編集長コラム

保身の気持ちを捨て去るとき(63)

2023年06月10日13時17分 渡辺周

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私は小学校6年間を広島で過ごし、中学校から大阪に引っ越した。周囲はみんな大阪弁。サッカー部に入ったが、私以外はほとんど地元の少年サッカーチームの時から同じメンバー。なじめるかなと不安だった。

しばらくして、クラスでの異変に気づいた。女子生徒のAさんが罵られている。彼女を蹴る男子生徒までいた。Aさんには障がいがあり、そのことでいじめられていた。通学路の壁には「A死ね」と落書きがあった。クラスメートに聞くと、Aさんこうして小学校の時からいじめられ続けているという。

ある日、Aさんをいじめていた男子生徒とプロレスごっこをした。プロレスごっこのはずがお互い興奮してケンカとなり、私が負かした。その勢いで私は「Aのことをいじめるな」と言った。彼は少なくとも私の前ではAさんをいじめなくなった。

だが他のクラスメートはAさんをいじめ続ける。憎くていじめているというよりは、それが小学校からの習慣として、当たり前のことになっているようだった。

さてどうするか。私は悩んだ。

担任の先生は若くて明るい女性だが、あてになりそうにない。通学路での「A死ね」の落書きを知った時は泣いていたが、特に何かの手立てを打つわけではなかった。

いじめには加わらない生徒たちもいたが、いじめる生徒たちの方に勢いがあって、口をつぐんでいる。

本当はどうすべきか、私にはわかっていた。声を大にして、クラスメートたちに「このいじめをやめろ」と言い続けるのがやるべきことだ。

しかし、私は臆病だった。すぐに行動しなかった。転校してきたばかりでまだ友達も少ない。孤立を恐れた。

班ノート

私は自責の念にさいなまれた。

私とAさんの自宅は近い。顔を合わせることがしばしばあり、そんな時は「おっす」と声をかけた。Aさんは笑顔で応じる。自責の念がどんどん膨らんだ。これ以上は耐えられない。腹をくくった。

いいアイデアを思いついた。班ノートの活用だ。

当時、クラスは何班かに分かれていて、それぞれの班で日誌を当番制で書いていた。しっかり書いている日誌は、その日の終わりのホームルームで担任が読み上げる。「教室のそうじがいい加減だ」とか「◯◯君はクラスの雰囲気を明るくしている」とか一生懸命書く生徒もいたが、私は「今日は授業中寝なかった」とか「書くことがありません」などとなるべく短く済ませるようにしていた。

だが今回はチャンスだ。Aさんへのいじめのことをしっかり書けば、担任がホームルームで読むかもしれない。クラスメートをひとりひとり説得するのは大変だが、この方法ならば全員に一気に届く。

サッカー部の練習が終わった後、ノートを持ち帰って自宅で書いた。表紙に黄色のラインが入っている横長のノートだ。気持ちを落ち着けて、ノートに向かった。あの時の、時間が止まったような感覚は、映像とともにはっきり覚えている。

「転校してきて、僕がずっと気になっていることがある。Aさんへのいじめだ。誰にだって好き嫌いはある。でも障がいを理由にいじめるのは卑怯だ・・・」

目論み通り、担任はノートをホームルームで読んだ。私の知る限り、Aさんへのいじめは収まった。私が仲間外れにされることもなかった。

後日、私が体調を崩して学校を休んだ日のことだ。

夕方、自宅にAさんがやってきた。クラスで欠席者がいると、その日に学校で配られたプリント類を誰かが届けることになっていたのだが、私にはAさんが持ってきてくれたのだ。他のクラスメートによると、担任が「これ渡辺くんに持っていってくれる人はいますか」と呼びかけたところ、Aさんが手を挙げたという。

Aさんは普段、クラスで手を挙げるような生徒ではない。それでも自ら手を挙げて私に配布物を届けてくれたAさんの勇気が、私にはうれしかった。

弱さを抱えていても

中川七海が連載中の『保身の代償』は、いじめ自殺という痛恨事がありながらなお、保身を優先する大人たちの責任を問うている。第1部は『共同通信編』としてジャーナリズムの現場での保身に焦点を当てている。

誰にだって保身の気持ちはある。ここで声をあげて、自分が組織や集団の中で憂き目に遭ったらどうしようと不安になるのは当然だろう。私たちTansaのメンバーも、常に弱さを心のうちに抱えている。

だが同時に、「この局面だけは勇気を出そう」という内なる声もあるはずだ。

16歳で自殺した福浦勇斗(はやと)さんは、いじめを日常的に受けていたにもかかわらず、遺書でこう綴った。

「この状況になったのは、周囲のだれでもなく、自分の責任(自己嫌悪)だから」

同じことをもう誰にも言わせたくないという気持ちは、誰しも一致するはずだ。

保身の気持ちを捨て去るときである。

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