編集長コラム

抱える仕事、抱く仕事(98)

2024年02月10日12時29分 渡辺周

この1週間、能登半島、岡山、大阪の各地で取材してきた。東京での大雪はニュースで知り、帰ってきたら街路樹の根元に黒くなった雪が少し残っているくらいだった。スケジュールが目まぐるしい上に、出張中でも諸々の締め切りは刻々と迫る。ホテルでは夜明け前から執筆作業をした。

創刊準備の期間を含めて8年あまり。こんな感じで「Tansa生活」を送ってきた。

しかし、時々ハッとすることがある。Tansaのメンバーに話しかけられても、パソコンに向かったまま話を聞いたり、取材をしていても時間が押してくるとどうやって切り上げようか考えていたりするのだ。そういう私の態度に接した相手は、さぞ嫌な思いをしていると思う。

ジャーナリストとして、こういう態度は危険だ。声なき声に気づかなくなる。

今から20年近く前の話。私は朝日新聞の阪神支局員で忙殺されていた。乗客と運転士合わせて107人が亡くなったJR尼崎線の脱線事故、数十年前にアスベストを吸い込んでしまった労働者が中皮腫という癌で次々に死亡していく公害、宝塚市長の汚職、そして阪神支局の先輩にあたる小尻知博さん(当時29歳)が1987年に射殺された「赤報隊事件」の時効後の取材。これらに地方版のコーナーの執筆など日々のルーティンワークが加わった。支局員の中でも仕事量には差がある。どう考えても忙しいはずがないのに「あー疲れた」が口癖の同僚には心底腹が立った。

そんな時、重度障がい者施設の課長に会う機会があった。彼に「事件で殺された小尻さんはよく取材に来てくれました、心優しい人でしたよ。渡辺さんもウチの施設を見学してくれませんか」と言われた。時間が惜しかったが、断るわけにはいかないと思い、見学することにした。

これは大変な状況だとすぐに感じた。ベッドで呼吸器をつけたまま眠り続ける人、いくら職員に食事を食べさせてもらってもほとんど口からこぼれてしまう人、あちこちから聞こえるうめき声――。4月から小学1年生になるという少年は、普段はベッドで寝たきり。小学校に入学するといっても、教師が派遣される施設内の教室に通うだけなのだが、私が「もうすぐ学校だねえ」と言っておでこをなでると、満面の笑顔を見せた。学校と違い、多くの友だちと交われるわけではない。それでも寝たきりの生活を送っている少年にとっては、よほど嬉しかったのだと思う。

課長は、職員も大変だと教えてくれた。気が抜けない、宿直がある、給料が安い、重労働、重度の障がい者は感謝の意を表現することが難しいから手応えがない。辞めてしまう職員が多いという。その上、障がい者自立支援法の施行に伴い、施設への補助金も削られるので、さらに仕事にしわ寄せがくる。課長から、「言いたいことがいっぱいある。また、電話してもいいか、渡辺君」と帰り際に言われ快諾した。

本当に拾うべき声は、声をあげる余裕もないほどひたむきに、人知れずがんばっている人たちだ。そういう人たちに「実は聞いてほしいことがある」と声をかけてもらえるには、こちらが「忙しいオーラ」を出していては駄目だ。

日常は怖い。あの時「忙しいオーラは厳禁」と誓ったはずなのに、同じことを繰り返している。

仕事は抱える(かかえる)ものではなく、抱く(いだく)ものなんだという原点に還りたいと思う。

昨年12月に始めたマンスリーサポーターを募集するキャンペーンでは、新たにサポーターを200人増やし、記者を1人雇用することを目指していました。今年1月31日までに、96人の方にご支援をいただいております。ご支援くださった皆さま、本当にありがとうございます。

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