消えた核科学者

横田めぐみ事件がクローズアップされた年に(50)

2024年05月15日14時21分 渡辺周

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竹村達也の失踪事件を捜査しているのは、大阪府警外事課だ。竹村の実家が大阪にあったからだ。私は大阪府警外事課の調査官、村岡修一に面会取材ができた。

しかし大阪府警は、竹村が動燃を退職した経緯を正確に掴んではいなかった。未払いの期末手当を受け取らないまま退職した情報も知らず、外事課の村岡が驚いていたほどだ。

しかし竹村が失踪した際に、茨城県警が初動捜査をしている。そのとき県警の刑事が茨城県東海村にある動燃の事業所にやってきて、「北に持っていかれたな」と動燃の職員に言っている。

大阪府警は、初動捜査の結果を茨城県警から引き継いでいないのだろうか。

大阪府警が事件を知ったのは

私は大阪府警外事課の村岡に、茨城県警との情報引継ぎについて尋ねた。

――茨城県警は大阪府警に事件を引き継いだのですか。

「竹村さんの失踪事案は、最初に茨城県警へ捜索願が出されたものと承知しております。その後、大阪府警にも家出人の捜索願が出された。大阪府警はそこで初めて失踪について把握したということですわ」

――ということは、ご家族は茨城県警と大阪府警に対して別々に失踪届を出しているということですか。

「そうです、茨城県警には茨城県警で出して、その後大阪府警にも出したということです」

――では茨城県警が初動捜査をして、その後に実家がある大阪府警に引き継いだということではなくて、大阪府警はご家族からの届け出があったことで初めて竹村さんの事案を知ったと。

「そうです、間違いないです」

事件解決で重要なのは初動捜査だ。未解決事件の多くは、初動捜査で失敗している。

それにも関わらず、大阪府警は竹村の失踪事件について、初動捜査を担当した茨城県警からではなく、家族の届け出によって知ったという。

失踪から25年後に

茨城県警への届け出と、大阪府警への届け出の間隔はどの程度だろう。あまり空いていなければ、大阪府警は事件発生から間もない時点で捜査ができる。初動捜査を担当した茨城県警からも捜査情報を聞き出しやすい。

竹村の家族はいつ大阪府警に届け出を出したのか。

思いも寄らない答えが返ってきた。

「平成9年に、大阪府下に住む竹村さんのご家族から届け出がありました。茨城県警にも失踪当時に届け出を出していたけども、改めて大阪府警に届け出を出したと。私たちとしては『届け出人であるあなたの住所が大阪ですから、大阪府警の方で捜査していきます』ということになったわけです」

平成9年は1997年だ。竹村の失踪から25年後に家族は届け出を出したことになる。

だがなぜ1997年なのか。思い当たることは一つしかない。この年は、北朝鮮に13歳で拉致された横田めぐみの事件がメディアや国会で大きく取り上げられようになった。

前年に、朝日放送のプロデューサーだった石高健次が「現代コリア」に記事を掲載したのがきっかけだった。バドミントンのクラブ活動の帰りに女子中学生が拉致されたという元北朝鮮工作員の証言を報じた。

その証言が、横田めぐみが失踪した状況と一致していることが分かり、事件は急展開した。

1997年2月3日、衆院予算委員会で新進党の西村眞悟が横田めぐみの実名を挙げて質問する。

「北朝鮮から亡命した工作員が、13歳の女の子を拉致したらしい。その子は頭のいい子で、バドミントンのクラブの帰りしな、工作員が脱出しようとするのを目撃したので連れて帰った。朝鮮語をしゃべれるようになればお母さんに会わせてやると言われて、一生懸命勉強した。しかし、18歳ごろになってそれがかなわぬこととわかり、病院にそのとき入院していた。その証言と、バドミントンの帰りに拉致されたという日本の新潟日報の記事が、見事に符合しているわけです」

橋本龍太郎首相の答弁は「捜査当局において所要の捜査が厳重に進められていると思っております」といった程度にすぎなかった。

だが事態はどんどん進む。

1997年3月25日、横田めぐみの父である滋を会長として、7家族12人が「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成したのだ。

1997年5月1日の参議院決算委員会では、ついに警察庁警備局長の伊達興治が「拉致の疑いがある」と認めた。横田めぐみの事件について質問した自民党の吉川芳男に対して答えた。

外務大臣の池田行彦も次のように答弁した。

「横田めぐみさんの件につきましては、最近になりましていろいろな新しい情報であるとか、あるいは証言なども出てまいりました」

「そういった中で、韓国の当局とも連携をとりまして、私どもいろいろな情報の収集等々に当たってきたわけでございます。そういったことを踏まえまして、先ほど警察庁の方から御答弁もございましたけれども、従来必ずしも北朝鮮による誘拐というふうには考えていなかった本件につきましても、その疑惑が非常に濃厚であるということが現在までの時点で出てまいりました」

つまり1997年というのは、横田めぐみが拉致された可能性を、政府が初めて認めた年だったのだ。

特定失踪者問題調査会主催「『お帰りと言うために』拉致被害者・特定失踪者家族の集い」の写真パネル(2023年10月21日、撮影=渡辺周)

竹村の家族は今

竹村達也失踪の大阪府警への届け出は1997年だった。横田めぐみの事件でクローズアップされた拉致問題に、竹村の家族が触発された可能性が高い。

1972年に失踪した時も茨城県警に捜索願を出したものの、捜査に進展がない。あきらめきれないでいるところへ、横田めぐみの報道に触れて大阪府警に再び届け出たのだろう。

私は取材の着手時から、竹村の家族を取材したくて居場所を探している。動燃のOBたちによれば、竹村の大阪の実家の姉と母が、当時は竹村を探していたという。

だが動燃のOBたちも、大阪大学と天王寺高校の同級生たちも、竹村とのつきあいが薄かった。実家の住所を知らない。

北朝鮮は、人付き合いが少ない人物を拉致の対象にする傾向がある。その後の捜索を困難にするためだ。竹村が拉致されていたとしたら、北朝鮮の目論見通りということになる。

高校時代に住んでいた場所は分かった。だが一帯は、高速道路の建設で地区ごと立ち退いており、竹村の実家を辿れない。竹村の父と同じ名前の人物が奈良県にいることを発見したこともあった。かなり珍しい名前だったので、もしやと思って尋ねたが別人だった。

民間団体「特定失踪者問題調査会」代表の荒木和博に、メーリングリストで竹村の家族を知っている人がいないか呼びかけてもらった。このリストには、失踪者の家族や拉致問題を追っている人たちが入っている。だが、これも情報はない。

1997年に竹村の家族が大阪府警に届け出ていたことを知り、どうしても家族に会いたくなった。家族も、私が取材して得た情報を知りたいはずだ。動燃時代の部下や、阪大での同級生の中には竹村のことを心配している人たちがいることも伝えたい。

私は外事課の村岡に、家族の居場所を教えてほしいと頼んだ。だが返事は「被害者側のプライバシーを明かすわけにはいかない」とのことだった。

では、私が取材していることを伝えてもらうのはどうだろう。その上で家族に、私に会うかどうかを判断してもらえばいい。しかし、これも断られた。私は村岡に尋ねた。

――竹村さんのお姉さんなり、ご親族なりはご健在で捜査のことを理解できている状況なんですか。

「本人さん(竹村達也)がご存命なら84、5歳ですからご家族も高齢ですが、こちらが捜査状況を伝えると、それは理解しておられます」

=つづく

(敬称略)

消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。

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北朝鮮による拉致問題は、被害者やその可能性がある家族の高齢化が進んでいるにもかかわらず、一向に進展がありません。事実を掘り起こす探査報道で貢献したいと思います。

 

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