『保身の代償』11回目に出てくる共同通信幹部の言葉にギョッとした。
法務知財室長の石亀昌郎氏が、共同通信の社報で自らの記者経験を振り返った上で、こう述べている。
「当面は引き続き、若い人たちが夢を持てる職場づくりに努めたい」
私がこの言葉にギョッとしたのは、石亀氏が20代の記者である石川陽一氏を責め立てている張本人だからだ。石川氏は、福浦勇斗さんのいじめ自殺事件で県を庇った長崎新聞を、著書で批判しただけである。ジャーナリストとして当然だ。それを石亀氏は、加盟社への批判はタブーだと言わんばかりに、石川氏に言いがかりをつけている。
若い人の将来を潰そうとする一方で、社報では「若い人たちが夢を持てる職場づくりに努めたい」と書く。石亀氏と似た言動を、強制不妊手術に邁進した医師、故・長瀬秀雄氏に私はみる。
長瀬氏は、強制不妊手術専門の診療所「愛宕診療所」で所長を務めた。診療所は宮城県が設置し、長瀬氏に強制不妊手術推進の「使命」を与えた。県衛生部長の伊吹皎三氏は1962年10月4日の県議会で、その「使命」について語っている。
「優生手術が、先ほどのお話しのように非常に重大化して参りました。県内で年間大体百名近くの優生手術が行なわれますが、このうちの八割くらいが愛宕診療所で行なわれております。私らは今後ともこの優生問題に重点を置きまして、同病院の機能も発揮させ、またそれに対するいろいろな措置も講じまして、十分使命を果たしたいと、このように考えておりますので、何分よろしく御了承願いたいと思います」
長瀬氏は忠実に宮城県から与えられた「使命」を果たす。診療所が開設した翌1963年から、廃止される1972年までの10年間、宮城県は強制不妊手術の件数が全国最多だった。
長瀬氏はこの件数に誇りを持っていた。1964年に厚生省などの主催開かれた「家族計画普及全国大会」では、次のように発言している。
「人口資質の劣悪化を防ぐため、精薄者を主な対象とした優生手術を強力に進めております」
だが長瀬氏のかつての部下を取材すると「人格者で温厚な先生でした」と言い、長瀬氏と職員たちとの旅行や餃子パーティーの思い出を語った。
最も驚いたのは、長瀬氏の妻から聞いた話だ。
長瀬氏は産婦人科医で、お産も受け持っていた時期があった。写真が趣味で、お産を終えた母親が退院する際は、赤ちゃんを抱いた母親を撮影しプレゼントした。不妊に悩む人の相談にも乗っていたという。妻は言った。
「本当に、本当に親切なんですよ」
ポッカリ穴が空いた中枢への競争
石亀氏と長瀬氏の共通点は、決して悪意に満ちた人物ではないということだ。石亀氏が「若い人たちが夢を持てる職場づくりに努めたい」と言うのは本心だろう。長瀬氏も新しい命への愛情は確かにあったはずだ。
石川氏を追及している共同通信の他の幹部も、普段はいい人なのだと、彼らが記者時代に書いた記事を読んでいて思う。
だがそうした心情は、組織と自分を同化させた時、心の中の別の部屋へと無意識に閉じ込めるのではないか。
石亀氏の場合は、「経営を支える加盟社第一主義」を掲げる共同通信と自分を一体化させ、若い記者の将来を潰す。長瀬氏は、国策を遂行する宮城県と自分を一体化させ、「不要な障害者」というレッテルを貼られた人たちの不妊手術に没頭した。
平時はいい人。だが正念場では思考停止し、組織に身を委ねる。同じ組織の中で、社長ら権力中枢への距離をめぐって競争を始める。
ところが、トップはトップで責任を負う覚悟も能力もない。権力の中枢には、ポッカリ穴があいている。空虚なものに目がけて組織の構成員たちが競争している様は、滑稽ですらある。
こうした構図は、共同通信や長崎新聞だけではなく、日本のあらゆる集団でよく見かける。連載中のシリーズ『保身の代償』は、単にマスメディアの堕落を描いたものとしてではなく、身の回りに同じことは起きていないかという視点で読んでほしい。
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