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長崎市・高2いじめ自殺事件/自殺の隠蔽提案を追認した県を庇うメディアの責任

2023年08月03日15時00分 中川七海

長崎市の私立海星学園=2023年4月20日、中川七海撮影

2017年4月、長崎市内にある私立海星学園の高校2年だった福浦勇斗(はやと)さんが、いじめを苦に自殺しました。

遺族の願いは「わが子のような被害者が、もう二度と生まれないでほしい」ということに尽きます。

しかし、学校と長崎県、さらに共同通信と長崎新聞が遺族の前に「壁」となって現れました。

勇斗が亡くなった当初、遺族である母・さおりと父・大助が頼りにしていたのは海星学園です。学校として、勇斗のいじめ自殺事件を受け止め、再発防止策を打つものだと思っていました。

ところが、その期待は裏切られます。海星学園は再発防止のために動くどころか、勇斗の自殺を「突然死」や「転校」とする提案を遺族に持ちかけてきたのです。とうてい、遺族には受け入れることのできない隠蔽提案です。

さらに海星学園は、いじめの事実を認めませんでした。勇斗が残した手記には、いじめの内容や加害者の名前が記されています。弁護士や他校の元校長らからなる第三者委員会も、調査の結果、勇斗はいじめを苦に自殺したと判断し、報告書を出しました。「中学3年時から高校進学後にかけて行われたいじめが、福浦君の自死の主たる要因であることは間違いない」と結論づけましたが、海星学園はこの報告書自体を否定しています。

学校は頼れない。さおりと大助は、地元行政である長崎県に期待しました。しかし県は、海星学園による「突然死」の提案について、「ギリ許せる」と言い、学校側の隠蔽の姿勢を容認しました。

学校と県に裏切られた2人にとって、“最後の砦”はメディアでした。

しかし、地元メディアである長崎新聞は、県を庇う姿勢を見せたのです。

そこで立ち上がったのが、共同通信の記者・石川陽一です。学校による「突然死」提案を追認した県の実態を明るみに出すスクープ記事を、共同通信から放ちました。さらに取材を重ね、2022年11月には文藝春秋から、勇斗のいじめ自殺事件を追った書籍『いじめの聖域』を出版。遺族は、真実が公になることを喜びました。

ところが、遺族を落胆させる事件が起こります。石川の著書の中で報道姿勢を批判された長崎新聞が、石川が所属する共同通信に抗議し、抗議を受けた共同通信が石川の責任追及に乗り出したのです。

遺族は、石川の書籍の記述の正当性を訴える手紙や意見書を共同通信に提出しました。しかし、その思いは届きません。共同通信は、計3時間にわたる2度の聴取を実施したり、審査委員会を立ち上げたりして石川を追い込み、最終的には記者職を剥奪します。

共同通信がここまでの行為に及ぶ背景には、長崎新聞との関係性にありました。

遺族である勇斗の母は、この状況について言いました。

子どものいじめ自死から始まった事案がそれだけで終わらず、遺族が学校や自治体からいじめられる事態へとなってしまい、挙げ句の果てには地元新聞社までもが自治体の味方になり、さらには真実を書いた記者は会社と加盟新聞社から排除される。いじめのサイクルになるとは想像もしていませんでした。いつのまにか、勇斗の苦しみや悲しみは蚊帳の外になっている現実が悲しいです。子どもの命はそんなに軽くない、と学校にも県にも、長崎新聞や共同通信にも訴えたいです」

いじめ自殺は今まで日本中で繰り返されてきました。このままではこれからも同じことが起きます。いじめ自殺の再発を防ぐための役割を果たすべき、学校、行政、メディアといった大人たちが保身に走り、いじめ自殺の構造を温存しているからです。犠牲となるのは、生徒や児童といった子どもたちです。保身の代償はあまりに大きすぎます。

本シリーズは、まず第1部の「共同通信編」でジャーナリズムの現場での保身を問います。

被害者の勇斗さんと遺族は、誹謗中傷への対策として名字のみ仮名とします。

長崎県にあるカトリック系私立海星学園で2017年、1人の高校生がいじめを苦に自殺した。遺族はわが子に起きた悲劇が繰り返されないよう願い、真相を追及している。だがそこへ、高校と長崎県、さらに共同通信と長崎新聞が遺族の前に「壁」となって現れる。保身に走る大人たちが、繰り返されるいじめ自殺の構造を温存する。保身の代償はあまりに大きい。シリーズの記事一覧はこちら

福浦勇斗さんが亡くなった木。長崎市内の公園にて=2023322日、中川七海撮影

亡くなった高校生の母から共同通信への手紙

長崎市内に住む福浦さおりは、よく眠ることができないでいた。2022年11月末のことだ。

さおりが頭を悩ませていたのは、共同通信の記者・石川陽一の身に起こった出来事だ。

石川は、さおりの息子・勇斗のいじめ自殺事件を追いかけていた。勇斗は2017年4月20日に自殺した当時16歳。長崎市内にある私立海星学園の高校2年だった。石川は海星学園がいじめを隠蔽しようとし、長崎県がそれに加担したことを明るみにだした。

石川の共同通信での一連の報道に着目したのが、文藝春秋だ。2022年11月、石川を筆者に『いじめの聖域 キリスト教学校の闇に挑んだ両親の全記録』を出版した。石川は共同通信では報じきれなかったことを加筆し、382ページにわたって綴った。

ところが、さおりが書籍の出版を喜んでいた矢先、予想もしなかった事態が起きる。石川から連絡があり、共同通信が本の内容を問題視していることを知ったのだ。

第11章の「責任から逃れたい大人たち」の記述に関し、長崎新聞が名誉毀損に当たると共同通信に抗議しているのが理由らしかった。

福浦勇斗さんの6歳の誕生日=遺族提供

長崎新聞の怒りの理由

なぜ長崎新聞が怒っているのか。

海星学園は勇斗が自殺した後、対外的には「突然死」と説明することを母のさおりと父の大助に提案した。遺族にとっては到底受け入れられない話だ。だが、この提案について、長崎県の総務部学事振興課は了承した。石川はこの経緯を2020年11月17日、「海星高が自殺を『突然死』に偽装/長崎県も追認、国指針違反の疑い」と共同通信から報じた。石川のスクープはYahoo!ニュースのトップページや東京新聞の社会面トップに載り、反響が大きかった。

石川の報道の翌日、県総務部は記者会見を開く。海星学園による「突然死」の提案を追認したことについて、「積極的には追認していない」とか、「担当者の発言が適切でなく誤解を与えた」と釈明した。

記者会見に出席したメディア各社は県の釈明を批判的に報じたが、長崎新聞は違った。遺族の主張には触れず、県の言い分だけを報じた。

この時の長崎新聞の報道姿勢を、第11章の「責任から逃れたい大人たち」で石川は取り上げた。例えば、長崎新聞の県政担当記者である堂下康一(書籍では匿名)は、会見で県側を追及する質問をした石川に、こう言った。

「県政記者クラブとしてもあんまり行きすぎたことをされると、それはそれなりに対応せざるを得なくなりますよ」

第11章ではさらに、長崎県から長崎新聞に対して年間約900件の支払い履歴があることを挙げてこう書いた。

「多額の金銭をやり取りしている相手だからこそ、不祥事を起こした際は厳しい態度で追及していかなければ、『スポンサーに忖度しているのだな』と読者に受け取られかねない」

さおりにしてみれば、長崎新聞が怒っている理由が全く理解できない。本に書かれていることは全て真実だ。共同通信の行動は「石川さんを潰すためにやっているようにしか見えなかった」。さおりは、すぐにでも抗議したかった。

ただ、自分の行動によって石川の立場がさらに悪くなってはいけない。何かいい方法はないのか・・・。何日も悩んだ末、さおりはある方法を思いついた。

石川の報道への感謝を、手紙に綴って共同通信に送ることにした。石川は2021年6月に長崎支局から千葉支局に異動している。千葉支局長の正村一朗に手紙を書くことを決めた。

石川陽一著『いじめの聖域 キリスト教学校の闇に挑んだ両親の全記録』(2022年11月10日、文藝春秋発行)

「子どもを亡くした悲しみに泣いている時間はありませんでした」

2022年12月3日深夜、さおりは自宅のリビングで便箋に向かった。時計の針はとうに0時を回っている。

この時、さおりは体調がよくなかった。38度を超える熱が出ていたのだ。それでも筆を執ったのは、1日でも早く石川の助けになりたかったからだ。

共同通信社 千葉支局 支局長様

 

突然お手紙を差し上げる失礼をお許し下さい。私たちは、御社の石川記者に取材をして頂いています長崎県の福浦と申します。

 

このたび、石川記者が私たちを題材にした書籍を出版され、御社の皆様に御礼を申し上げたく、手紙を書きました。

 

私たちの子どもは、いじめが原因で自ら命を絶ちました。

2017年4月20日、長崎市にある海星高校2年だったさおりの息子・勇斗が命を絶った。首を吊って自殺した。翌朝、自宅から歩いて15分ほどの公園にある、人目につきにくい木の下で見つかった。

さおりと大助は、勇斗が自殺した理由を懸命に調べた。ようやく見つけたノートには、勇斗の苦しみを表す言葉が残されていた。加害者の名前やいじめの内容が事細かく書かれていたのだ。

中高一貫の海星学園で、いじめは中学時代に始まっていた。

勇斗は、唾を飲み込んだりお腹が鳴ったりする音をあげつらわれて、クラスメートから日常的にいじめられていた。勇斗はお腹が空いて音が鳴らないよう、間食するようになった。おにぎりやカロリーメイトを持参し、教室から離れた小部屋で一人隠れて食べるようにしていた。お腹が鳴らなくなった勇斗は少し安心できるようになったが、いじめは止まなかった。10〜15人の生徒が間食しに行く勇斗のあとをつけ、数人がかりで小部屋の扉を無理やり開けようとしたこともあった。第三者委員会の調査でも、複数の生徒が証言している。勇斗は、音が鳴るのを恐れて口の中には唾が溜まり、恐怖から手足や身体が震える症状が出るようになっていた。

2018年11月、弁護士や他校の元校長らからなる第三者委員会は調査の結果、勇斗はいじめを苦に自殺したと判断した。「中学3年時から高校進学後にかけて行われたいじめが、福浦君の自死の主たる要因であることは間違いない」。

ところが海星学園は、第三者委員会の結論を受け入れなかった。さおりと大助は二重の苦しみを受けていた。

石川は記者として、勇斗の死の真相を追及し始めた。

石川記者とは子どもの事案を通し2019年からのおつきあいです。千葉支局へ異動されても、私たちの取材を熱心におこなってくださっているのは、石川記者が、私たちの息子の事案を広く社会に伝えるべきだ、との強い思いがあってくださったことはもちろんですが、それをお許しくださった御社の皆様のお力添えがあったからこそと思っております。本当にありがとうございます。

これは、さおりの本心だ。さおりは、事実が広く報じられたきっかけをつくった石川と共同通信に感謝していた。手紙は、次のように続く。

私たち遺族の前に立ちはだかる問題はあまりにも大きすぎました。

 

学校の理不尽な態度をはじめ、県の職員による学校をかばう姿勢、私立学校を指導する組織がないこと、などあらゆる困難を自分たちで調べ対処していくのは苦しみの連続でした。

 

子どもを亡くした悲しみに泣いている時間はありませんでした。

福浦さおりさんが共同通信の千葉支局長に宛てた手紙のコピー=遺族提供

「石川記者だけでした」

だが、次第にメディアの関心は薄れていった。時を追うごとに、メディアが取材に来るのは勇斗の命日や、何か大きな動きがある時だけになった。

しかし、時の移り変わりというのは悲しいこともあり、こちらから何か行動をおこさない限り、息子の件は報道されることは減っていきました。

 

この問題をずっと長く考えてくださるのは、御社の石川記者だけでした。

 

私たちは息子を救えなかった親として、息子のように苦しむ子どもをつくってはならないとの思いで学校にも県にも再発防止の声をあげ続けてきました。

 

その思いを、誠実に正しくそしてどんなときも報道してくださっているのは共同通信社さんです。私たちのような小さな声にも真摯に対応してくださる報道機関があることを本当に嬉しく思います。

 

また、真実の内容の本を書いてくださった石川記者にも感謝の思いでいっぱいです。

 

本当にありがとうございます。

手紙は4ページにわたった。さおりと大助の連名で締めくくったあと、さおりは「追伸」を書き加えた。

参考までに、当時の記事を同封しています。<中略>

 

地元長崎新聞だけが、県の姿勢をかばっていたことがよくわかります。とても残念です。

 

そして県側をかばう記者の別の日の記事もご一読ください。

手紙の最後には、「2022年12月10日」と記した。だが実際には、12月3日だった。高熱で意識が朦朧とする中、下書きもせずに思いの丈を綴ったさおりは、カレンダーを1週間見まちがえていたのだ。

翌朝、さおりは文明堂のカステラを添え、千葉支局宛てに手紙を送った。

ところが、共同通信にさおりの思いは届かなかった。それどころか、さおりの気持ちを踏みにじる事態に発展していく。

長崎新聞社=2023年6月9日、中川七海撮影

2時間で8回の着信

さおりの知らないところで急ピッチで事は進んでいた。

2022年11月11日の正午すぎ、石川は千葉市内の美容院に来ていた。本の出版に際し、週刊文春のインタビューをこの日の夕方に控えていたためだ。

その時、持参していた社用の携帯電話が鳴った。だが、髪を切っていて電話には出られない。その後も繰り返しかかってきたが、出られなかった。

午後1時50分頃、石川は帰宅した。先ほどの電話を確認すると、社用と私用の携帯に合わせて7〜8回も着信が入っていた。全て、千葉支局長の正村からだった。

石川は1カ月前の10月から育児休暇に入っていた。3月に子どもが生まれたばかりだった。休暇中にもかかわらず、なぜ会社からこんなにも連絡が来るのか。

電話をかけ直そうとした時、正村からメールが入った。メールには、急ぎの要件があるので電話するようにと書いてあった。

石川は言われた通り電話をかけた。正村は言った。

「本について外部から抗議が来ているので、すぐに事情を聴きたい」

だが石川はこの後インタビューを控えており、その日は行けない。結局、3日後に支局へ行くことが決まった。

正村との電話から3時間。午後5時すぎには共同通信法務部長の増永修平からメールが入った。3日後、増永も同席するという。石川は増永に、誰がどのような抗議をしているのか尋ねた。だが増永は「それは当日にお話しします」と返信し、教えてはくれなかった。

石川には、この状況がよく理解できないでいた。本の内容に関することなら、まずは出版元である文藝春秋に連絡がいくはずだ。だが、石川は文藝春秋からそのような抗議があったという話は聞いていない。

11月14日。石川は内容も所要時間も聞かされないまま、自転車で千葉支局に向かった。

午後1時の約束だったが、1〜2分遅れてしまった。建物3階にある応接室の前で待っていた正村に遅刻を咎められ、石川は平謝りしながら部屋に入った。

部屋には、メールで事前にやりとりした法務部長の増永と、総務局人事部企画委員の清水健太郎が待っていた。

石川は告げられた。

「結論から言うと、本を出されて、長崎新聞から非常に強い抗議をいただいている」

だがこの後、増永から伝えられる具体的な指摘内容は、的外れなものだった。

(敬称略)

シリーズ初回記事はこちら:いじめ自殺した高2の母から、共同通信千葉支局長への手紙

長崎県にあるカトリック系私立海星学園で2017年、1人の高校生がいじめを苦に自殺した。遺族はわが子に起きた悲劇が繰り返されないよう願い、真相を追及している。だがそこへ、高校と長崎県、さらに共同通信と長崎新聞が遺族の前に「壁」となって現れる。保身に走る大人たちが、繰り返されるいじめ自殺の構造を温存する。保身の代償はあまりに大きい。シリーズの記事一覧はこちら

一般社団法人共同通信社の本社が入るビル(汐留メディアタワー)=Tansa撮影

YouTube番組で解説中

担当リポーターの中川七海と編集長の渡辺周が、YouTube番組「デモクラシータイムス」に出演し、本シリーズの解説をしています。第2回には、石川陽一氏も出演し、一連の事件の詳細を本人が語っています。ぜひご覧ください。

▼第1回:最後の砦 メディアの裏切り

▼第2回:共同通信の保身 石川記者に聞く

 

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