竹村に期末手当を支払えなかった。

自らの意思で動燃を去る以上、少しでもお金をもらってから辞めるはずだ。期末手当はまとまった金額のはずである。それを受け取っていないということは、それは本人の意思による「自己都合退職」ではないのではないか。

茨城県東海村のJR東海駅(2020年3月29日、撮影=友永翔大)

=つづく

(敬称略)

消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。

拉致問題の真相を追求する取材費のサポートをお願いいたします。

 

北朝鮮による拉致問題は、被害者やその可能性がある家族の高齢化が進んでいるにもかかわらず、一向に進展がありません。事実を掘り起こす探査報道で貢献したいと思います。

 

Tansaは、企業や権力から独立した報道機関です。企業からの広告収入は一切受け取っていません。また、経済状況にかかわらず誰もが探査報道にアクセスできるよう、読者からの購読料も取っていません。

 

サポートはこちらから。

消えた核科学者一覧へ