消えた核科学者

竹村失踪の3日前に(52)

2024年05月29日10時32分 渡辺周

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動燃の元プルトニウム製造係長・竹村達也は1972年、茨城県東海村から失踪した。

捜査を始めたのは茨城県警だった。地元・勝田署の刑事は、動燃の竹村の部下に事情聴取した際、「(竹村は)北に持っていかれたな」ともらしている。

今は竹村の北朝鮮による拉致疑惑について、大阪府警が捜査している。1997年になって、大阪に住む竹村の家族が、改めて大阪府警に捜索願を出したからだ。

ところが大阪府警外事課に取材すると、茨城県警から初動捜査の引き継ぎすら受けていないことが判明した。

連携不足により、大阪府警は事件のある重要なポイントを見落とす。

茨城県警の公安エリートは

大阪府警は、1972年に竹村達也が失踪した当時のことを茨城県警からしっかり引き継いでいない。そうであれば、その間の事情は茨城県警に直接聞くしかない。私はTansaのメンバーと手分けして、竹村の件を知っていそうな茨城県警の関係者を探した。

Tansaのメンバーの1人が、ある茨城県警OBを見つけた。

2013年に、ひたちなか西署(旧・勝田署)の署長をしていた人物だ。東海村を管内に持つ。

この元ひたちなか西署長は、スパイ事件など公安事件を担当する県警本部外事課の課長も務めている。県警の公安エリートだ。

彼がひたちなか西署長だった2013年は、警察庁が竹村の情報を「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」としてホームページにアップした年だ。

Tansaのメンバーが、自宅を訪れた。インターホン越しに取材の趣旨を伝えると、玄関にスウェット姿で現れ、取材に応じた。

ーー2013年に警察庁のホームページに竹村の情報が掲載された際に、あなたは家族の了解を得る手続きをしませんでしたか。

「そういう話、全くないです。(署長という)自分の立場では、そうした書類を見ることができる環境にあります。しかし記憶にない」

ーー竹村さんは実家が大阪で、失踪届けはお姉さんらが大阪府警に出しているようですが。

「じゃあ(事件を主に担当したのは)そっち(大阪府警)じゃないですか」

ーーでもあなたは県警本部の外事課長も務めています。動燃の警備や拉致のことは大きな関心事だったのではないですか。

「相当、興味を持っていました。今でもね。でも(竹村さんの事件では)そういうことなかったですね」

ーー竹村さんが1972年に失踪した時、勝田署の刑事が動燃を訪ねていますよ。

「ああ、そうなんですか。そういう情報は初めて聞きました。もちろん、動燃のことは警備の面では見ていますけれども、拉致問題に絡めてというのはやっていませんね。引継ぎはないですね」

ーー竹村達也さんという名前は、まったく記憶にないのですか。

「ない、ない」

県警の公安エリートが、動燃で核燃料を製造していた竹村が失踪した事実も知らなかった。

短期間、社員寮、核のまち

茨城県警は竹村の失踪事件についての情報は持っていなかったが、ある重要な事実を把握していた。

竹村が失踪する3日前の1972年2月27日、19歳の女性が茨城県日立市内から姿を消しているのである。動燃とは別の会社の社員寮から出かけたまま失踪した。

茨城県警はこの女性の失踪も「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない」事案として捜査している。公開捜査として警察庁のホームページには掲載されていないが、Tansaへの情報提供や警察への取材で把握した。

一方、大阪府警の外事課は、日立市内の女性の失踪については知らなかった。茨城県警の外事課は、県警内で引継ぎがなく竹村の失踪を知らない。両者の失踪を結び付けた捜査は、行われてこなかった。

しかし両者が失踪していたことは、北朝鮮による拉致の可能性をより高める。理由は三つある。

まず、日付が近い。日本政府が拉致認定している17人の拉致の時期を見てほしい。

 

久米裕 1977年9月19日失踪。東京都三鷹市、52歳、警備員

 

松本京子 1977年10月21日失踪。鳥取県米子市、29歳、縫製工場勤務。

 

横田めぐみ 1977年11月15日失踪。新潟市、13歳、中学生

 

田中実 1978年6月ごろ失踪。神戸市、28歳、ラーメン店店員

 

田口八重子 1978年6月ごろ失踪。東京都豊島区、22歳、キャバレー勤務

 

地村保志 1978年7月7日失踪。福井県小浜市、23歳、大工見習い

 

地村(旧姓濱本)富貴惠 1978年7月7日失踪。福井県小浜市、23歳、ジーンズショップ店員

 

蓮池薫 1978年7月31日失踪。新潟県柏崎市(帰省中)、20歳、中央大学法学部

 

蓮池(旧姓奥土)祐木子 1978年7月31日失踪。新潟県柏崎市、22歳、化粧品会社勤務

 

市川修一 1978年8月12日失踪。鹿児島県日置郡、23歳、電電公社職員

 

増元るみ子 1978年8月12日失踪。鹿児島県日置郡、24歳、事務員

 

曽我ひとみ 1978年8月12日失踪。新潟県佐渡郡、19歳、准看護師

 

曽我ミヨシ 1978年8月12日失踪。新潟県佐渡郡、46歳、工場勤務

 

石岡亨 1980年5月ごろ失踪。北海道札幌市、22歳、日本大学農獣医学部卒

 

松木薫 1980年5月ごろ失踪。京都市、26歳、京都外国語大大学院

 

原敕晁 1980年6月中旬失踪。大阪市、43歳、中華料理店コック

 

有本恵子 1983年7月ごろ失踪。神戸市、23歳、神戸市外国語大学卒

有本恵子以外は、複数人が短期間に拉致されている。市川修一・増元るみ子のカップルと、曽我ひとみ・ミヨシの親子のように、鹿児島と佐渡島と離れているにも関わらず、同じ日に拉致されている場合まである。これは拉致を実行する期間が決まっているためだと考えられる。

次に竹村も19歳の女性も社員寮から失踪している。

独身者の場合、家族が失踪にすぐ気づかないので、探し始めるのが遅れる。その分、拉致の実行者には有利だ。寮や下宿に住んでいた特定失踪者を、民間団体の「特定失踪者問題調査会」が公開しているリストから拾っていくと、49人に上る。

最後に、東海村と日立市という地域的な特性だ。

約20キロ離れている二つの地域の共通点は、原子力関連の施設や企業が立地しているということだ。北朝鮮の工作員が核技術を求め、東海村と日立市を探索していたことは十分に考えられる。

19歳の女性が核技術を持っていたとは考えられない。だが日本人男性を拉致する際、北朝鮮で暮らす上での伴侶の候補として女性も拉致するということは、工作員のこれまでの証言にもある。

茨城県東海村の日本原子力研究開発機構(旧動燃)の周囲には、警備用の看板が随所にある(撮影=渡辺周)

=つづく

(敬称略)

消えた核科学者は2020年6月に連載をいったん終了した後、取材を重ねた上で加筆・再構成し、2023年11月から再開しています。第25回「アトム会の不安―刑事が言った『北に持っていかれたな』」が再開分の初回です。

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北朝鮮による拉致問題は、被害者やその可能性がある家族の高齢化が進んでいるにもかかわらず、一向に進展がありません。事実を掘り起こす探査報道で貢献したいと思います。

 

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